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ブランチとコヒーレント (39)

エピローグ

築42年目の我が家は先月外壁の大規模修繕がようやっと終わり、ベランダにあった作業の足場が取り払われて眺めが戻った。ちょっと前までベランダからは雑木林しか見えなかったのだけど、向かいの丘の頂が削られてそこに3階建ての家が建ち、雑木林は見えなくなってお向かいさんの3階部分がベランダからの眺めになった。

在宅勤務の期間はかなりあったはずなのに相変わらず家には自分がいるスペースは無くて、リビングの片隅にある本棚だけが自分の領域。以前はそこにカメラのレンズやウイスキーが並んでいたのだけど、今はほとんど空っぽになっている。

長く続いた在宅勤務も、流行病が落ち着きまたリズムが変わる。仕事のメンバーは在宅勤務と出勤を自由に選択できるようになり、直接顔を合わせるのは半年に一度ということも珍しくない。

自分は家にいる場所が無いし、会議はちょっとシビアな内容だったりするので家族に聞かれるわけにもいかず、仕事と遊びの区別がつきづらい在宅勤務は性に合わなくて、結局毎日片道1時間半かけて出勤する生活に戻る。

朝、出勤前には仕事のスイッチを入れるために、会社のそばの墓地のベンチに座ってコーヒーを飲む。スケジュールアプリを開いて今日やる事とヤバそうなケースを確認し、気持ちに余裕がある時はXのポストをしたり。

2年半前、ねこさんと出会ってちょっと経った頃起きた仕事のトラブルは本当にひどい状態で、状況を改善しようにも四面楚歌だった。誰からも支援されないまま、その問題の責任を背負い、復旧は他の人に委ねられた。今もまだ引きずっていて仕事はやりづらいけど、まあ、生きてはいけている。

大袈裟ではなく、もしもあの時ねこさんと出会っていなかったら、自分は今この世にはいなかった、かもしれない。

ねこさんを起点に広がった人との関係はそんな自分を支えてくれて、数えきれない喜怒哀楽を共にしながら、今もこうやってその前と変わらない、いや、別の世界を広げてくれた。ブランチは折れてしまったところもあるけど、別のブランチは確実にその先へと更に枝分かれしていき、だけどその元は自分の幹へと繋がっている。

それまでに感じていた脳の老化は、前より緩やかになった気がする。

この2年間に30年前の記憶が掘り起こされて、なんとなくごちゃ混ぜにしていた記憶が実際と違っていたのを発見して訂正したり、当時は興味を向けなかったものにはっとしたり。

随分前の話だけど、ねこさんに聞かれた。

「Green Dayは?」

Green Dayは自分が仕事に追われ音楽を聴く余裕が無くなってきた頃に盛り上がってきたバンド。鎌倉の誰もいない1Kの部屋に真夜中に帰って、くたくたになりながらTVKの音楽番組で流れるMVを眺めていた。

曲は聞いた事はあるけど、聴いてたという程ではない。自分はけんもほろろに

「通ってないんだよね」

会話、終了。

ねこさんとのそんな1往復の会話の後、そういやあったなぁと思い返して聴いてみて、しばらくGreen Dayづくしになった。Green Dayは洋楽の中では歌詞の単語が拾いやすくて、聴いている間に少しずつ歌詞の断片が頭に残る。サブスクありがとう。

生活のリズムがねこさんと出会う前に戻った。

平日はひーひー言いながら仕事をして、たまに帰りがけに渋谷や野毛のお気に入りのバーに寄って、ぼやきながらスコッチウイスキーを舐める。週末には40年前に製造されたレンズをつけたカメラを抱えて散歩しながら、空を見上げたり、道端に咲く雑草の花をファインダーに収めたり。

17万回のシャッターを切ったミラーレスカメラは外観もだいぶへたってきて、一番撮影に使った35mmのレンズは数々の燎のライブを撮影している間にフードの部分が壊れてしまって固定できない。そろそろオーバーホールしようか、それともまもなく出ると噂の後継機種に変更するか。だけど後継機種に変更しても、その性能を活かす様な、燎のライブを撮影できる機会はもう来ない。

以前と違うのは、持っていたのに弾きもしなかったギターがいつもリビングの隅に置いてある事。音楽のサブスク配信サービスが2023年の振り返りをしてくれたのだけど、楽曲を聞いたアーティストは1,000を超えていた。そしてスマートフォンにはねこさんや果南さんが作詞・作曲した楽曲が入っている。

いつでも彼女の歌声を聴けるし、さっとギターを手に取ればいつでも彼女らの歌声に合わせて音を出せる。この一年で彼女らの曲3曲をコードでじゃらんと追えるくらいにはなった。これからもレパートリーは増やしていこう。

もう、直接この耳で歌声を聴く事も、この目で姿を追う事も叶わない。

Another turning point, a fork stuck in the road
更なるターニングポイント、分かれ道の袂
Time grabs you by the wrist, directs you where to go
刻はあなたの手をとって その先へ導く
So make the best of this test and don't ask why
この選択に全てをかけて 何故なんて尋ねずに
It's not a question, but a lesson learned in time
質問することじゃない これまでに得た教えで

It's something unpredictable, but in the end it's right
予想なんてつかない けど結末は正しい
I hope you had the time of your life
最高な時間を過ごせていたなら

So take the photographs and still frames in your mind
写真を撮って あなたの記憶の額縁に飾ろう
Hang it on a shelf in good health and good time
元気で楽しかった時の棚に
Tattoos of memories and dead skin on trial
思い出のタトゥーと 裁かれて壊死した肌
For what it's worth, it was worth all the while
こんな事言うのもなんだけど、それでも価値はあったんだよ

It's something unpredictable, but in the end it's right
予想なんてつかない けど結末は正しい
I hope you had the time of your life
最高な時間を過ごせていたなら

It's something unpredictable, but in the end it's right
I hope you had the time of your life
It's something unpredictable, but in the end it's right
I hope you had the time of your life...

Good Riddance (Time Of Your Life),
Billie Joh Armstrong 


だけど、僕の歌姫は確かに存在していたんだ。

おしまい


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