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ブランチとコヒーレント (3)

2021年9月のブランチ

そのメイド喫茶の卒業から2週間後、今度は9月のねこさん誕生日イベントNECO Rockに訳もわからず参加する。場所は秋葉原のライブハウス。

とりあえず場所に着いたはいいけど、この手のイベントの進行は流れも用語もよくわからなくて、完全にアウェイ。周りの動きを観察することに。事前に申し込んでいたTシャツとライトのセットを人の流れに乗って受け取り、ステージ上手側の壁際に移動する。

受け取ったライトのスイッチを入れてみる。電源スイッチとは違うボタンを押すと、色が変えられる。連打してピカピカ色を変えながら思う、まさか自分にこういうアイテムを使う日が来るとは。

客席の隅でグッズのTシャツに着替えている上半身裸のひとがいる。客席は若干カオス気味。そのカオスに拍車をかける様に、自分は今日も [猫の下僕]  Tシャツを着ている。同じくセットで受け取ったTシャツは封を開けずそのままにしておく。下僕Tシャツ着る機会、2回目があってよかった。

ライブハウスのそれは昔と変わらぬ空気感を残していた。

入り口に雑に貼られたそこを根城にするバンドの直筆サイン入りポスターやフライヤー。無愛想なモギリのお兄。防音壁を覆う黒くてところどころ剥がれかけている壁紙。天井から吊るされた、今にも煙が立ちそうな照明。妙に横幅が狭いトイレ。初めて来たライブハウスなのになんだか懐かしい。



30年以上も昔、自分は2年も無いわずかな期間だけど演者側になっていた事があった。自分は横浜の元町のはずれにあったシェルガーデンというライブハウスを好んだ。だいぶ昔にその建物は取り壊され、今となっては当時を偲ぶ事すらできない。

インターネットは無くて、ぴあというイベント情報雑誌に、欄は小さくとも公演情報が載ることはとてつもなく大きなステータス。残念ながら自分はぴあに載るどころか、フライヤーを作ることすらできなかった。そもそもお客が来なかった。当時付き合っていた彼女ですら。

そんなことを思い出しながら、日々の練習やメンバーとのコミュニケーション、ましてや1回きりのステージのために費やす労力を想像する。細かいところを煮詰めるのは時間的に無理としても、演者さんや観客を集め、段取る事ができ、こうやって2時間超のイベントを行える実行力は本当に大したものだと思う。

ステージが始まり、ねこさんが他の演者さんと共に歌ったり踊ったりしている。一緒にステージに立つ人たちのうち顔を見た事があるのは、そのメイド喫茶をねこさんよりちょっと早く卒業した一人だけ。空白の7月の間、よく給仕をしてもらった元ウェイトレスさんだ。

演目が進むにつれ、間に挟まれたMCなどから、何か演者さんたちの関係性や物語の上にこのイベントがあるのに気づき始めたが、自分には人間関係など把握できるわけもなく。結局知っている曲はたった1曲、大昔の歌謡曲だけ。

自分はステージ上手側の2列目あたりの壁際で、演者さんに合わせてライトの色を変えて、振りを合わせたりしてみる。正直まったくついていけてない。
公演はご時世もあり声出し禁止。テレビで観たあの独特の世界を目の当たりにするのか?自分も混ざっちゃうのか?と、ちょっと期待した部分もあったけど、そういうライブとも違うようで、客席側は割と普通のまま演目は進む。

終盤でこのイベントの趣旨がねこさんのMCで補足され、その意味を知る。単なるねこさんの誕生日イベントではない。演者さんや客席の人たちは、お店で長い時間を共に過ごし、思い出を積み重ねてきていた。共に大切な時間を共有してきた人たちへの感謝だった。

自分は思い出になるほどの時間を共有してきた訳でも無く、何か印象に残る出来事があった訳でもない。他の人々とどんな時間が共有されてきたのか想像もできない完全な外様だ。ただ、ふと見渡した観客席のお客さん達がステージを見守る目を見ると、きっと楽しい時間が流れていたんだろうな、と想像する。

ステージが終わる。更に物販があるようで、主催のねこさんはその準備に駆け回っている。近くを通りかかった時に「楽しかったです」と声をかけてみた。ねこさんに声は届いた様だけど目線をちょっと向けられただけで、物販準備のバタバタの中に消えていく。

周りの人たちは知り合いが多く、観客同士も演者さんとも楽しそうに会話している。居場所が無い自分はそそくさとライブハウスを後にした。

ねこさんは主人公で、自分はエキストラ。予想どおりやっぱり距離は遠かった。だけど四半世紀ぶりにライブハウスに足を運び、全身で音を浴びた後は不思議と距離の遠さよりも懐かしさと高揚感が優っていた。

このイベントのちょっと前に、新たに次のねこさんのイベントが発表された。そして懲りずにまたイベントに参加しようとする。

次の舞台は新宿 歌舞伎町。

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