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ブランチとコヒーレント (4)

2021年9月のコヒーレント

これが最後の機会かと思っていたNECO Rockより一週間ほど前、ねこNoteに次のイベント日程が掲載された。新宿歌舞伎町の片隅にある、とあるコンセプトカフェ…コンカフェと略される…にて、ねこさんがゲストとして迎えられ一日店長となるイベント。あのメイド喫茶をコンカフェの一種としないならば、コンカフェと言われるものに行ったことが無い自分はその世界の常識を知らず、若干腰が引けつつも覗いてみようと決心する。

昼間の歌舞伎町は自分がかつて見ていた夜の風景とはまた違っていて、距離感からして違う。ビルの入り口が見つけられずに周辺をうろちょろして開店時間に少々間に合わない。ようやっと外に置いてある手書きの看板が目に入り、とっくに目的地に到達していたことを知る。

エレベータを4階で降り、昭和っぽいスチールのドアに掛かった [Music Bar Corda]という看板を確認する。この中にねこさんがいるのか。どんなところなんだろう。

ちょっと軋んだ金属音を立てるドアを開けると、騒がしくはないけど色々な人の声が聞こえ始める。

「いらっしゃーい、手の消毒と検温のご協力をお願いしまーす」

元気な声で出迎えられる。マンションの一室のような間取りに、カウンター数席とテーブル席数席。店員さん…キャストさんはセーラー服的な意匠の色違いの制服を身に纏っている。Music Barらしいけど、ぱっと見はちょっとよくわからない。店内は動画サイトで聴いたことがある、ねこさんの曲が掛かっている。

元気な声の主は初めて会う人、吉岡 果南さん。ネームプレートに [店長] [(社員)] と書いてある。カウンターキッチンで忙しそうに何かをしながら、顔をこちらに向ける。キリッとした目が飛び込んできた。マスクで顔は目元しか見えないけど、間違いなく美人さんだ。そう囁くのよ、私の人生経験が。

奥には一人、ボブくらいの短めの髪のキャストさんが真剣な眼差しで飲み物を準備している。果南さんの手前では、ねこさんが壁際の調理場所でうなりながら開店と同時に一気に発生した注文を受けて仕事をしている。

「あーマスクメロンさん、いらっしゃい。きてくれたんだね。」

一旦調理の手を止めてこちらを向き、真っ直ぐな視線を自分に向けてくれた後、すぐ真剣な顔で再び調理に向かう。ねこさんの事は何も知らないけど、横顔に生真面目な部分が透けて見える。

他のお客さんは常連さんらしく、皆要領を得ている様子だった。あのメイド喫茶で見た事があるお客さんもいる。「空いてる席にどうぞー」と最後の空席を案内され、テーブル席に座る。満席。

席に着くと、とても細身のキャストさんがメニューとおしぼりを持ってきた。この前の NECO Rock で演者さんだった人だ。自分の知り合いに同タイプは見当たらない、不思議なメイクとオーラを纏っていて2.5次元的な綺麗さがある、まよいさん。いつもながら完全アウェイの環境下、顔を見た事がある人が一人増えるだけでも心強い。

「私は初めましてじゃないのですが、初めまして。NECO Rockに参加したのでお姿はステージで拝見してまして」

あーはいはい、と自分が来店した筋を把握しお店のシステムの説明を始めてくれる。今日のスペシャルメニュー、ねこさんお手製フードとデザート、同じくねこさん選定の豆で淹れたコーヒーを勧められその通りに。

飲食店は普通キッチン担当とホール担当は分担されていて、誰が作っているか知ることができない場合も多い。だけど今日はねこさんのお手製が確定。
ねこさんが作ったご飯が食べられるというだけでもかなりポイントが高い。

一通り他のお客さんへの配膳が終わり、一番最後に到着した自分への配膳の番に。大きな丸皿の上にはシンプルなオムライス、副菜にサラダ。最後にケチャップで装飾してもらい、できあがり。

ねこさんが作ってくれた料理を初めて口にする。忖度抜きでおいしい、正統派の味。けど、旨いまずいを抜きにして、自分のために手間をかけてもらう食事って、それ以上の何かがあるよね。

食事が一通り行き渡ると、ねこさんは自分のテーブルのところにとことことやってくる。

「マスクメロンさんの名前って、あの漢字で たかのりって読むの?それともペンネームみたいに読みを当ててる?」

自分の名前の漢字は正直難しい。漢和辞典でも括弧でくくられて読みが表記されるようなレアな読み方。SNSは漢字で名前を登録していないケースが多く、いつもローマ字表記、しかもほとんど発信しておらず、いつも情報の海に沈んでいて浮かび上がることはまずない。

ねこさんがどこで自分の漢字表記を発見したのかその瞬間は皆目見当がつかなかった。しかし、自分の存在を認識してくれていたんだ、ってことで一気に舞い上がる。個人情報保護?そんなのくそくらえだ、このケースは。

自分はその瞬間、自分の名前が漢字で書かれている物…と考え、咄嗟にカバンの中に入っていた名刺入れを取り出し、席を立ってねこさんに自分の仕事の名刺を差し出す。隣の席のお客さんが笑顔でえーっという感じで驚く。
ねこさんはにゃはははと笑い、自分の名刺を両手で受け取る。

「マスクメロンさんって私の名刺持ってたっけ?」
「持ってないです。あるんですか?」
「これね、裏にQRコードが並んでて読み取らせたいやつをなかなか狙えないんだけど…」

ねこさんに差し出された名刺を、名刺入れを添えて両手で受け取る。
ねこさんがボーカルを務めるバンドのアートワークと同基調のデザインの名刺。裏面にはQRコードが3つ並んでいた。

実はお店を後にした後、仕事の名刺渡したのはやっぱり失敗だったかと思ったけど、まあいいか。ねこさんは信頼できそうだし。

一日店長、主役のねこさんは今日も忙しい。お客さん皆に対応するよう席を回り、キッチンと往復しながら調理する。到底ゆっくり話をするという状態ではない。

もっとお話をしてみたい。けど、話ができるような状態になったとしても、自分には話術があるわけでもなく、きっかけのネタも無い。こうやって眺めているくらいがちょうど良いのだろう。

食事を終えた頃、さっきカウンターの奥にいた、部分的に銀?と茶色のなかなか派手なボブのキャストさんが、デザートの準備のために席にくる。

「みみです。よろしくおねがいします。」

ものすごくおとなしそう、内気そうな感じ。物腰だけで判断するととても歌舞伎町のお店で働いているタイプではない。マスクで顔全体は分からないが、目尻が優しく下がっていて、多分自分の好みではある。

「注射こわいんですか?」

この後自分は感染症のワクチン接種を受けに行く予定になっていた。当然、Tシャツはこうなる。

このつっこみをおじさんは待っていた。果南さんもカウンター越しに会話に混ざりつつ笑顔を送ってくれる。ワクチン接種が今日これからと副反応の話をちょっと。ところがつっこみを待っていた割にはそんなに話が膨らむこともなく、膨らませる事もできずあっさり終了。

あのメイド喫茶は客席数が多い事も手伝って、ウェイトレスさんとのコミュニケーションは意識的にしないと発生しない事が多い。そりゃそうだ、カフェだもの。その点ここMusic Bar Cordaは客席数が少なかったり間取りの妙か、距離感が近くキャストさんと接する機会が多くなり、無理してきっかけを掴む様なわざとらしさも薄い。しかし、物理的な広さ狭さだけでは無い。

店員さんにつく… 推す… という、お客さんと店員さんの関係は特別なことではなく、大昔から普遍的にある。
ダイナーで働くウェイトレスのあの子であったり、喫茶店でバイトするあの子であったり。たくさんの映画の中でも日常の1シーンとして描かれる。そして関係性はだいたい片思いだ。

この映画の準主役、ちょっとキテレツで怠惰な列車操作場の溶接工ネッド。ダイナーでいつものウェイトレスさんに話しかけるも、ろくに相手にしてもらえない。そんな時、かかってきた電話の内容が尋常でない事から食事もそぞろにダイナーを飛び出て行く。ウェイトレスさんは気にも留めない。

その後、ネッドは一躍時の人に。彼はウェイトレスさんからのお株を上げたのだろうか。

家でも仕事場/学校でも無い第三の場所、サードプレイス。義務や必要性は抜きで自らの心に従い、進んで向かう場所。そこで行われるつまらない会話は、形は違えど世の潤滑剤としていつの時代にも存在している。

そうではない、客も店員も競わされる事で成り立つ業態の店もあるけど、それは挙動全てが摩擦と摩耗の世界。刻々と何かを消耗していく。しかしMusic Bar Cordaにはその反対の空気感があった。

それは人対人、当然色々な事があるだろう。果南さんは客席を見渡して、キャストさんの仕事やお客の状態に常に気を配っている。

その中でキャストさんらは自ら考え、また来て欲しいという気持ちを工夫しながら伝え、また自らも楽しんでいるような気がする。摩擦と摩耗という形ではない、そういうぱっと見わからないところへの配慮が、お店や、ひいてはお客さんさえ自然に導いているような気がする。

もしもその理解が正しいならば、このようなイベントではない普段、ここはどんなところなのだろう。自分の中で、ねこさんの存在とは別に、興味をそそられるお店に変化した。

ご時世もあり、平日仕事が終わってから行くには閉店時間に間に合わない状況が続いた。だけど秋葉原とは違い、普段利用している電車の路線にお店の最寄駅がある事も自分に都合良く、ねこさんがレギュラーキャストという訳ではないこのお店に、週末気が向くとふらり寄るようになった。

これが自分の知らない新たな世界を覗くきっかけとなるとは、その時の自分には想像する事もなかった訳だけど。

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