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ブランチとコヒーレント (35)

2023年8月のブランチ (1)

暑い… 2023年の夏は梅雨らしい雨はあまりなく、日に日に日差しは強まるばかり。疫病は普通の病気扱いになり、何度も来た波を経て、徐々に普通の日々に戻りつつある。

自分はというと、低いうなりをあげながら空調が冷やす部屋でひたすらPCのキーボードを叩き続ける。大きく変わったことと言えば、4年間使用した会社貸与のPCが新しい物に交換となり、スコスコ動いて生産性が上がった。そしてコードを書くと、するするっとAIが次の候補を提示してきてくれる。たまに素っ頓狂な提案してくる事あるけど、ちょっとヒントを出すと合わせてくる。大した物だ。

燎は新曲を発表、続いてデモCDが出ていつでも聴ける様になった。これはありがたい。早速PCに取り込んでおく。曲はスローテンポで淡々としたA/Bメロ、オケはその淡々さを引き継ぎながら、歪んだギターで首から肩が包み込まれるような感じ。歌詞は果南節で、なかなか解釈が難しい。今度話を聞いてみよう。

仕事をしながら、何度もリピート。だけど耳には音が届いているのに、音楽として頭の中に入ってこない。けどこれは楽曲のせいじゃない。

ある晩、コンカフェで注文したピザが調理後に忘れられてしまい、暫くして忘れてたともう一度火を通してから出された事があった。出来上がりを忘れていたキャストさんは再調理されたピザを出しながら、お詫びの言葉。そして店内の他の仕事へ。食品安全上は問題ない。

しばらくして、自分が座るカウンター席の前にとことことやってきて、じっとしている。どうしたの、と声をかけると体はちょっと動くのだけど、何も言わずに俯いて立っている。何かしなきゃと思いながらも踏み切れていない佇まい。相手の気持ちなのか状況なのかを想像して、きっと申し訳ないと思いながら、次に何を言われてしまうんだろうと恐れながら言葉を発する事すらできなくなっている感じ。

気にしてる?と問うと、俯きながらほんの少しだけ頷く。気にしないで、と声を掛けると恐る恐る顔を上げて自分を見る。相手がここまで自分の気持ちなのか状況なのかを想像してくれている。ならば自分が状況を正したり解説するまでも無い。

自分がどんな顔をしていたのかわからないけど、キャストさんは自分の顔を見て目線が合うと、安堵と気まずさが混ざった複雑な表情をしながら、また仕事に戻ろうとする。彼女の振り向きざま、ふと、何か小さく言葉を発したようだけど、聞き取れなかった。けど、よかった、一言二言しか交わさなかったけど、互いに伝わったみたい。

そのキャストさんはその後ちょくちょく自分のことを気にしながら他のお客さんから振る舞われるお酒を飲んでテンションが上がり始める。

そしてそのキャストさんは勤務を終えてお客さんに変身、あちこちでお酒をもらって上機嫌。カウンターに座る自分の後ろに立って、自分の頭をシェイクし始めた。調子乗ってんな。カウンターの向こうに立つキャストさんに必死で目配せで助けを呼ぶも、誰も助けてくれない、賑やかな店内。

そんな感じでどうぞどうぞとやっている間に閉店時間に。
その晩のお会計、1万9千円。ちーん。

起きた事は少々ネガティブでも、気づいた時、一瞬だけでも相手の気持ちを想像した事が相手に伝わりさえすれば、最初は食い違っていても、互いに状況や気持ちを慮るような流れが始まり、後は何とでもなる。お店とお客とか、そういう関係よりもっともっとプリミティブな人と人の関係。

これだけでいいのにな、これがいいのにね。

8月のお盆期。会社の会議が急遽延期。そしてその日はライブがある。amuLseの三人と燎の二人が一つになった期間限定ユニット、&grAceのライブ。幸い会場は会社から近いし、これを逃したら以降、ライブを観に行く機会は目処がまったく立っていない。仕事の開始時間をずらして観に行くことにして、大急ぎでチケットの予約を取る。

仕事用のカバンに無理やりカメラを詰める。会場は初めて行く原宿のホール。Webサイトを開いてみると、想像以上に広い会場だった。

ライブの会場にはぱっと見150人ほどが入場を待っている。しかもスタンディングではなく、席に座って観るスタイル。これは最前に辿り着けそうもないし、着席となるとカメラからの光軸は舞台に届かない。今日は撮影無理っぽい。と、2列目中央にポツンと空いている席がありまずはそこへ。

すると、最前列には最前管理している一群が。以前こんな感じの事があり、あー嫌な感じと思いつつも、ダメ元で一声「トップの演者さんの時変わっていただけませんか?」と声をかけてみる。

すると、「ちょっと待ってね…」とスマホ上でメモ後、しばらくの間更に色々な人の要望を集めてる。そして睨めっこ、「トッパーのみですよね?どうぞ!」と席を譲られる。なんと。こう言う行動様式もあるんだな。

BGMの音量がグッと上がり、下がったかと思うとこれまでに何回か聞いたインタールード。照明が落ち、ステージの背景にはLEDスクリーンにロゴが映し出される。amuLseのみみまるさんを先頭に一人ずつステージにポジションどる。&grAceのライブが始まる。

しかし、そこにねこさんはいない。この日のライブ、ねこさんは昼の仕事の関係で出演できず。最前列のど真ん中なのに、誰にも煙たがられる事なく写真が撮れる珍しいチャンス。自分はひたすら4人の写真を撮り続ける。

ねこさんがいないステージの写真を撮る気持ちは、なんだろう、職業写真家になった気分。不思議とファインダーの四隅に注意を払ったり、振り付けに入るタイミングを計ったり、など、冷静に小さな液晶画面を見る事ができる。

結局、撮影枚数は今までの1/4程度なのにOKと上がった写真の枚数は変わらなかった。普段の4倍の撮れ高。これが何を意味するのかは今の自分には説明がつかない。

そして、この日の物販は果南さんとかなりの長話をした。
ありがとう、色々ぶちまけちゃった。

2023年8月のブランチ (2)

流行り病が始まり、自分の行動パターンが変わり、今までに接することが無い人々とコミュニケーションを取り、新しい世界を垣間見た1年半だった。

燎の写真を撮り続けてきたけれども、ねこさんがいないステージを始めて撮った時の歩留まりの高さには、驚くばかり。カメラを構える自分はとても冷静だった。時間が経って、これまで撮影した写真がインターネットの藻屑となった時、なんであんなに冷静だったのか、腹落ちする理由が見つかるのだろうか。それとも理由が見つかった時、削除コマンドを実行するのだろうか。

燎のデビューの時に聞いた「海鳴りサテライト」は、自分にとってはいつか口に含んだシングルカスク ウイスキーのように自分の脳裏に刻まれている。燎の楽曲は、燎という瓶にボトリングされている、琥珀色の液体の様。自分はこれまでそれを自分の宝物を置く本棚の一番奥に置いていた。けれども、今はその棚はがらんどうだ。

写真の容量が増えていくたびに、ブランチはどんどん加速していった。いつぞやのコンカフェであった様な、ちょっとだけ相手の事を考えれば良かったような事すらできず、そのままブランチを続けてきた。そのうち燎の曲はおろか、音楽自体聴く事が嫌になって、11ヶ月ほぼ毎日続けてきたギターを握らなくなった。新曲はまったく頭に入らなくなった。

そしてある日、ちょっとした、本当にちょっとした事でブランチが折れた。正確に言うと、折った。自分自身で。

その後、多分数十時間を掛けて本棚の中身がこれまでどうなっていたのかを考えた。全て合点がいくとはならなかったけど、どんな世界線であっても本棚の中身の行き着く収束点が見えた。そして翌日の朝、3時間ほどしか眠れなかったけれども、起きたタイミングが良かったのかすぱっと目が覚めた。

その朝、それまでファントムペインを伴っていた自分の体の一部が完全に切り離されて、痛みが消えていた。

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