雑記…5年目の3月11日を前に

明日で2011年3月11日から5年です。

あの日、私は川越のアトレというデパートの眼科にいて、初めてのコンタクトレンズを買おうとしていた。
待合室のソファーに座っていたら、ん? なんか揺れてる?
隣に座っていたおねえさんと「揺れてますよね?」と顔を見合わせた時だった。
すごい揺れになったのは。
その眼科には壁に額に入った絵が飾られていて看護師さんが
「あぶないので壁から離れてください!」とさけんだ。
外にでた。
ケータイが鳴った。父からだった。
「無事だな?わかった。」それだけだった。
眼科さんは受付した患者さんは最後まで全員診てくれた。
「初めてのコンタクトレンズなのに大変な日になっちゃったね。」先生が言った。
その後その日のアトレの営業は全館終了になった。

運よく私は自転車で来ていたので家にすぐ帰れた。当時無職だった妹は家にいて無事だった。母は勤め先からバスとタクシーを乗り継いで帰ってきた。父は仙台に出張に行って新幹線が止まって帰って来れなくなった同僚の人達を車で迎えに行ったと母が言った。
テレビ埼玉はずっと大宮駅のロータリーを映していた。
父の実家は岩手県の内陸部。伯父と連絡がとれない。大伯母とも。宮城県気仙沼市に住んでいる父の従兄弟の安否がわからなかった。
数日後、伯父から私のケータイにショートメールがきて
「電気もトイレも水道も使えない、ピー(伯父が飼ってる猫)も不安そう」
たったそれだけだったけど無事でよかったと心から思った。
それからまた数日後、大伯母とも電話が通じて、気仙沼の父の従兄弟さんは大伯母さんの家にいることがわかった。なんだか、電話の向こうはお正月みたいににぎやかだった。

私はその頃卒業式を控えた専門学校生だった。中野の学童クラブのバイトに行くのも電車が計画停電で何本かしか動かないような感じで大変だった。
子ども達は外で遊べない、おやつが手に入らない、歌う歌はぽぽぽぽーんばかりといった感じだった。

卒業式では被災地を思い、黙祷した。
電車が動かず出席できない生徒もいた。謝恩会は中止になった。

日々は過ぎていったけれども、悲しいことに三年後の2014年のゴールデンウィークに友達が逝った。
彼女は震災当時千葉にいたのだけど、放射能を心配して単身関西のほうへ避難した。しかし、親戚のいない土地での一人暮らしはつらかったようで、心を病んで千葉へ帰ってきた。そして自分で命を絶ってしまった。
もっと頻繁に会っていれば、話をきいていれば、後悔すればきりがないけれど、今も思う。
最後に会ったのは2013年12月。
デパートでプリクラをとって韓国料理を食べて彼女の家でふなっしーのビデオを見ながら、アップルパイを食べた。

お葬式で骨を拾った。お葬式には今まで数回しかでたことないけれど今までで一番悲しいお葬式だった。

その二ヶ月後、猫を拾った。7月2日に拾ったので、夏と名付けた。
動物病院で生後二ヶ月ですね、と言われた時、あ、二ヶ月前は友達の命日だ、と思った。
なので、夏は亡くなった友達がさみしくないように私にくれた猫だとそう思っている。
夏は5月で二歳になる。友達の死から二年になる。私は8月に30歳になる。29歳で逝った友達の歳を追い越す。



M、私はMが亡くなってからも仕事を始めたりやめたりくりかえし、未だ嫁に行く気配もなく(泣笑)最近は精神科や産婦人科、皮膚科などなどいろんな病院いったり来たりだよ…
転職しようと思って、ハローワークの職業訓練受けようと試験受けたら受かったよ。私がんばるよ!

でも、今は病院の帰りなんだけど、先生に100%じゃなくて70%の力でがんばりなさいって言われたよ。あと、人からの誘いはやりたくない場合は断る練習しなさいって。
自分という生き物を確立するのがとうぶんの私の課題だね。

言ってもしょうがないことだけどMとまたTwitterでばかな話したいなあって思う…

あなたがいなくてすごくさみしいです。

大震災は、いろんなものを奪っていったなあ。

とりあえず私は生きていきます。

追記:…夏はさみしくないようにMがくれたと思ってるって言ったくせに“あなたがいなくてすごくさみしいです。”って……矛盾してるじゃん。M、ごめん!悲しみに浸ってばかりじゃだめだね

#東日本大震災
#311

さらに追記:
私の両親は共働きだったため、私は小学生の時、学童クラブに通っており、今でも毎年年末になると、忘年会という名の同窓会みたいなものをする。
うちの両親(特に母)はそんなにお酒に強くないのだが、他の親たちは酒豪ぞろいでおっそろしいのだけれど、まあ、お互いの親たちは仲良しだ。

で、妹の同級生にトモ君というニックネームの男の子がいるのだが、その子の両親は東京電力に勤めていた。(今、トモ君のお母さんは辞めちゃって別のお仕事しているが)
トモ君のお父さんは優しくてみんな元気かー?みたいな人なのだが、一昨年、忘年会に私が出たときは
「うちの会社が迷惑かけてすみません。カンパーイ」
とご挨拶をした。

「なに、たまちゃん一人暮らしやめちゃったの?」と、トモ君のお父さんが言ったので、やめようと思ってた直後に、友達Mが、死んじゃって…と言ったところ、トモ君のお父さんがこう言った。

「そうか~。おじさんの部下も2人自殺しちゃってな~」

私は絶対にトモ君のお父さんには、Mのことは話せないと思った。(ここに書いちゃってるけど。)

毎年、夏にMにはお線香あげに、Mのうちに行っているのだけど、Mのお父さんは高校の教師をしていて、その話をMのお父さんに話してみた。

すると、Mのお父さんが、こう言った。

「…実は私の父も東京電力に勤めていたんだよ。」

なんで、こんなふうになっている?

誰も責められない。

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