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音の面影、最後の想い出(2)

それから毎日のように、ゴールデンウィークのあいだ、俺は老人ホームへ通った。

四月二十九日
朝十時に老人ホームの祖母の部屋へ行くと、
「マサルさん。」
と祖母が出迎えた。老人ホームの職員さんが、
「昨日から、マサルさん、って息を吹きかえしたみたいに、やす子さん元気でね、良かったわね~。今日もマサルさん来てくれましたよ~」と言った。

「マサルさん、私も女学校を出たら音楽学校へ行きたいわ。だから、これからもピアノを教えて下さる?」
女学校? 今、ばあちゃんは女学生のつもりなのか…
「ええと…」
マサルさん、という人はいったい誰なんだろうか?ピアノが弾けるようだが…
「僕はギターしか弾けないんですが…」
すると、祖母は、
「まあ、マサルさん、ギターもお弾きになるの? すごいわ。今度いらした時、弾いてくださる?」
俺は高校時代、軽音楽部でギターを弾いていて、大学でもバンドサークルに入ろうと思っているところだった。
「は、はい…」

四月三十日
実家に置いたままだったアコースティックギターは、弦がさびていて、交換が必要だったが、まだぜんぜん使えたので、かついで老人ホームの祖母の部屋へ持っていった。
祖母は、「まあ。」と言って、チューニングする俺を見ていた。
俺は祖母の知っている曲を本当は弾いてあげたかったが、今の祖母(女学生?)の知っている曲はわからないな、と思い、少し恥ずかしかったが自分の作った曲を弾いて歌った。

♪今でも思っているから かなしまないで
いつまでもその笑顔忘れないでね
僕と離れても 元気でいて…

歌い終わると祖母は拍手をしてくれた。
「素敵ね、マサルさん。ご自分でお作りになったの?」
「は、はい。」
高校時代に彼女にフラれた時に作った曲だったので、すごく恥ずかしかった。
「私、その歌、いつまでも忘れないわ。」
そして、俺の目を見て、
「だから私のこともお忘れにならないでね。」
そう言うと、

♪兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

と、俺も知っている曲を歌い始めた。

♪志をはたして
いつの日にか帰らん
山は青き故郷
水は清き故郷

俺は初めてこの曲の三番を聴いた。
その夜、地元の友達と呑みにいき、祖母のことを話すと、
「そのマサルさんて人、お前のおばあちゃんの恋人だったんじゃね?」
と幼なじみの歩が言った。
「ほら、そのマサルさんて人がさ、兵隊になって戦争に行っちゃって、生き別れた、とかさ。」
たしかに、その説はありそうだ。
「俺、どうすればいいのかなあ…」と言うと、今度は晴弥が、
「今、おばあちゃん元気なんだろ?おばあちゃんのためだと思って、その“マサルさん”になりきってやれよ。」
「うん。」

(つづく)

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