1998年6月13日
*この随筆は、文芸埼玉第100号248ページに掲載されたものです*
この文章は私が今まで取っておいた1999年の手帳にずっと、なんの記念になるのかは、わかりませんが、ノートの切れはしに書いて、はさんであったものです。
……今日、ナミコちゃん(当時の妹の友達)とマオ(妹)が部屋の中で、ビーチボールで遊んでいて、お母さんが大事にそだてていたうえ木をダメにしてしまった。
そのあとお母さんがなかなか帰ってこないから、先に帰ってきた、お父さんと、マオとで、夕はんのカレーを作っていたら、お母さんが帰ってきた。とうぜん、うえ木を見て、お母さんは、おこって、マオをしかりつけた。けれど、マオはロクにあやまりもしないで、ぶったお母さんにぶちかえした。お母さんのいかりがピークにたっした。
そのあと、カレーができたから、食べようと思ったら、マオは部屋にとじこもっているうちにねむってしまった。お母さんも食べたくないといった。それで、わたしとお父さんの二人で食べた。
カレーは、のこりものの、ごはんで、冷たかったし、お父さんのもり方も下手で、「おいしくない」っていいながら食べた。
このとき、お母さんのカレーの方が何百倍もおいしいって思った。
けれど、そんなこといったら、手つだってくれた、お父さんに悪いと思って、全部泣きながら食べた。
泣きながら、食べていたら、お母さんが「メソメソして食べてるんじゃない」っていって、お父さんと口(こう)ろんになった。お父さんは、「……お前なあ……」といって二人は大ゲンカになった。
結局、カレーとおやつの時に作ったお母さんの分の牛にゅうプリンは、食べてもらえなかった。
でも、お母さんは仕事とかでつかれているうえに、ああいうことがあったら、ふつうはおこるとおもう。
とにかく、わたし、タマミの、今までのせいかつの中で一ばん 悲しい夜だった。
そのあと お母さんが、カレー、食べるっていってくれた。
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