Fukushima50 【映画感想】
風さん熱はちょっと置いておいて、先日見た映画の感想など。(amazonプライムで400円なり。)
これから映画や本の感想、ものづくりの品々なども時々アップしていきたいなと思っているのでよろしくです。
まざまざと思い出すあの日のこと
怖い映画が苦手だ。戦争映画は特にダメ。
この映画も、地震、津波、原発事故のことをかなりリアルに再現していると聞いていたので、自分からは観たりしない類のもの。
でも夫が、本がとても良かったから映画も見たいと言い出し、それならばとつい横に座ってしまった。
あっという間に惹き込まれた。
ドキドキしながらも目を離すことが出来なくなった。
東北からはかなり遠い場所に住んでいる私でさえ、あの時の恐怖や不安が蘇ってきたから、きっと実際に被災した方々は恐ろしすぎて見ることができないだろう。フラッシュバックで体調がおかしくなるのではないか。そのくらいリアルだった。
見どころ
はじめはあの日起きたことが時系列で描かれる。
大きな地震、津波警報……でもこの高さなら大丈夫だろうと最初は誰もが高を括っていたこと。けれど、予測もしなかった高さと速さで原発がやられてしまったこと。
そこに従事する人々の焦り、必死の対応。
現場が決死の思いでやっているのに、無茶を言ったり、体面を気にしてばかりの本社や政府。
当時の某首相の本当に腹立たしい無能ぶり!(それどころかあのタイミングで視察なんて邪魔でしかない)
……というような、ドキュメンタリー的な要素は後世の人に残しておくためにももちろん重要だし有効だと思うのだが、個人的にこの映画の見どころは、登場人物一人一人の背景や想いではないだろうかと思う。
責任感と大切な人への想いとのはざまで
なにが感動したって、自分たちも被爆の危険性どころか命の危険さえもがありながら、進んで「原子炉の中に入る」と手を挙げる人がいたこと。
全ての電源が奪われ、真っ暗闇の中での危険を伴う作業、本当はどんなにか怖かったことか。
もしかしたらもう家族や大切な人と会うことはできないかもしれないと、そんな思いも頭をよぎったに違いない。
けれど、使命感に燃え、仕事への誇りと責任感に厚く、近隣住人たちを守れるのは自分たちだけだという気もちから、命がけで戦ってくれた人たちがいたからこそ、最悪の事態は免れたのだ。
結末が分かっているのにドキドキしてたまらなかった。
自分だったらどう行動しただろうかと考えた。
正直、その場にいなければどう行動するのか分からない。
でも少なくとも私は感動した。大切な人のことを思い出し、葛藤し、恐怖心を克服し立ち向かってくれた人々の姿に感動して泣いた。
この感動をいざという時に活かせる人間でありたいと思った。
今願うこと
あの事故から10年が経とうとしている。
あの時現場にいた方々は、少なからず被爆してしまったはずだ。
吉田所長は、すでに癌で亡くなられている。(因果関係は分からないから軽率なことは言えないけれど、直接的な被爆に加え、相当のストレスも命を縮めてしまったことと関係がないとは思えない)
当時必死で対応し、被爆しながら作業をしてくれた東電の現場の社員の方がは今どうしていらっしゃるのだろう。
「東電」が悪い、と一括りにするような報道に、私は違和感を覚える。
一人一人の社員の方は、危険を顧みず第一原発の中に入ったり、基準値をはるかに上回る線量の中でがれきの撤去作業をしたり、命がけで戦ってくれたはずなのだ。
そしてその一人一人が被害者でもあるのだ。
それを忘れて安全な場所から責めることの残酷さ・非情さを考えてほしい。
それから、10年経ってあの頃の空気も薄れてしまっている今、きちんと不測の事態に備えている人が何人いるだろうか?
原子力に変わるエネルギーへの変換を!と訴え続けている人がどれくらいいるだろうか?
自分自身も含め、また今までと同じ便利な生活に戻ってしまい、どうしたら後世の人々が安心して暮らせる環境を守れるのかを考え続けることを忘れてはいないか。
そして、被爆した人々への偏見があることも忘れてはならないだろう。
話は少し飛躍するが、今はコロナに罹った人への偏見もあるらしい。
毎日緊張状態の中、疲弊しながらも働いてくれている医療従事者の方々に、心無い言葉をかける人がいるという。
同じじゃないか、福島で被災した方々への態度と。
支援とか応援とか、できないならできなくてもいい。
ただ、せめて感謝の気もちやねぎらいの気もちを持っていたい。
「Fukushima」とローマ字表記で特別な意味を持たされた場所に住む方々は、それだけでもすでに傷ついている。
もしそれが自分や自分の家族だったら……と想像し心に寄り添える人間でありたいと思う。
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