見出し画像

LOVE ALL SERVE ALL 新曲について、その2

毎日風三昧の日々、いいことか悪いことか分からないけど、LASAかLACAしか聴いてない。(多分いいこと)
今日は「それでは、」について語ってみたいと思う。
いつものように独断と偏見に満ちているのでご容赦ください。

まずはアレンジやボーカルについて。

エモの代表のような1曲。
風さん自身「映画音楽のような曲を作ってみたかった」と語っていたこの曲は、美しいピアノソロに通奏低音の弦の音、そこに風さんの低い声で「あたたかな日差しに……」と歌いだすところから始まる。
最初からなんとしっとりと心に沁みることだろう。
全体にシンプルで優しいアレンジだが、ピアノと弦のハーモニーが得も言えず美しい。途中のピチカートがクラシックを思い起こさせる。
そこに風さんの落ち着いた癒しヴォイスが重なり、それだけで涙がこみ上げてくる。

後半の「いつか行き着く場所はたった一つだけ」の盛り上がりは、ミュージカル映画のクライマックスのよう。

そこから一瞬のブレイクののち、静けさの中から立ち上がる吐息交じりの風ヴォイスふたたび!
美しいファルセットで一気に最後まで。
あまりにも力の抜けた歌い方が、歌詞の「それでは、お元気で」と呼応するようで、私はここで必ず泣く!
特に「お元気で」の「で」の声の成分がたまらない。
ピアノの超絶テクに隠れてあまり言われていないようだが、風さんはもともと歌のとても上手い人だ。
しかも1作目の頃と比べ、最近の風さんは相当なボーカルテクニックを手に入れていると思う。

歌詞は「死」を歌っている?

私がいつも泣きそうになるのは、美しいメロディラインやアレンジだけの故ではなく、やはりその歌詞だ。

真っ直ぐな小径
曲がりくねった坂道
いつか行き着く
もうすぐ春が来る
(中略)
いつか行き着く
場所はたった一つだけ

会いに行く
幾重の闇を超えて
微笑み湛えて

それでは、お元気で

いつか行き着くたった一つの場所というのは、きっと魂が安らぐ場所、この世にはない場所。
そこに会いに行くのは、先に行った(逝った)愛する人たち。
明るいだけではない、幾重もの闇もあった人生を終えて、微笑みを湛えて「帰る」とき、ただ「それでは、お元気で」と残る人たちに告げて行く……。(涙腺崩壊)

「ガーデン」でもそう思ったが、藤井風は詩人だったんだ。
曲が先に出来て、曲が言葉を連れてくるのを待つんだと語っていたけれど、彼の中にある一貫した生や死、そして人生についての考え方が当然そこに反映されている。
それは「帰ろう」や「旅路」にも色濃く出てはいたし、この曲も間違いなくその流れである。
けれどこの歌では多くを語らず、叙景詩のようなさりげなさで美しく見事に死生観を歌いあげている。
私には、冒頭の部分の歌詞が難解なのだけど、英語の歌詞のほうが分かりやすい。ここに出てくる「あなた」("you”)は、神様のような存在のことだと思う。
靄に邪魔をされて、あの丘(天国?)で大いなる愛が待っていても、まだ見えない。
けれど、住む者もない荒野、そして空っぽの自分でも、豊かな果実に口づけることができるんだ、あたたかな日差しに自らを差し出すときには。
(……う~ん、実はこのあたりは自信がない。)

それでも、ここで使われている”I'll come back to you" という一文から、「死」を「帰る」ことだと捉え(日本語だと「会いに行く」になっている)自分を全て解き放って大いなるものの前にひれ伏し、何も持たずに帰ることを歌っているように思えてならない。

「帰ろう」の続編なのか。

そう、つまりあの名曲「帰ろう」をややリリカルな言葉にしてもう一度私たちに示してくれているのではないか。
美し過ぎるメロディに乗せて。

yaffleさんの素晴らしさ。

風さんはバンドの経験もなく、ひたすらにピアノの弾き語りというスタイルを貫いてきた人。
だから、バンドアレンジとか他の楽器の入れ方とかについては、やはり大いにyaffleさんに頼ったのではないだろうか。
もちろん「まつり」で「和楽器の笛みたいな音を入れたい」などという要望があって、それが「篠笛」にピッタリはまったように、どの曲でもある程度の希望は出したと思う。
それを、本格的にバンドをやったりクラシックを学んだりしてきたアレンジャーが見事に形にしていったのだろう。
風さんの想いを伝える最高の方法を探りながら。
この「それでは、」は、音数も楽器の種類も少なく、ひたすら引き算の美学で楽器と声のもつ表現力を信じて作られた名曲だと思う。

あ、また語り過ぎたようで。
次回はもう少し簡潔に書けたらいいな。
最後までお読みいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?