【サロンから見る音楽史】 vol.2 上流階級の社交界

サロン文化は、どのようにフランスへ入ってきたのでしょうか?


貴族、特に宮廷貴族の華やかなパリで盛んに育まれたことは、みなさまの予想通りでしょう。


パリで初めての本格派のサロン、と言われているのが、1610年開催の

「ランブイエ侯爵夫人の文学サロン」

です。

音楽サロンではないのです…


ランブイエ侯爵夫人は、ローマ駐在フランス大使と、イタリア貴族のお嬢さまです。

イタリア貴族、ということでピンと来られた方も多いのではないでしょうか。

いまでこそ〈洗練された都パリ〉と言われているこの都は、イタリア貴族やメディチの大富豪から、あるいはハプスブルクなどの周辺王族からもたらされた数々の文化のおかげで磨かれていったのだ、ということを。


サロンもそうなのです。

ときの王はアンリ4世。そのフランス宮廷の水準に、イタリア上流階級から嫁いできたランブイエ侯爵夫人は我慢ができなかったのでしょう。

メディチというあまりにも名高い大パトロンのもとで、多くの素晴らしい芸術家の集う、華やかかつ知的な空間で育ってきたご婦人です。

ただただ王様のご機嫌取りしかしないような空間に耐えられなかったことは想像に難くありません。


そこでランブイエ侯爵夫人は自ら母国のサロンに倣って、ルネサンスの理想を持った市民芸術家や優秀な人材を招き、交流をはじめました。

ここで目的とされたのは、文学と会話を洗練させること。


音楽を鑑賞することを目的としたサロンは、まだもう少し先のお話です。

17世紀の貴族たちにとっての音楽は、食事の席を良い雰囲気にするため、あるいは権力を誇示するためのひとつの「道具」にすぎませんでした。

音楽家である私にとっては、まだまだ残念な時代です。。。


クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/