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がん体験備忘録♯10甲状腺編⑩〜声が出ないということ


 一大イベントを終えてやれやれ。

 通常の音楽の授業が戻ってきた。演奏の準備ばかりで鑑賞を後回しにしていたので、鑑賞の学習を進めた。こちらは問題なくできる。あとは…そうだ。共通教材をしなければ。
 4年生「もみじ」 5年生「冬景色」 6年生「ふるさと」… しかし、

歌えない(;_:)

 もちろん以前のように歌えるとは思っていない。が、「ちょっとくらいは出るだろう」思って「あー」とドの音を出してみるも、ひどいだみ声にしかならない。授業中にも関わらず、情けなさに涙が出そうになる。

 共通教材なので、もちろん教科書準拠の範唱CDはある。それを使えばよいのだが、あまりのひどい声に我ながら愕然とした。

「片方の声帯が生き残っただけでありがたい。のどの穴もいずれ塞ぐことができる」と前向きにとらえて退院したものの、声が出ないが故のストレスは少しずつ溜まっていくことになる。

 声帯の手術(披裂軟骨内転術)をするまでの2年間は、声帯が合わさらないため声帯の隙間から息が漏れ、声にするために大量の息を必要とする状態だった。言語聴覚士の先生によると、私のような状態の場合、通常の人の7倍以上の息を必要とするらしい。話していても、一つのセンテンスの間に息がなくなり、苦しくて何度も息継ぎをする始末。聞いている側も苦しかったと思う。

 こんな状態なので、授業をするときはウエストポーチ型のマイクが欠かせなかった。


このマイクが手放せなかった

が、逆に、これさえあればどうにかなった。問題はこのマイクを身に付けていない時だ。例えば…

○買い物で

「お支払い方法はいかがされますか?」
「スイカ(交通系ICカード)でお願いします」
「はい?」
「スイカで」
「聞こえないんですけど」
(スイカを見せる)

 こんな風にはっきりと「聞こえない」と言われたことは数少ないが、それでも数回はあった。意味もなく落ち込んだ。

 自然、なるべく店員さんとコミュニケーションを取らずに済む方法を選ぶようになる。店員さんに買いたいものを言うスタイルの店には行かない。ついには、「お支払いは?」と聞かれたときに、始めから黙ってカードを見せる始末。「なんて感じの悪い客」と自己嫌悪。

○電話が鳴った時

 職場で電話が鳴って自分がそばにいる時、一瞬出るのをためらってしまう。
「相手に声が聞こえないのでは」「聞こえるようにしゃべるの、疲れるし」「知っている人だったら、その声、どうしたの? って聞かれたら面倒だな」… 等々の考えが頭をかけめぐる。
 そして、そうこうしているうちに、遠くにいた別の人が飛んできて取ってくれる。「あー、ごめんなさい(-_-;)。『近くにいるんだから取れよ』って思われただろうな…」と、またまた自己嫌悪。
(ちなみにうちの職場はみんなとても優しい。完全に私の勝手な被害妄想)

○廊下で

 子供が走っているので「あぶないよ」と言うものの、聞こえていない。「おはよう」と言っても、うずくまっている子に「どうしたの? 大丈夫?」と言っても通じていない。ちょっとした会話ができない。無力感… もういいや、どうせ言っても伝わらないし…。そのうち、こちらから声をかけるのをやめてしまう。
 無表情、言葉を発しない人、何を考えているか分からない人…… 子供にとってなんとつまらない人だろう… と、これまた自己嫌悪。

○補教で

 担任が急遽学級を離れなければならない時など、マイクを音楽室に取りに行く間もなく、急いで自分が学級に入らなければいけない時があるが、先出の通り、マイクがなければもうアウト。

 特に低学年が相手だと、どうにもならない。黒板に書いてある程度はできても、時間が長くなったり、指示が少し複雑になったりしたらもうだめだ。そのうちワイワイ言い出し、軽く学級崩壊状態…

 風邪などで一時的に声が出ない時は、「今日は仕方ない」とあの手この手で乗り切ったが、普段から自己嫌悪、無力感を抱いているので、その気力がわかない。「やっぱりダメだ」と必要以上に落ち込む。

結局…

 話すたびに息切れがして、会話を楽しむには使うエネルギーが大きすぎる。聞く人も疲れるだろう。そう思うと、話しかける気持ちも萎む。気がつけば、たわいもないおしゃべりをしなくなっていた。元来大好きなのに…。
 仕事でも普段の生活でも、「声が出ない」ことのストレスは、少しずつ少しずつ心の底に澱が溜まるように積み重なっていたようにと思う。

 「命を落とす不安がないんだから、声が出ないことなんて…」と思おうとしたが、やはりそうもいかない。一つ一つのことは大したことではない。しかし、このようなことが重なると、明らかに精神的には不健康になる。

 「声」は他者とコミュニケーションをとるための大事な手段だ。声以外にもコミュニケーションをとる方法はもちろんあるが、やはりそれまで出ていた声が自由に使えなくなるということは、物理的にも精神的にも影響がある。その事がよく分かった。

 声帯の動きを司る反回神経は長いため、甲状腺以外の手術でも影響を受けることが多いらしい(肺・食道・咽頭…etc。) したがって、声が出なくて苦労をされている方は多いとのことだ。
 声以外の面でも、体の機能の一部が働かなくなることはあるだろう。そんな方に出会ったら「きっと何か事情がある中、がんばっていらっしゃるんだろうな」「何か自分にできることはないかな」と思う自分でありたい。

♯小学校音楽教員
♯声出ない
♯披裂軟骨内転術

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