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ベートーヴェン 交響曲第9番 合唱抜き

タイトルを読み、誤植(←死語)だろうな、と思った方は多いでしょう。

そうです、ベートーヴェン「交響曲第九番」は合唱「付」であって、決して「抜き(=なし)」ではない。日本の季節行事でもある年末の第九だって必ず合唱付です。日本だけではありません、めったに演奏されない海外でも第九は合唱付なのですから。

天の邪鬼の私は若い頃から「なぜ第九は《合唱付》という文言が付加されているのだろうか」と疑問を感じていました。合唱に関わりがないどころか高校から合唱部に所属し、大学でもまた性懲りもなく合唱団に入り、社会人になって以後、仕事でも少なからず合唱と関わりを持ち続けたこの私が、長いこと(というか今も)疑問の念を持ち続けています。

理由は、

ベートーヴェンの時代ならともかく、今は「第九」に合唱が付くことはほぼ常識みたいなもの。あえて「合唱付」と表記する必要があるのだろうか…と。まあ、屁理屈かもしれませんが。

前にメールマガジン「クラシック音楽夜話」でこう書いた時、一人の読者から「なぜ、そんなことに拘るのですか」と苦言メールを頂いたことがあります。

あなたはクラッシック音楽通だから、そういうことを言うのでしょうね。
あなたは『第九』は合唱付きが当然と思っていても、それを知らない人もいる。だから、オーケストラだけでなく合唱も一緒に演奏する、と知らせる意味で「合唱付」と表記する。どこが問題なのでしょう?

読者からのメール概要

と…。なんか微妙に怒っているみたいです。

「ははー」とひれ伏したくなり少し反省しましたが、心の中では以後も考えは変わっていません。

それに、これはネタですよ。屁理屈をネタにした一種のジョークです。そこを察していただきたかったけど、思いは伝わらないものです…。


ところで、今はどうなんでしょう。あいかわらず曲名の副題に「合唱付」とあるのでしょうか? と思って調べたところ、まだ、ありますね。

ただ、よく見ると、ジャケットの表記は欧文でSymphony No.9 "Choral" とあるものがほとんどです。帯などの日本語表記(昔のLPレコード時代も帯の表記がそうでした)、解説などで「合唱付」という文言が付いています。


「合唱付」があるなら、「合唱抜き」あるいは「合唱なし」のベートーヴェン交響曲第九番はないか?と…余計なことを考えるのが私の悪い癖。

天ぷらそばでも「天抜き」というのがありますし、カツカレー「ライス抜き」もあります(一般的ではありませんが、ドラマ「孤独のグルメ」で出てくる食堂、というより昼間から酒場のような中華屋さんに出てきました)。

孤独のグルメ シーズン2 第1話
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FIYZ3LY/ref=atv_dp_share_cu_r

チャーシュー麺麺抜きや、牛丼牛肉抜きというのはさすがないでしょうが。世の中には本来重要な構成のためのアイテムがないことに価値のあるものもありますから、きっとあるはず。
(そういえば、以前、わかめラーメンの麺なし「わかめラー」という商品がありましたね。今もあるようです)

と探したところ…そう、あったのです。

リスト編曲のピアノ独奏曲・ベートーヴェン「交響曲第九番」で、私はシプリアン・カツァリス演奏によるCDを昔入手しました(リストはベートーヴェン交響曲全部の編曲作品を残しています)。

交響曲をピアノ独奏曲にできるのか?と最初は疑心暗鬼で1番から順番に聴いたところ、まるで違和感なく、むしろ新鮮に思えました。ただ、オーケストラの音楽のピアノ用編曲はすんなり受け入れられるものの、人間の声入りの作品の再現は無理があるのではないか、と思ったのも事実。聴き進め第九に近づくにつれてその不安感はじわじわ押し寄せてきます。

いよいよ「第九」を聴き始め、第1楽章。静寂の中から聞こえる音色が徐々に数を増し、怒濤のような爆発の後、奏でられる猛々しいメロディは、まさに交響曲でした。それをピアノ一台で表現している驚き。

第2楽章、人々の噂話のようにも聞こえる小刻みなフレーズを見事に再現。雑踏を打ち破るような低音の打鍵はまさにティンパニー!ホルンの雄叫びも聞こえるようです。

第3楽章。ベートーヴェンのピアノソナタでもアダージョは定番で、もっとも好まれていますので、何の違和感もないのは当然。美しい音色に心安らぎしかし、少し不安なのは次の終章がどのように聞こえるか…。

さて、問題の第4楽章。1楽章から3楽章の再現はそれまで聴き、耳慣れた音です。いよいよ器楽による歓喜の歌のテーマの演奏が始まります。これも全く違和感はありません。オーケストラによる演奏で楽器が増えていくのと同じ錯覚さえ覚えるアレンジがワクワクさせてくれるこの不思議。

そして嵐の後、バリトンの独唱が!

あれ?これ人間の声ではないよね。ドイツ語の歌詞もないよね。そう。
ピアノが奏でる音に間違いない。でも全く違和感がないのですよ。あの歌の歌詞を覚えている私にはそのメロディが頭を駆け巡り、歌が聞こえてくる。ソプラノ、アルト、テノール、バスの四重唱も、合唱の各パートも。
トルコ行進曲風の音楽が始まり、聞こえるシンバルの音色、そしてテノールの甲高い独唱と男声合唱。間奏部の見事なオーケストラの掛け合いもそのまま再現されている。そして、合唱団全員で高らかに歌う「歓喜の歌」!

すみません、後は省略。

圧巻はエンディングです。あたかも合唱団とオーケストラ全部で私に立ち向かっているような、書き連ねるときりがないほど感動を、私はこのピアノ独奏曲「交響曲第九番《合唱抜き》」から与えてもらったのでした。


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