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バースタイン 開演前のスピーチ

(拍手喝采)
皆さん、心配ですか?心配ですよね…。でも、大丈夫。グールドさんはちゃんと来ていますよ。もうすぐ出てきます。

皆さんご承知のとおり、木曜日夜のプレビュー以外で、ふだん私がコンサート前に皆さんの前でお話する習慣はありません。

ただ、今夜は少し訳ありでして、ひとことふたことお話する方がよい、と考えたわけです。

今夜のブラームスピアノコンチェルト1番ですが…、
はっきりいって「普通じゃありません」
皆さんがいつも聴いている音楽とは別ものです。
私だって聴いたことがない、驚きの、これは正夢か?と疑うくらいの代物です、と言っておきましょう。

目玉は…、ブラームス自ら楽譜に示した指示書きを、グールドさんが拡大解釈した、きわめて激しい「七変化のテンポ」です。

言っておきますが、グールドさんのこの解釈…全面的に私が認めたわけではありませんよ。グールドさんは常に楽しい問いを私に投げるのです。
「私はいったい何を指揮をしているんだ?」と(穏やかな聴衆の笑い声)。

とはいっても、本音をいいますが、少し文句をいいたい。いわせてください。

「コンチェルトのボスは誰?ソリスト?それとも指揮者?どっち?だよ」って。
(聴衆は次第に大笑い)

もちろん、ケースバイケース。人によります。ソリストがボスの場合もあれば指揮者がボスの場合もあります。

ただ、普通は、お互いの説得能力や魅力、そして威圧力(聴衆笑う)を使って、存分に火花を散らした上で、最終的には協調と妥協で音楽を創り上げるものです。

でも、大きな声ではいえませんが、実は私、一度だけ、ソリストの極端に変な解釈、私と真逆の解釈を、不覚にも受け入れてしまった経験があります。
それがこの前のグールドさんとの共演です(聴衆大笑い)。

それはさておき、今回は両者の相互理解がない状態の演奏になるため、まるで契約書の免責事項みたいなスピーチで言い訳することにしました。

では、なぜ、それにもかかわらず今夜このコンサートを、私が指揮をするか、皆さん不思議に思いませんか?

ピアニストを変えてもらう、あるいは、指揮は私ではなくアシスタントに振らせる等々。演奏会後、取るに足らないちょっと悪評がわき出るのを防ぐ手立てはいくらでもあります。なのになぜ?と思うでしょう。

それはですね…。
実は…、私ワクワクしているんです。
これまで何度も演奏してきた作品が、新しい音楽に生まれ変わるその瞬間に関われるんですから。グールド氏のピアノは、想像を絶するほど新鮮な発見を授けてくれるのです。

第3点は…、これが重要。

私たちはみな、この希有のアーチスト、頭脳的演奏家からとてつもない新しい何かを学べます。実にラッキーです。

あの有名な指揮者ディミトリ・ミトロプーロスがよく語っていましたね。
「音楽には、「戯れ」「好奇心」「冒険」「実験」の要素が潜んでいる。」
まさに、それです。

さあ、今宵、グールド氏と私が手を携えて、ブラームスの協奏曲で、皆さんをその魂の冒険の旅(穏やかな聴衆の笑い)にご招待します。
(大喝采)

【筆者の言い訳】
これは、1962年、カーネギー・ホールで行われた「ブラームスピアノ協奏曲第1番」(指揮:レナード・バーンスタイン/ピアノ:グレン・グールド/管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)の演奏会における、演奏開始前のバーンスタインのスピーチ書き起こし英文にインスパイアされて筆者が創作したものです。翻訳ではありません。随所に脚色を加えていますので原文にない言い回しもあります。

※原文のリンクは貼りません。興味のある方はどうぞググってください。
※まだ推敲不足未熟なので、公開後も手を加えると思いますが、その点ご了承の上お読みください。…と最後まで言い訳。すみません。

村上春樹さんと小澤征爾さんの対談本「小澤征爾さんと音楽について話をする」(新潮社刊)には、冒頭、小澤さんが語るこの演奏会のエピソードが載っています。バーンスタインが「やーめた」とさじをなげてアシスタントに指揮を代わらせたならば、当時バーンスタインのアシスタント指揮者の小澤さんがこのコンサートを振ったかもしれません。まさに歴史の悪戯。


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