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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 15    


第一楽章 シューマンの物語 

 こうして再び同じ街に住むことになったシューマンとクララですが、
喜びもつかの間、ヴィーク先生は一度許したはずの二人の結婚に再び反対し始め、また二人が会う事を禁じてしまいました。

 手を伸ばせば届くような所に居ながら会えないのは、離れていて会えないよりもっと辛いことです。
 お互いの家をこっそりと訪ね、明かりのついた窓から愛しい人が姿を見せてくれるのではないかと期待しながら見上げることしかできません。街でばったり会っても、相変わらず人目を気にして知らんふりをしなくてはなりません。
 すぐにも結婚できると思っていたシューマンは、また心の病気になってしまい、作曲どころではありませんでした。

 一方、いつまでたってもシューマンの事をあきらめないクララに、ヴィーク先生の怒りも爆発寸前で、今まで演奏することでクララが稼いで貯めたお金を弟に譲らせ、次のパリへの演奏旅行には付いて行かないと言いだす始末。
状況はどんどん悪くなっていきます。

「もうこれ以上クララと同じ街に暮らすのは耐えられないし、何も変わらない。何とか別の道を考えよう。クララが言っていたようにウイーンで暮らすのはどうだろう。クララはウイーンでは人気者だし、音楽の好きな人が沢山いるウイーンでならぼくの『音楽新報』もきっとたくさん売れるにちがいない」

 そう考えたシューマンは、ともかく一人でウイーンへ行ってみることにしました。

「やっぱりあなたとまた離ればなれになるのはつらいわ。行かないで」
 シューマンの旅立ちの前、秋風吹く街角で二人は束の間の別れの時を持ちました。
「これは二人の将来のためなんだよ。何とか二人一緒にウイーンで暮らせるように準備をしてくる。時間があればぼくは君に会うために戻ってくるから心配しないで」
 涙を流すクララに後ろ髪を引かれながら、それでも希望を胸にウイーンへ向かったシューマンですが、事は簡単に運びません。というのも、ウイーンでは雑誌のチェックがきびしくて、よそものが簡単に新しい雑誌を出せるような状況ではなかったのです。

 その頃、クララから「結婚してウイーンで暮らしたい」と打ち明けられたヴィーク先生は、ついに怒りを爆発させてしまいます。クララのたった一人の味方だったナンニーもやめさせて、クララがシューマンと手紙をやりとりしていないか一層目を光らせるようになりました。
 その上、次のパリへの演奏旅行にはついて行かないとまで言い出したのです。
「私は一緒に行かないよ。行きたいなら勝手に一人で行けば良い。
そうでなければ、お前がシューマンと別れるか、こうやって冬の間ずっと家で私と顔を付きあわせているかどちらかになるな」
 そう言い放ち、クララが折れるのを期待したヴィーク先生ですが

「わかりました。パリへは一人で行きます。ロベルトだって一人ウイーンで頑張っているのですもの。私も負けずにしっかりしなくては」
と、クララは勇敢にも一人でパリへの長旅に出発したのです。
 ナンニーに代わって旅に一緒に行くのは、ヴィーク先生が連れてきたフランス人女性なので、心を許すことはできません。心細い思いで旅を続けるクララを大雪が襲い、なかなか先へ進むことができず立ち往生する事も度々。
 それでもクララは弱音を吐かず、まずはツヴィッカウに向かい、シューマンの兄夫婦と会うことができました。

「まあ、クララさん、こんな大雪のなか大変だったでしょう。ここはあなたの故郷のようなものだから、少しゆっくりしていらっしゃい」
 兄夫婦のやさしい心遣いはクララの冷え切った心を温めてくれるのでした。

「そういえば、あのエルネスティネがある伯爵と結婚したことをご存じ?」「え、本当ですか?それは良かったわ」

 長い間ひっかかっていたことが解決して、クララは心からほっとします。
二人の結婚を妨げるものがまた一つ減ったのです。

 しかし、まだ二十歳にもならないクララが一人で演奏旅行をするのは簡単なことではありません。行く先々でトラブルに見舞われ、練習用のピアノを探したり、演奏会場のピアノをチェックしたり、書類を書いたり、招待状を配ったりと、今までヴィーク先生が助けてくれていた沢山の雑用も一人でこなさなくてはならないので、なかなか自分の練習ができないのです。

 そんな、大変な状況での演奏会でしたが、クララの見事な演奏は音楽好きの人たちに受け入れられ、演奏会はいつも大成功!
 けれど、そのうち追いかけてくるだろうと思ったヴィーク先生は一向に現れないどころか、手紙を書いても返事が来ません。さすがのクララも心が折れてしまいそうになるのでした。

 2月にようやくパリに到着しますが、華やかなパリの街や社交界は、どちらかと言えば地味で内気なクララには居心地の良いものではありません。
 しかし、サロンなどで地道に演奏活動を続けていると、しだいに素晴らしい女性ピアニストが居るという噂が広まり、リストやタールベルク、マイヤーベーアと言った一流の音楽家たちとも親しくなったクララは「第二のリスト」などと言われてもてはやされるようになってゆきました。

 一方、シューマンはウイーンで何もできないまま空しい日々を過ごしていました。ベートーヴェンとシューベルトのお墓を訪ねたのは、そんな時です。尊敬する大作曲家のお墓の前で、シューマンは何を思ったのでしょうか。
 お墓にはなぜか古びたペンが一本落ちていました。それをポケットに入れて、彼はシューベルトのお兄さんを訪ねました。


フランツ・ペーター・シューベルト

「私は作曲をするのですが、以前からずっとシューベルトさんにあこがれているのです。良かったらお話をお聞かせ頂けますか?」

 早くに亡くなった弟の事をそんな風に言ってもらえお兄さんはとても喜び、
亡くなった時のままになっているシューベルトの遺した楽譜などを見せてくれました。
 
「沢山作品があるのですね。シューベルトさんは確か31歳で亡くなったんですよね。今の私とそんなに変わらないのに凄いなあ。
あ、この分厚い楽譜は何ですか?」
「ああ、それは弟が作った交響曲です。
とても長いのでなかなか演奏するのは難しいと思いますよ」

 しかし、楽譜を見たシューマンには、それが素晴らしい曲であるということがすぐにわかりました。
「是非私に預からせて下さい」

 シューマンはそれを持ち帰り、早速、親友のメンデルスゾーンのもとに送ります。彼はライプチヒのゲヴァントハウス・オーケストラの指揮者をしていたのです。
「凄い楽譜を発見したよ。まるで天国みたいに長い曲なんだ。
でも素晴らしい曲だよ。是非演奏してくれたまえ」

「なるほど、素晴らしい曲だ。必ず演奏するよ」

 楽譜を受け取ったメンデルスゾーンも二つ返事でその申し出を受け、この交響曲は「グレイト」としてのちに陽の目を見ることになります。
 音楽の歴史のうえでもこれは重要な発見でしたが、肝心のシューマンがウイーンで暮らしてゆくめどは一向に立ちません。

 しかし、見知らぬ街・パリに居るクララの頑張りや健気な姿は、シューマンにも勇気を与え、「ノヴェレッテ」(作品21)「花の曲」(作品19)「フモレスケ」(作品20)などの曲を生み出す力になりました。

 そんなシューマンの才能を誰よりも理解していたのは、やはりクララです。シューマンから新しい曲が届くたびに
「何て素晴らしいのでしょう。私の夫になる人は天才と呼ぶのにふさわしい人だわ。何とか多くの人に彼の音楽を知ってもらいたい」
 と、思うのでした。

 とは言うものの、ウイーンではまだシューマンの曲を弾く人は無く、いつまでたっても有名にはなれません。
 生活のめども立たず、ウイーンでの生活に嫌気がさしていたころ、お兄さんのエドゥアルトが重い病気だという知らせを受け取ったシューマンは、三月末に半年過ごしたウイーンを離れる決心をしました。
 しかし、ライプチヒに帰ってきたシューマンを待っていたのは、エドウアルトが亡くなったと言う知らせでした。また、すっかり気分が落ち込んでしまったシューマンは
「クララのためにも、もっと堅実な生活をしなければならない。兄さんが継いでいたお父さんの書店を、今度はぼくが引き継ごうか・・・」
などと思い悩むのでした。

 そのころ、クララはパリでのデビュー演奏会が決まり、これでピアニストとして広い世界で活躍できそうだという手ごたえを感じて張り切っていました。
 ところがそんなクララのもとへ、ヴィーク先生からとんでもない手紙が届きました。
「シューマンに十分な収入があって、お前と不自由なく暮らしていけるという保証があれば、今すぐにでも結婚を許してやる。
 しかし、それが無い限り絶対に許さない。お前は勘当だ。すぐに親子の縁を切る」

「可愛さ余って憎さひ百倍」という言葉がありますが、ヴィーク先生は大切なクララをシューマンに取られてしまうという思いから、だんだん常識では考えられないような行動をとるようになってしまったのです。
 
 悪化するばかりのお父さんとの関係にショックを受けながらも、何とか大切なパリでの初演奏会を終えることができたクララですが、その収入はほとんどありませんでした。パリでは色々な事に思いのほかお金がかかるのです。

「私にとってはお父様もロベルトも両方この世で一番大切な二人だわ。
お父様はどうして私の気持ちをわかって下さらないのかしら。
私はお父様には感謝しているし、心から愛しているのに。
それに、お父様だってロベルトの才能を認めているはず。
お父様は私たちにお金があれば結婚を許して下さると言っているのだから、
お金がたまるまで結婚を延ばしたらどうかしら」

1人でパリにいるクララは心細い思いでそんな事を考えます。

 しかし、シューマンはシューマンで、もう我慢の限界に来ていました。結婚を延ばそうというクララの手紙はシューマンを怒らせ、今度は自分たちが裁判所に結婚のお許しを願い出る裁判を起こすことを決意しました。

 クララも、どんなに心を尽くして訴えても耳を貸さないヴィーク先生の態度に、すべてを捨ててシューマンについていく決心を固めます。演奏会を終えてパリを離れたクララは、ひとりアンテンブルグという所に向かいました。そこには愛するロベルトが迎えに来てくれているはずです。

「クララ!よく来てくれたね」
「ロベルト!夢のようだわ。10か月ぶりよ。少しやせたのではない?」

 クララの心に不安な思いがよぎります。クララを手にするための戦いは、シューマンの心や身体を痛めつけていたのです。

「君がそばに居てくれればもうぼくは大丈夫だよ」
 決して離れないと誓った二人は、しっかりと手を握り合って戦う覚悟を決めました。

  裁判を起こすにあたって、シューマンはもう一人味方を作っていました。
クララの本当のお母さん、バルギール夫人です。ヴィーク先生と暮らしていくことに耐えられず、幼いクララを置いて家を出たお母さんは、再婚してベルリンに住んでいましたが、クララの事をずっと心配していました。
裁判所から、お母さんのお許しがあれば結婚を許しても良いと言われたシューマンは、バルギール夫人を訪ねて力になって欲しいと頼みました。

「この青年ならクララにぴったりだわ」
 そう思った夫人は喜んで二人の結婚を許し、クララはしばらく本当のお母さんと暮らす事になりました。

「あなたには苦労をさせてしまったわね。ごめんなさい。
こうやってまた一緒に過ごせるなんて夢のよう。それにしてもあなたのお父さんは本当にひどい人だわ。ロベルトとあなたはこんなにお似合いなのに。
あの人は昔から勝手で横暴な人でしたよ」

「私もなぜ父があそこまでロベルトを憎むのかわからないのです。
父には感謝もしているし、何とか私たちの気持ちをわかって欲しいのに。
本当は裁判なんてしたくないの」

 そんなクララの願いもむなしく、結局10月2日に一回目の裁判が行われました。ところがヴィーク先生は裁判所に姿を現さないばかりか、シューマンの悪口を書いてはあちこちに送り付けます。
 クララのお金ばかりか、持ちものも渡してくれません。冬が近づいているのにコートさえ渡してもらえないクララは、お金をかせぐために演奏会を開くことにしました。すると今度は、クララの悪口をあちこちに送り付け邪魔をする始末。当時人気者だった別の美人ピアニストに肩入れまでして、クララにあてつけます。

 しかし、クララはもう負けません。
 すると、12月の二回目の裁判にはヴィーク先生もやってきて、今度は興奮気味にシューマンとクララのことを非難するのです。

「ヴィークさん、すこし落ち着いて下さい」
 裁判長にたびたび注意されるお父さんの姿を見て、クララはくやしさや怒りよりも、悲しく情けない気持ちになって涙があふれてくるのを抑えられませんでした。








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