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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 29

第三楽章 シューマン、ブラームス…そしてクララの物語

  

2.それぞれの決意

 シューマンが入院したエンデニヒの病院は眺めのよい静かな場所で、彼には二部屋続きの広い部屋が与えられました。病院には、ボンという場所にふさわしく、ベートーベンの銅像もありました。

 初めは興奮していたシューマンも、自然に囲まれた病院で過ごすうちに次第に安定したように見えました。その後も良くなったかと思うとまた悪くなり、という事を繰り返しながら、それでも段々病状も気持ちも落ち着いてゆくのでした。

 ロベルト・シューマンが自殺未遂。
このショッキングなニュースを聞いて、クララの元には二人の友人やクララのお母さんが駆け付け、ショックから立ち直れないでいるクララを励まし、何くれとなく助けてくれました。

  そして、シューマンが入院する前の日には、ブラームスがハンブルクから駆けつけてきました。彼は新聞でシューマンが自殺を図ったニュースを知り、取るものもとりあえず飛んできたのです。
「ああ、ヨハネス。よく来てくれたわね」
「奥様、安心してください。もうすぐヨアヒムも来ますから。彼はいま演奏会で手が離せないのですが、終わりしだい来てくれると言っていますよ」
「ありがとう。私には何がなんだかわからないの。
お医者様はくわしい話をしてくださらないし、私も子供たちもロベルトに会いに行ってはいけないと言うの。一体これからどうしたら良いのかしら」

 少し前に会った時とは別人のようにやつれたクララを前に、ブラームスはどうやって慰めたら良いかわかりません。
「きっと先生はすぐに帰っていらっしゃいますよ。
だから元気をだしてください。僕も出来る限りお手伝いします。先生がお戻りのなれば、僕が先生の介添をしますから、大丈夫ですよ」
ブラームスは、主を失ってまるで木の葉のようにあてもなくさまようシューマン家の舵を取る決意を固めます。彼は男手の無くなったシューマン家の一員になって、シューマンのつけていた家計簿を引き継ぎ、子供たちの面倒を見てお腹の大きなクララを助けたのです。
 そして、ヨハネス、ディートリッヒ達と共に、たびたび小さな音楽の集いを開いてシューマンの曲を演奏しました。それは大きなショックを受けて悲しみに沈むクララにとって、何よりの慰めであり、癒しのひと時となるのでした。
 
 けれど、病院に居るシューマンは自分に世界にとじこもり、クララや家族の事を口にすることはありません。もう、元の彼のように戻る事はないというお医者様の言葉はクララを打ちのめしてしまいます。
 6月、そんな大きな悲しみを抱きながらクララは、8番目の子どもとなる男の子を産みます。しかし、そのこともシューマンには知らされません。
 赤ちゃんには夫妻の親友・メンデルスゾーンから名前を取ってフェリックスと名付けられました。
「フェリックス、あなたはいつになったらお父さんに会えるのかしら。
ロベルトは新しい息子が生まれたことも知らないのだわ」
と、クララは赤ちゃんを涙ながらに抱きしめるのでした。


シューマン家の子供達 1854年

 そんなクララにブラームスは素晴らしいプレゼントを用意していました。
シューマンの曲を元にした変奏曲を作ったのです。
 この曲は今でも「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」(作品9)として知られている名曲です。
 実はブラームスがシューマン家を訪れる少し前、クララはシューマンが作った曲(作品99-4)を元にした変奏曲を自分で作曲して、シューマンへのお誕生日にプレゼントしていました。
(クララは作曲家としての才能もあり、この曲は作品20として残っています)
  クララはこの曲の中で、昔自分が作曲したメロディをシューマンの作曲したメロディに寄り添わせています。夫婦の歴史と絆そのもののようなこの曲は、クララの自信作になりました。
 「素晴らしい曲が書けたね。少しも直すところがないよ」
シューマンもそう言ってほめてくれたのに、残念ながらそれは二人にとって一緒に過ごす最後のお誕生日となっていました。

 それを知っているブラームスは、クララの曲と同じシューマンの曲を使い、更にクララの曲も織り交ぜながら新しい曲を作ったのです。
「彼の曲に基づき、彼女に捧げられた」
この楽譜の表紙にブラームスはそう記しました。
 更に翌年、ブラームスはクララの作曲した曲と、自分の作曲したこの二曲を一緒に出版するように出版社に頼んでいます。
 クララの心にはブラームスの不器用だけれどあたたかで、細やかな心遣いや愛情が何よりの支えになっていました。

 夏になるころ、心も体も疲れ果てたクララは、お医者さまに勧められてしばらく一人で静養の旅にでかけます。海を見ながら静かなひとときを過ごすクララですが、子どもたちのこれからのこと、ロベルトのことを考え落ち着くことはできませんでした。
 そんなクララの気持ちを察して、ブラームスはクララの代わりにエンデニヒの病院にシューマンを訪ねました。遠くから見守ることもしかできませんでしたが、
「尊敬する奥様へ」
で始まる手紙でブラームスはクララにシューマンの様子を事細かに知らせるのでした。

 そして、九月。
夫婦の15回目の結婚記念日とクララのお誕生日がやってきました。
ロベルトの居ないお誕生日!ロベルトの居ない結婚記念日!!
それはクララにとってどれほど辛い記念日だったことでしょう。

 その日・・・。
沈んだ心を持て余していたクララの元に、長女マリエが妹のエリゼと一緒にクララの所にやって来ます。
「お母さま!お誕生日おめでとう、お祝いに私とエリゼがピアノを弾きます」
何と二人はお父さんの曲を立派に演奏して聞かせてくれたのです。
「まあ、いつの間に?」
「ヘル・ブラームスが教えてくれたのよ」
姉妹は得意げです。
「ヨハネス・・・ありがとう。ロベルトにも聞かせたかったわ」
 ブラームスはさらにシューマンのピアノ五重奏を連弾用に編曲したものをプレゼントして、クララを感激させました。

 そしてその翌々日、クララには最高のお誕生日プレゼントが届きました。
シューマンからの手紙です。この少し前、クララはお医者様に勧められてシューマンに手紙を書いていました。来るとは思っていなかった返事が来てクララは震える手で封を切りました。

「・・・お前に会って話がしたい。どうしているのだろう?
どこに住んでいるの?お前の美しいピアノをもう一度聞きたい・・・」

「ロベルトの字だわ!やっとあなたとつながる事ができたのね」
 離ればなれになったシューマンもクララもお互いからの手紙を待ち望んでいたのです。クララの目から涙があふれました。
 手紙には子どもたちの事や音楽のことが書いてあり、クララも一安心です。
 そして、この手紙をきっかけに、シューマンはブラームスやヨアヒム、そしてクララと手紙のやりとりを始めるようになったのです。
 それは、大きな一歩に思えました。

 「これでロベルトも大丈夫ね。
 彼が安心して帰ってこられるように私が頑張らなくては」

 その手紙に勇気付けられたクララは、フェリックスを産んでわずか三か月後の10月19日、思い出深いゲヴァントハウスホールの舞台に立ちました。
 多くの友人がクララとシューマン一家を助けようと申し出てくれましたが、クララはそれをすべて断り、自分の力で一家を支えるため、またピアニストとして演奏活動を再開したのです。

 まず手始めに、ドイツ各地を回り、翌年はオランダへ、次の年はウイーン、プラハ、そしてそれまであまりドイツの音楽が知られていなかったロンドンにまで足を伸ばしています。 
 演奏会はどこでも大評判。
クララは一流の演奏家として見事にカムバックしたのです。プログラムには夫・シューマンの曲を入れることを忘れません。
ワイマールではリストが自らシューマンの交響曲などを指揮してクララの演奏会を助けてくれました。
「なんと神々しい姿なんだろう・・・」
 悲しみをこらえて立あがった凜としたクララの姿は、リストを初め多くの人の心をうちました。
 
 この最初の演奏旅行で、クララはブラームスの故郷・ハンブルクも訪れています。ブラームスは自分の家にクララを招待し、両親を紹介しました。
「まあ、奥様。いつも息子がお世話になっております。こんなところまでいらして頂いて・・・。ご覧のとおりの暮らしですので何のおもてなしもできませんが・・・」
 有名なピアニストであり、息子の恩人でもあるクララに会って、ブラームスの両親は緊張して固くなってしまいますが、クララの方は決して豊かではないのに精一杯のおもてなしをしてくれる心あたたかいブラームスのお母さんがすっかり気に入り
「ヨハネスがどうしてあんなに素敵な曲を書けるのがわかったような気がするわ」
と、思うのでした。

 その後も旅を続けるクララをハノーファまで見送ったブラームスは思い切って、 
「奥様。お願いがあります。
これからはぼくの事をDuで呼んでいただけませんか?」
と、クララに頼みました。
 ドイツ語には相手を呼ぶときSieと、親しい間柄だけで使うDuの二種類があります。「あなた」と「お前」の違いと言ったら良いでしょうか。
 クララは一瞬戸惑いますが、
「わかったわ、ヨハネス。あなたは私の息子のようなものですものね」
と、ブラームスの申し出を受け入れるのでした。

 やがて、クララからDuで呼びかけられた手紙を受け取ったブラームスは感激します。二人の距離はまた少し近くなりました。

 街から街へ、一人で演奏旅行を続けるクララのもとへは毎日のようにブラームスから手紙が届きます。
 この頃、両親のいないシューマン家では、ブラームスが家政婦のベルタと一緒に子供たちの世話をして留守を預かっていたのです。ブラームスはエンデニッヒの病院にも度々足を運び、シューマンと直接面会出来るようになっていました。
子どもたちの様子やお見舞いに行ったシューマンの様子をこまごまと報告し、音楽についても書かれたあたたかな手紙は、いつもクララを励まし慰めてくれました。
「こうして旅を続けられるのもヨハネスのおかげだわ」
と、クララは心から感謝するのでした。
 
 一方、ブラームスはクララに対する熱いが日に日に大きくなるのを抑えられずにいました。尊敬や憧れはいつしか、恋と呼ばれる感情に変わりつつありました。


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