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もう日付かわったけど、書く。

5周くらいまわって
今は、すごい気持ちが落ち込んでた。
こーゆー時って
「あー、わたしも人間だなぁ」
を感じる。

落ち込むって、
塞いでるような響きがあるよね。
塞いだって何も変わらなくて、
落ち込んでても進まない。

誰かにこの気持ちを話したからって
解消するものでもなく、
誰かにこの気持ちを話すことで
解消するものでもある。

幸せな人生って
人それぞれだから、
正解も、不正解もない。

ハッピーな気持ちだけを持つことが
幸せとも言えるし、
豊かさという点では
そうじゃないともいえる。

ならば、
自分の幸せって何が幸せなのか、
そんな所に原点回帰することが
本当の幸せを体感できるのかな。

こんなことを思うと
るーさんの体は正直だから
すぐに体にでる笑

大好きな人たちが
自分のやりたいことを応援してくれて、
たくさんの繋がりをみつけては
紹介し、さらなる「繋がり」が増える。

そこに注力しつづけることは
自分の幸せであることは
間違いないし、
結果としてこれからの未来につながる
確信しかないから何もぶれない。

まだまだ自分の中では
達観してるわたしと
赤ちゃんなわたしが混沌としていて、
どっちもわたしなのだけど
時にその2人のせめぎあいに
わたしが、疲弊しちゃうみたい。
だから、中立なわたしが
いつもいるから
私の中にいるわたしは、
3人いるのかな。

理解してもらうって、どういうことなのだろう。
受け入れてもらえるって、なんだろう。
さらけ出すって、どこまでしたらいいのだろう。

そう思って感じてる時点で、
結局は、自分が自分のことを
受け止めきれてないだけだったり、
理解しきれてないだけなのよね。

これってさ、特にこどもは
敏感に常に感じてるんだなぁってことも
よくわかったんだよね。

類は友を呼ぶって言葉があるけど、
こどものような感覚がある大人って
こどもから好かれる人なんだよね。
こどもにとっては、同じ感覚を持ってる人って、
安心してそばにいられるって
体感するから。

こどもって、たくさんのことを教えてくれるし
もはや、大人と子どもって
その括りさえ、いらなく感じてきた。

ひとりのひとだし、
赤ちゃんだったとしても
もう、立派なひとりのひとなんだよね。

表現することって
自分を知って
自分を受け止めて
自分を労い愛せるから
自己表現につながる。


ここ最近何故か、
理由もなく魂のままというか
心のままに、ものすごく涙が出る時がある。

病気的なものに当てはめたいわけでもなく、
純粋にそれだけ自分の心が
素直になってる証拠だし、
この感覚を体の脳が理解したいって
思ってるんだと思う。

こーゆーとき、
いつも音楽や芸術、本が
なんらかしらで支えてくれている気がする。
一桁年齢のときから。


まっ!こんな日もあるよね。
おしまい。

いつもありがとうございます(*^-^*) 次なるコンテンツの本に使います♪