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Charli XCX『Brat』〜或る手紙と責任、対価、その結末〜

Charli XCXの6枚目のアルバム
Bratの意味はクソガキ
100gecsとHyperクソガキ対決をする
といったクソみたいな内容ではなく
不定型であった自身の音楽が“Hyperpop”
と名付けられたことを受け入れ
(そのために必要な過程が前作『Crush』で)
(『Crush』はクソガキのUS Pop遊びだった)
ただ音で遊ぶだけでは終わらせず、
片意地を張らず、囚われることなく、
自身の位置する音楽ジャンルが理解された
そのことを寿くオトナなアルバム

「私を形作った音楽は全てクラシックになった」

Charli XCXを形作った彼らは
後ろに隠れて出てこない
(彼らは隠れておらず十分に露出しています)
(『Brat』にPDとして名を連ねています)
MusicはPCで作るものとなったのだから
ジャンルの創始者となったのだから
その達成を記念し、パーティーを開き、
その中心で踊り続ける権利が彼らにもある
ただクソガキたちは更なる自由を求めた

訳の分からないもの
芸術の純粋さにとって
喧噪は邪魔になる

喧噪(ポップ)の中で自我を保つのは
超人(ポップスター)であっても難しい
人っこ1人いない森の中に住んでいても
真っ暗な森の中にまで浸透した実用主義が
その人の可能性を規定し狭めてしまう

羅輯もそうであったように
真のソフィアほど使命を課され
閑静な中にあっても喧騒が伴奏し
苦痛を背負わされる

なにか決断が為された時
覚悟を決めきれた訳を尋ねられた時
「複雑に絡み合った結果で」と当事者は語る
実際様々な要因で物事は決まるけれど
MusicはPCで作るものとなったとか
Hyperpopという名のplaylistが作られたとか
そんなことは案外重要ではなく

多くの人が巻き込まれている
大きな流れであればあるほどに
多くの人が関わっているのとは裏腹に
象徴的な死が物事の段階を決定的に変えてしまう

人はどこまでいっても社会的な生き物で
自分を形作ったクソガキたちの為に
Charli XCXは後始末を引け受け
Charli XCXはその責任を果たし
Charli XCXはその対価を受け取る
「自身が映った鏡を見続けること」
「自身がそれが出来る人間だと言い続けること」
それが彼らの中でCharli XCXにしかない資質

複製芸術が自然化した現在(いま)
ストリーミングで再生ボタンを押した時
時代という小川に身を任せ、
流れに飲まれ、命からがら生き残った、
そんな人間の音楽のみが遠くへと運ばれる
この非自然的な一回性を経験した音楽こそが
ポップ(大衆)が幻想に見える世界の中で
引き続きポップミュージックと呼ばれる

伝えたいことを歌詞に込めることによる共感
アウラをトラックに込めることによる感動
つまりは、この2つを満たすだけで、
その曲は晴れてポップミュージックとなる
クラブポップであれば、まずおススメは、
audience entertainment specialists charli xcx

A.G.Cook, Sophie, Charli XCX


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