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葬儀/火葬場/日々

<葬儀>

葬儀でお坊さんにお経を読んでもらった。同時に初七日の供養もしてもらった。その後ありがたい話を聞いたのだけど、若いお坊さんだったからか、話の内容自体は良いものだったが、「っていうか自分」とか「って感じだと思います」みたいな言葉の端々に若さを感じて、だからどうっていうことでもないのだけれど、それはそれで面白かった。

葬儀は6/11に執り行われた。棺を霊柩車に乗せるのは、葬儀会社のスタッフさんと、僕と兄の男手だった。棺は重かった。けど一瞬だったのでたいしたことはなかった。


<火葬場>

火葬場に着き、家族一同が休憩室に連れられた。コロナの影響か火葬部屋は母と兄と僕の3人が立ち会った。予想はしていたが、実際に焼かれる場所(焼き場?焼き台?)に棺が押されていくのを見ることは、とてもきついものがあった。

実際の父の肉体がまだ居るはずの棺、生前に見知っていた父の肉体と、本当の別れになることの辛さがあった。ただそこにずっと留まっていることができるはずもなく、職員さんはしめやかな様子で振舞い、棺を押し出していった。


<日々>

あまりに一瞬過ぎて記憶が曖昧だ。自分を生んだ人がそうやって焼かれていくというのは、頭ではわかっていながらも、身体感覚としてまだよくわからず、その後遺骨になった父を目にしながらも、まだ理解が追いつかない。火葬という行為を経て、焼かれて残された骨に対峙して、その骨を拾って骨壺に入れて、骨壺は実家に持って帰ってきて、四十九日法要までは実家にある。といういくつかの手続きを経て、頭ではわかっているのだけど、やっぱりわからない。実家に帰ればまた、「おう帰ってきたか」と父は迎えてくれそうな気がする。が、それは気がするだけであり、母はもう一人で故郷に暮らしていて、今日も「夜はこんな食事にしました」とLINEで夕食の写真が送られてきた。母がひとりで食事を作って食卓に並べ、写真を撮って息子に送るというのが、なんだかそれだけで泣けてくる。だからどう、ということはないのだけど。それで飛んで帰る、ということはないのだけど。

とりあえずは来週帰る予定です。


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