見出し画像

なるようになる

七夕の短冊が強い風に吹かれて生き物みたいだった。

実家に電話をして母に今日は何をしたか聞いたら、食器棚の高いところにある食器を脚立で昇って沢山降ろして整理したよ、とのことだった。やりたいからやってそれを止めることはできないけれど、もし転落などしたらもう本当に大変なので、無理をしないでいただきたい。ということを伝えておいた。高いところのものは息子が帰ったらやるから、別のところを片付けて、と言ったけど、きっと母もわかってはいるだろうが、またやるだろう。

実際に父が残したモノたちを片付けていくと、その分量たるや相当のもので、1年くらいかかるかも?と当初思ったけど、実際そのくらいかかるかもしれない。具体的ひとつひとつのモノを無下にぽいぽい捨てるのも忍びない。捨てるにしてもしかるべき捨て方がある。そう思うと遺品整理の業者さんとかは、仕事として捨てることをしていく。それの方がさっぱりしているとは思う。

当座の目標は、1階のスペースで母が快適に生活できることで、そのためにはまずは不要なものを捨てていく、傷んだところを修繕する、生活しやすい機能性を求める。

ただそれもそうだけど、父と住んだ家をあまりいろいろと変えてしまうのは母は本当に望むのだろうか?ということもあり、きっと良い落としどころがそのうち見つかってくるのだろうが、それがいつになるかはわからない。

帰省できるときはして、片付けを手伝いながらひとりになった母の話を聞いて、季節が巡っていく。なるようになるだろうし、なるようにしかならない。やれることをやり、やれないことはやれないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?