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務川慧悟『ラヴェル全集』|#今日の1枚

ラヴェルといえば、ドビュッシーと同時代のフランス印象派を生きながらも、実はドビュッシーよりも随分とメカニカルで、洒落てるんだけどその根底にはシステマチックで生真面目な気質があって。ラヴェルのように音と音の緻密な設計図を描いて音楽として形にするようなピアニズムというのは、とても作り込まれた建築物(アート)の趣を感じさせるなと思う。

というのも、務川さんご自身も過去にTwitterでこんなことを呟いていたことがあって。

ところで、演奏技巧というかピアニズムというのは、そのものが最早アートの一部だと僕は思っていて、それはつまり頭の中には無限に広げることのできる想像の世界と、楽器という本来何かしらの限界を持った"機器"との境界は音楽をするにあたって常に課題となるに違いなく、その差異をどのように埋めてゆくのかが作曲家の挑戦であり創造そのものの一部だから。だからこうした、ピアノ演奏技術を然るべき形でふんだんに活用した作品が僕は好きだ。

務川慧悟さんのTwitterより

ラヴェルというのは優れた”機器”を作った職人なのだなぁと常々思うのだけれども、その務川さんの音の構築の真摯さを感じたのが、この『ラヴェル全集』だった。

全曲をとおして端正さを究めていて、まるで形の崩れない建造物のよう。ラヴェルって、後期にはジャズを取り入れていたり、作品のところどころにスペイン的な気質も盛り込まれているから、一聴して「おしゃれだな」「センスいいじゃん」と感じるハーモニーとか表情がたくさんあるわけだけど、そういう「聴かせどころ」に飲まれず、余計な感傷性を持ち込まない冷静さ。

そりゃ、飲まれてしまうとラヴェルじゃないもんな。だってラヴェルの作る音楽は、細かく丁寧かつ精密に作られた立体物であって、どこかバランスを欠いてしまうと、それは崩れてしまう。「ただおしゃれな印象派の音楽」みたいになってしまう。それもそれでいいし、「おしゃれな印象派の音楽」に優れた作品はたくさんあるけれど、それを作るのはラヴェルじゃなくていいというか。

まるで物理学のように計算し尽くされていそうな音同士の遠近感の調整と、一方で「計算」なんて軽薄な言ってしまうのはもったいないような精巧な音楽表現。バランスの完璧な演奏を、ピント張り詰めたガラスの壁で隔てて聴いているような感覚。そこに聴き手の我が一歩近づいたり、一指触れようとしたりは到底できないと思わせる、特別な空間を感じるアルバムでした。

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