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(音楽話)39: 霧島昇 “旅の夜風” (1938)

【偏見】

霧島昇 “旅の夜風” (1938)

令和三年(2021)、最初に取り上げる日本のシンガーは、私が定期的に無性に聴きたくなる昭和歌謡の中から、霧島昇にしました。
大正3年(1914)福島県の生まれ。当初はボクサーを目指していた彼ですが挫折、流行歌を歌う歌手を目指し東洋音楽学校(今の東京音大)に入学します。昭和12年(1937)に”赤城しぐれ”でデビュー。そして翌年映画「愛染かつら」の主題歌としてこの歌”旅の夜風”を歌い大ヒットしました。この曲は本来デュエット曲でお相手はミス・コロムビアー後の奥様でした。
彼の代表作は他にも”一杯のコーヒーから””誰か故郷を想わざる””リンゴの唄””三百六十五日”など。戦前・戦中の歌手なので軍歌も多く歌いましたし、戦後も懐メロ番組に多数出演して都度、日本人を労い奮い立たせてきました。昭和59年(1984)に腎不全で逝去、69歳でした。

この歌唱は昭和44年(1969)大晦日、MCの声からするとコロムビア・トップなのでテレビ東京系列の懐メロ特番でしょう。霧島のジャケットが珍しく派手なのは置いといて笑、全く乱れない声の線、恐ろしいマイクとの距離、(良い・悪いではなく)抑揚のないメロディ、丁寧に歌詞を届ける歌い方、バック演奏のガッチリ感…カッコいい。
作詞の西條八十は”東京行進曲”(佐藤千夜子/昭和4年)、”蘇州夜曲”(霧島・渡辺はま子/昭和15年)、”青い山脈”(藤山一郎/昭和24年)、”ひめゆりの塔”(伊藤久男/昭和28年)”王将”(村田英雄/昭和36年)など、戦前・戦中・戦後とそれぞれの時代の荒波に晒されながら、日本人を励まし、寄り添ってきた人です。一番有名なのは…”東京音頭”(昭和8年)でしょうか。

戦前から活動、軍歌、古くさいなど、マイナス、もしくは自分とは関係ないどうでも良い歌手という印象を持つ人が多いかもしれませんね。が、この歌声を聴いてあなたは何を思いますか?こんなに特徴的・個性的で圧倒的な歌力、淡々と歌いながらも滲み出る表現力と正確なピッチ感を持って心を打つシンガー、現代でも中々いないと思いませんか?様々な固定観念や先入観は人の評価を阻害するものですが、聴かず嫌いは非常に勿体無いことです。

我々現代に生きる者はとかく、新しいもの=正しいもの=素晴らしいものと捉えがち。その逆も然り、古いもの=正しくないもの=取るに足らないものと思いがちです。本当にそうでしょうか?確かに改善・改良・改革は万物の進化において不可欠ですが、それは「過去を全て断ち切れ」ということでは決してありません。過去をしっかり受け止め、良いものは残しながら我々は生きてきたはずです。

音楽において昨今、懐メロ番組をほとんど見かけなくなりました。昔の音楽に触れる機会が極端に少ない現代…寂しい、悲しい。私が幼少の頃はよく放映していたし、そこには自分の知らない音楽が溢れていて、それこそ目を輝かせて観ていました。両親の解説や当時の思い出話も散々聞きましたし、彼らはテレビ画面の前でよく口ずさんていました。それら全て、私の糧になっています。

良いものは、良い。シンプルです。偏見は要りません。時代背景や社会性などは歌の世界に影響はありますが、歌心は古今東西変わりません。

「やがて芽をふく 春が来る」。どうか皆さんに届きますように。

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花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 一人行く

優しかの君 ただ独り
発たせまつりし 旅の空
可愛い子供は 女の生命
なぜに淋しい 子守唄

加茂の河原に 秋長けて
肌に夜風が 沁みわたる
おとこ柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり

愛の山河 雲幾重
心ごころは 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る

(霧島昇 “旅の夜風”)

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