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(音楽話)103: ユニコーン “Hello” (2022)

【KOE KIKOE RUKAI】

10代の頃には相当年上の老体という印象しかなかった年齢に到達すると、「あれ?こんなんだっけ?」と思うことが多々あります。だって、もっと達観し、若者を苦々しく思い、世界を嘆き、ただ枯れていくものだと思っていたから。
でも現実は、今でもふざけていますし、くだらない冗談を言っては周りを困らせていますし、定期的に勝手に闇落ちしては自閉しますし、将来を考えてコツコツとなんて思ってもいません。堅実、安定、余裕、冷静なんて言葉には縁がない一方で、近くが見えなくなっていく視力と、細くなっていく毛髪と、凝り固まっていく節々は、加齢の象徴として想像通り。いずれにせよ、若い頃の想像と全く違うところに、今私はいます。

こんなんで、いいのかな?

近年のSNSの隆盛は、友人・知人だけでなく見知らぬ人のリア充ぶりを(意識・無意識にかかわらず)垂れ流し、「いいね」を半強制する世界観を築き上げました。顕在化された人間の欲望は生々しく、SNSの中では虚像で生きている人もいるくらい。肥大化した自己承認欲は、人間同士の繋がりの希薄さに耐えられない裏返しな気がしますし、「広く・浅く」「狭く・深く」の2者択一でしか考えられない人間の狭小な心理の表れにも思えます。
いや、自分を棚に上げるわけではありません。私もそんな時代に生きるひとりです。その証拠にこうやって音楽について好き勝手に語り散らす場を持っているんですから。ただ、これって怖いな、良いのかな、と思う時があるのも確かです。

80年代末〜90年代前半に活動したユニコーンは、非常に魅力的なバンドでした。5人全員がマルチプレーヤーで、ヴォーカル担当で、楽曲制作者で、プロデュースもできてしまう。出す曲のほとんどが斬新で、ジャンル云々関係なく、面白そうならなんでも演ってしまう柔軟性を持っていました。"Maybe Blue"から始まり、"ペケペケ""おかしなふたり""服部""大迷惑""働く男""ヒゲとボイン""与える男""雪の降る町""すばらしい日々"…ロックが根底にはありますが、その幅の広さとトンガリ具合、ポップネスのバランスは絶妙。楽しいバンドでした。
93年に解散。メンバー各々がソロ活動で活躍(奥田民生の大成ぶりは言うまでもありません)。その後2009年に突然再結成。以降、確実かつマイペースに活動を続けています。

"Hello"は、再結成時のAL「シャンブル」(2009年)に収録。この映像は彼らが2022年に発表したMV集に付録でついたスタジオライヴの模様です。
阿部(現・ABEDON)が作詞・作曲し、民生がヴォーカルを取るこの曲。親交の深かったLÄ-PPISCHの上田現(キーボード。2008年肺癌で死去)に捧げた話はファンの間では有名。亡くなった2ヶ月後から「シャンブル」のレコーディングが始まり、その最初の楽曲が"Hello"だったそうです。

アクセントの付いたドラム連打に合わせて掻き鳴らされるギターのコードカッティング。ギターに沿うピアノ、うねるベース。熱唱するヴォーカル。サビ前のヴォーコーダー。緩急ある曲構成と最後のコーラス。非常にスケールの大きいロック・サウンドです。

私はなぜか毎回、この曲の一番を聴き終わると泣きそうになります。「舞い上がる 燃え上がる 時を超え 突き進む」という歌詞が、最後には「舞い上がれ 燃え上がれ 時を超え 突き進め」と呼びかけに変わるその声が、なにかとても大きな勇気と覚悟をもたらしてくれるのです。彼らは意識なぞしていないでしょうが、彼らの声はいつだって、私を励ましたり笑かしたり泣かせたり楽しませてくれる。「KOE KIKOE RUKAI?」と言われれば、「KOE KIKOE RUYO!」と応えたくなります。

考え過ぎかもしれませんが、私も彼らのように生きたい。気兼ねなく、自分の信じる道を進みたい。彼らを見ていると、そう思います。

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