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バッハ エピソード8 ツィレの宮廷
リューネブルクの寄宿舎時代、バッハと同じ建物に住んでいたフランス人のダンス教師トマ・ド・ラ・セル(1666-1705)は、貴族の子弟たちにフランスの旋律をヴァイオリンで演奏しダンスを教えていました。トマ・ド・ラ・セルはフランスの大作曲家リュリの弟子です。
バッハのチェンバロやヴァイオリンの才能を見込み、彼は宮廷音楽師もしていたツェレの宮廷にバッハを同行させ、宮廷楽団によるフランス音楽演奏を度々聴かせていたと伝えられています。
※ツィレの宮廷はミニチュアヴェルサイユとも称されるリューネブルク郊外にあった宮廷です。
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バッハ自身が舞踏体験をしたことを示す決定的な資料は発見されていませんが、こうしてヴェルサイユで流行していた管弦楽組曲(序曲)やフランス風組曲などのフランス音楽を吸収したおかげでバッハの中に、フランス舞曲の生きたリズムが身についていったのでしょう。
ちなみにバッハは生涯、ドイツを出ていませんが、のちに作曲されるフランス風の鍵盤楽曲や『フランス風序曲』は、この時期の経験の賜物です。
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