バッハ エピソード26 生涯一度も出会えなかったバッハとヘンデル
ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれ。中部ドイツの狭い範囲にとどまっていたバッハとは対照的で、国際派として広くヨーロッパ中を旅して各地で活躍しました。生家のすぐそばにあったハレ大聖堂のオルガニストとしてキャリアをスタート。その後はハンブルクを皮切りに、ローマやナポリ、フィレンツェなどのイタリア各地、ハノーファー、ロンドンと渡り歩きます。バッハはそんなヘンデルの作品を自ら書き写しとるほど尊敬していたようで、1719年、ハレに里帰りしているヘンデルを訪ねます。しかし、一足違いで会うことはかないませんでした。
バッハはワイマール時代、各地でいろいろな音楽家たちと出会い、親交を深めていたので、ヘンデルとも親交を結び、イタリアやロンドンの音楽の話を聴いてみたかったのでしょう。
その後も、ライプツィヒ時代に招待していますが、都合がつかず断られたようで、二人は生涯一度も会う機会はありませんでした。会っていたらオラトリオの話をしていたのかなあと、想像してしまいます...。
さて、突然ですがアンクルバッハからクイズです。
Q: ヘンデルは大の食通でしたが、一日何食、食べていたでしょう?
6食
4食
答えは一番下にあります。
バッハとヘンデルの「血の気の多い」エピソード
バッハは、アルンシュタット時代、レベルの低いファゴット奏者に「山羊ファゴット」と言ったことで顔を殴られ、その後、剣を抜いて切り掛かろうとした事件がありました。
一方、ヘンデルもこんなエピソードがありました。
ヘンデルと大の親友であったヨハン・マッテゾン※。彼の歌劇《クレオパトラ》(1704年)の上演中に、二人は突然いさかいを起こし、剣を抜いての決闘となってしまいます。マッテゾンの剣はヘンデルの胸を突いてしまいますが、外套のボタンに当たって、命拾いしたとのこと。後に両者は和解しているそうですが、どうやらヤラセのお芝居くさい。。。
※ヨハン・マッテゾン(Johann Mattheson 1681年9月28日 – 1764年4月17日)
ドイツ後期バロック音楽の作曲家。音楽理論家・作家・外交官・辞書編纂者といった顔も持つ。ヘンデルと大の親友
A: 答えは、1の「6食」です。
大の美食家で大食漢でもあったヘンデルですが、大好きな赤ワインを飲み、1日6食も食べていたことがあったそうです。
また、泡立てた卵と砂糖を溶かしたローズウォーターで作った優雅で贅沢なホットチョコレートを日課として飲んでいたとか。
食べ過ぎで大きくなった体を揶揄して、当時の新聞に「豚(ヘンデル)がオルガンを弾いている風刺画」が載ったこともあったそうです。
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