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勝手にアルバム批評-part1

  まず初めに、本稿は至極私的な個人批評となりますので、こういった類のものが嫌いな方はぜひお帰りください。さて、終わりの見えなそうな企画を始めようと思い立ちまして、この記事を綴っております。その名も、「勝手にアルバム批評」です。誰が得する訳でもない、自己満足の批評となりますので悪しからず。初となる投稿は、筆者が愛してやまないミュージシャンのアルバムについて書こうと思います。

矢野顕子/Japanese Girl

  記念すべき1枚目は、同郷の天才ジャズピア二スト兼シンガーソングライター矢野顕子のデビューアルバムです。忘れもしません、このアルバムは今から8年前、筆者が当時高校1年の頃に突如として出会ったアルバムなのです。もちろん発売からは40年という時は流れていますが、フツフツと込み上げるセンセーショナルなサウンド/アレンジ/歌唱/表現力/歌詞に衝撃を受けたアルバムです。

  さらに驚くべきはA面(American side)のバックミュージシャンです。そうです。リトル・フィートなのです。20代も浅い頃のデビューアルバムのバックバンドにリトル・フィートを従える、天才ぶり。天才というかなんというか、、、とにかく彼らの演奏が素晴らし過ぎます。それよりも驚きなのが、リトル・フィートの癖に全く隠れていない、むしろ目立っている矢野顕子のテクニックに脱帽です。また、有名な逸話ですが、リトル・フィートの「ローウェル・ジョージ」が、矢野の才能に白旗を上げ、ノーギャラを願い出たという。

楽曲解説成るもの

〇A面「American Side」
1.気球にのって
  矢野流のフュージョン・ファンクの金字塔。邦楽では後にも先にも、こんな不気味でロックで弾けたピアノのリフは聴いたことがない。当時の衝撃は未だ薄れることなく存在している。そんな衝撃を受けた、オープニングナンバー。

2.クマ
  民謡がベースとなっているであろう、この曲は凄まじい変拍子で展開されます。リトル・フィートがどんな面持ちで、アレンジしたのか非常に気になります。さて、矢野顕子を語る上で外せないキーワードが「民謡」になります。このアルバムを通して感じられるこの民謡感は、日本生まれの我々の耳にも違和感なく入ってくるはずです。しかし、矢野顕子音楽がしばしば「好き嫌い分かれる、大衆受けはしない」と言われるのは、その歌唱性にあると思われます。独特すぎるが故に、聴く人を選びがちである面は否定できませんが、日本民謡というものを自己流に解釈し、大衆的で上質なポップスへ昇華できたのは未だかつて矢野顕子だけなのではないでしょうか?

3.電話線
  これまた、変拍子がすぎる楽曲。しかし、クマよりも洋楽的な雰囲気がある故にリトル・フィートの演奏がピカイチに輝いております。独特の口回しとリトル・フィートの真髄とも言えるリズムセクションのいい意味での非統一性が、このアルバムの異色さをより濃くしています。

4.津軽ツアー
  筆者と矢野の故郷でもある、津軽では有名な「ホーハイ節」を元にした楽曲。考えて頂きたいのは、70年代にこの系譜の音楽は恐らく存在していませんでした。民謡とロック・ポップスの完全的な合体を体現した矢野顕子の存在無くしては、今日の「和楽器バンド」などのバンドサウンドは存在していなかったのではないか、、、、過言すぎるかもしれませんが、女流シンガーソングライターの草分け、そして民謡ロックの草分けとして、現代に大きな影響を与えているのは言わずもがなでしょう。

5.ふなまち唄PartⅡ
  ねぶたのリズムを活かして作成された楽曲。なんと言えばいいのか、フュージョン?プログレ?ロック?きっとジャンルに分けるのは野暮でしょうから何も言いませんが、この狂った楽曲は筆者がこのアルバムの中で1番好きなナンバーです。途中、矢野のフェイクと共に長い間奏が入りますが、ほんとにかっこよく痺れます。リトル・フィートが白旗を上げたのも無理ありません。こんな業を20代前半でこなすのですから無理ありません。A面を締めくくるナンバーは、Japanese Girl 矢野顕子の名を轟かせる前フリにしかすぎません。B面でも衝撃は続きます。

〇B面「Japanese Side」
6.大いなる椎の木
  同時期のミュージシャンで言えば、ユーミンや大貫妙子など女流詩人の代表格が挙げられます。その中でもこの歌は、いい意味で異質な矢野の詩人としての傑作であると筆者は感じます。このサイドから、バックミュージシャンは、キャラメルママ系統の人物達が担当します。演奏やアレンジは前までが異質すぎただけに、落ち着いた印象を受けます。きっと、万人受けする類に入ることだと思います。長い月日をかけて、この世界を見守ってきた大いなる椎の木を主役に切りとるなんとも矢野らしい切り取り方です。

7.へこりぷたぁ
  よく、この歌は本家じゃないとダメと言われることがありますが、本楽曲はまさにその類。矢野以外に表現出来ない楽曲であると思います。筆者もこのレベルに来ると、考察の仕様がありません。楽曲名しかり、アレンジしかりこの曲を考察できる音楽力は、矢野以外にいるのだろうか、、、そんなレベルの違いを見せつけてくる、このレベルの曲を7曲目に持ってくるあたり粋です。

8.風太
  前曲から続けてクラシックというか、今で言う現代音楽というか凄く異質な曲が続きます。Japanese Girlというアルバムにふさわしいナンバー。どうやってこういう曲が形作られるのか、じっくり聞いてみたい。やはりこの曲もお手上げです。

9.丘を越えて
  そうです。藤山一郎の丘を越えてのカバーとなります。やはり、民謡をポップスやロックに解釈するという概念が漂うこのアルバムですが、普通のミュージシャンであれば、一定のキャリアを積んで実験としてこういったアルバムを出すのが普通であると思うのですが、、、矢野はデビューアルバムにこんなことをしてしまいます。(褒めてます)ほんとにもっと評価されて良いアルバムです。隠れすぎている。いや、40年以上を経て、未だ時代が追いついていないのかもしれない。

10.ふなまち唄PartⅠ
    A面ラストの別バージョンです。より、ねぶた感が出ているロック感強めの楽曲。ラストを締めくくるそして、Japanese Girlここに見参とも言わしめる素晴らしいすぎる楽曲。また、筆者的には間奏部分のピアノソロ時に聞こえる、打鍵音が収録時の緊張感やライヴ感が漂いこのアルバムラストにしてこの緊張感は最後まで気を抜けません。

  個人的にですがアルバム1枚を完聴するには、かなりの体力を要します。それだけ解釈の仕様があってほんとに面白い。何より、20代前半そして1970年代にこのレベルの音楽。中島みゆきやユーミンが天才として持て囃されている中に、この存在感が当時どう評価・認知されていたのかは知る由もありません。ただひとつ言えるのは、本作が日本屈指の名アルバムを語る上で外せない名盤であることは、完聴したもの誰もが思うところであると思います。

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