ジョン・マクラフリン パコ・デ・ルシア アル・ディメオラ / John McLaughlin, Paco DeLucia, Al DiMeola Friday Night in San Francisco 1980
元祖G3とも言える、構想の発端
バークレイ音楽院卒業のアル・ディメオラは、1976年リリースのソロ・アルバム「エレガント・ジプシー」においてラテン、フラメンコの要素が集約された"Mediterranean Sundance"邦題タイトルはずばり「地中海の舞踏 」という曲で、 フラメンコ・ギターの雄、パコ・デルシアをゲストで招聘した。
しかも録音後早々にアコースティック・ギターの実況録音を作品にすればセンセーショナルを巻き起こせると確信し、3人目のギタリストであるジョン・マクラフリンにG3構想を打診をしている。
なんでそんな売れない方向に行こうとするんだ!
レコード会社と味方のマネジメント側から構想は反対される。そのせいかこのライブ盤は主導者のアルのソロアルバムのコロンビアからではなく、反対意見を押し切ったせいなのか提携先のフィリップスからリリースされている。※レコード会社の失敗時の内部者の責任回避かもしれない。
ヘッドフォン推奨の革新的アコースティック・ライブ盤
掲題の3人のギタリストの個人戦と三つ巴戦を交えた1980年のにアメリカのサンフランシスコのウォーフィールド・シアターでのライブ録音。(最終曲はスタジオ録音)
特にアル・ディメオラの使用したギターは、ガラス繊維強化プラスチックの製作加工技術を持つ異業種のヘリコプター部品製作会社、オベーション製のギターで知名度は飛躍的に向上した。
後発ながらメジャーなアコースティック・ギター製作会社に急成長した。
曲目
Mediterranean Sundance
Short Tales of The Black Forest
Frevo Rasgado
Fantasia Suite
Guardian Angel
曲目感想
Mediterranean Sundance
邦題の妙である「地中海の舞踏」はパコ・デ・ルシア(左チャンネル)とアル・ディメオラ(右チャンネル)共作でパフォーマンスは1976年のスタジオ盤を凌駕し、収録時間も当然長い。
この作品のコラボレーションの「核」であり、コンセプトは、ほぼこの曲で集約されている。曲のキーがEマイナーなので、ギターの指板、スケール、開放弦を満遍なく使える。
既に2人で作品に残しているので、ここではよりフリースタイルかつハードコアにギター・ソロを弾き倒していく。マイナー・コードのキーは様々なフレーズ展開が可能だ。自身の必殺決めフレーズと手グセで隙間の無い様々な超高速フレーズの応酬で2人の情熱とエネルギーの狂気が交差する。
オーディエンスに息をつかす余裕を一切与えない、そして固唾を飲む時間があまりにも長い事態に直面する。
するとこれに耐えきれない1部の観客の狂声が漏れる。そんな声を無視して「ゾーン」に入った演奏がひたすら続く。同時に俯瞰的にリスニングが可能な盤上のリスナーは鳥肌が浮き立つ。
「もういいだろう」と中盤にアルのボトム弦のグリッサンドで減速し、ようやく観客が息をつくことを許される。直後観客の興奮のレスポンス、そして粛々と魂のギターの交信が再開される。
パコのギターのボディをパーカッション的にタップするのがフィニッシュの合図のようだ。推測だが2人はアイ・コンタクトで着地点を模索し合い、「ズジャッ」とワンコードのぶつ切りでフィニッシュ。
(はっきり言ってこの瞬間だけロック)
この観客の異常な熱狂は滅多に聴くことが出来ないので、あと10秒、せめて5秒でもいいから収録時間を延ばして欲しかった。観客と一緒に余韻に浸れる時間があまりにも短いのが非常に惜しい。。
Short Tales of The Black Forest
ジョン・マクラフリン対アル・ディメオラの初対戦が2曲目だ。前曲と雰囲気は異なり、ボトム弦の軽めなトレモロピッキングが格闘技で言えば「間合い」だ。
ライブ当時26歳のアル・ディメオラと38歳のジョン・マクラフリン。キャリアと年齢差を埋め合わせるには、どうしてもお互いの演奏の肌感覚と距離感の把握が必要で、そこを最初に踏まえなければ「不可侵領域と無遠慮なバトル」は有り得ないのである。
双方の持つ「間合い」や「嗜好」を探り合い、持っている引き出しの一部しかあえて出さない「プロレス」を味わえるのもこの作品の魅力なのである。
しかしこうは書いているが、曲中のピンクパンサーのおふざけのボケとツッコミを聴けば、「大の仲良し」であるのは明白であり、空中戦、場外戦と前曲のギャップを堪能できる。
Frevo Rasgado
ジョン・マクラフリン(左チャンネル)とパコ・デ・ルシア(右チャンネル)の作品上の初対戦。
発起人のいない2人のコラボレーションも、やはり「間合いの確認」が主たるテーマである。パコ・デルシアの1曲目のパワー・プレイ以外の引き出しを探ろうとしている。
両者の正確無比な高速ピッキング、音量の強弱や空白地帯を都度箇所で適宜設けている。
ところで、曲目のRasgado、ラスゲアード(ラスギャード)はフラメンコ奏法の名称であり、作品発表当時これがどこまで浸透していたのか?推測ではあるが、こうしたポピュラー音楽の作品側から俯瞰するとまだ知れ渡っていなかったのかも知れないし、この作品中ほど大胆に、あからさまに披露するというのは、ある意味画期的な出来事ではなかったのではなかろうか?
一瞬混ぜると「ん?なんだ?」と振り向いてくれる汎用的なプレイだ。
Fantasia Suite
ジャケットを見ただけだと、3人が全部の曲で参加しているのかと錯覚してしまうがラス前4曲目でようやく一堂に会する。
前曲までのウォーミングアップも完了し本気の演奏を繰り広げていく。アンサンブルもパーフェクトだ。
3者3様の超高速技巧、正確無比なピッキング、ナイロン弦ギターの音の粒立ちなど万華鏡のようにめくるめく畳みかける演奏。その場の観客もリスナーもため息が混じる。
フィニッシュ時の観客の狂乱と興奮に立ち会えないリスナーにとっては「嫉妬と羨望」に襲われる。
Guardian Angel
ジョン・マクラフリン作曲で、ニューヨーク州にあるマイノットサウンドで録音。サンフランシスコから極東に移動し、広いライブ会場と違い、アコースティック・ギターのリバーブやディレイが天然に音が反映されている。
また左右に同時に聴こえる意思疎通の通ったフレーズや、指板のポジションの異なったアルペジオ、このコンビネーションがとても心地良い。
70パーセントの技巧とパッションにとどめ、これは次章への予告編と受け取って問題無い3人のアンサーソングであるのは明白だ。
総論
当時26歳のアル・ディメオラがアコースティック・ギターの技巧面で新しい可能性を開拓した立役者。
パコ・デルシアのソウルフルかつパッショネイトなギター・プレイは、フラメンコ、スパニッシュ・ギターの範疇に留まらないジャンルを超越し、汎用的な感動を呼び起こした。
アコースティック・ギターの世界観を1段違うステージに昇華させることが出来て、崇高で独特の緊張感と磁場を与えるジョン・マクラフリンの参加。
スーパー・ギター・トリオでなく「3人のギター・ゴッド」「ジーニアス(Genius)」という敬意も込めてG3と表現させてもらった。
これほど会場をアコースティック・ギターだけで会場が呼吸困難に陥り、ハラハラドキドキさせた稀有な作品。その真空パッケージが時空を超えて体現できる。
反対意見を見事実力で説得させ、わずかな静寂とギリギリの狂気が交差するバーリトゥードなライブ盤。
終わり
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