見出し画像

【今日の一曲】鴎

今日の一曲「鴎」です。

この作品は木下牧子(1956-)による作品です。

木下牧子は、合唱をはじめとして、歌曲、管弦楽、吹奏楽など、幅広いジャンルの作品を発表する日本人作曲家です。

三好達治の詩に付曲されたこの作品は、合唱作品としてのみでなく、歌曲作品としても愛されて演奏されています。

三好達治の詩作品中、「鴎」がタイトルに付されていたり、詩中に「鴎」が登場するものは少なくありません。三好達治の詩作や「鴎」による象徴イメージについては、以下URLで簡単にまとめてありますため、ご参考ください。
 ➡三好達治と鷗①
 ➡三好達治と鷗②


「鴎」を聴いて、コメントを書く。

実際に授業で見た動画とともに、学生のコメントをシェアします。
学生のコメントについては、ハンドルネームとともに記載します。

この記事をお読みくださっている方も、動画の演奏を否定することなく、演奏家(声楽家、ピアニスト)の表現から楽譜の読みや、演奏に活かせるところを一緒に発見してくれると嬉しいです。
発見くださったものやご感想は、気軽にコメントに残していただけると、一緒に学ぶことができるのでとても嬉しいです。
※不適切な内容と判断するものについては、削除等させていただきます。

60小節目の第5連目が始まるところから、それまでは鷗の住処である海や空を背景に自由を歌っていたが、ここからは世界全てが鷗にとって自由の象徴であるように歌われているように感じた。伴奏と共にテヌートで「つひに」を強調、そして満を持してfで始めることにより、情景がこれまでよりもさらに大きなものになったというイメージが植え付けられる。
by 甜麺醤

楽譜を見ると、前奏後、歌に休符がある所で必ず伴奏の音が入っていて、歌と伴奏が同時に音が消える部分が無い。そこから、作曲者はこの6連の詩を大きく1つとして捉えて作曲したのではないかと思った。
それを、演奏者はテンポ設定をあまり遅くせず淡々と進むような速さで歌い、表現していたように感じた。
最後の方でテンポが少し速く演奏されていたが、自由を手に入れている鷗に対する憧れや希望の強まりを表現したかったのではないかと思う。
by ゴピオカ

前奏のピアノがカノンのように追いかけるようなメロディーが出てくるのは、「彼ら」を表現しているのだと感じた。もし自分が演奏するのだとしたら、その声の一つ一つを独立させたものにしたい。伴奏と歌が同じ音を辿る部分があるが、その部分は鷗に憧れる私と彼らを重ねているような気がした。そのため、伴奏として考えるのではなく、はっきりと旋律を弾いて表現したい。詩の六連目の「朝やけを朝の歌とし」から、伴奏がどんどん引っ張っている表現をしていると思った。最後の音は歌は下降していき、ピアノは高く上昇していく。この部分は自分と高く飛んでいく鷗との対比がされているように表現したいと感じた。
by きなぷぷ

「つひに自由は彼らのものだ」という歌詞が、三つずつ同じ音の高さの変化が繰り返されていて、曲が大きく三つに分けられている。歌には大きな変化がないことで表面上の変化が少ないように聴こえる。一方で伴奏の形が盛り上がるように変化していくことで思いの移り変わりを表現している。
by casual guy

歌に着目すると、ひとつの連に2回出てくる「ついに自由は彼らのものだ」の歌い方を変化させているように思う。1回目は語りかけるように言葉をはっきり発音していて、誰かに伝えているような印象があり、2回目は伸びやかに歌っていて、空を飛ぶ鴎を想像できた。
伴奏に着目すると、コラールのような伴奏で始めは音が少なく切ない印象だが、後半になると音の数が増えるだけではなく音域も広がり、フォルテになっていることから曲全体の広がりを感じる。
人間は空を飛べない切なさと、空を飛ぶことができる鴎が対比されているように思う。
by ぷう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?