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YouTubeのコメントは一切見ていない自分

コメントを見ない理由

YouTubeのコメントは一切見ない

理由は、見たところでどうしようもないから

肯定否定関係なく、どこの誰かも知らん人に自分の感情を左右されるのは健康にもよくない。
それに、「あんたがやったら?」という感じだね(笑)

見たくなかったら、投稿しなきゃいいのにという意見は論外。
そもそも見なければいけない義務はまったくない。

コメント見ない作家さんもいる。

コメントに合わせた動画投稿をするつもりは一切ないし、その必要性もない。

YouTube規約にもそのようなものはない。

別に視聴者と自分は、会社のように取引先でも債権者でもなければ、癒着しているわけでもない。
要は、利害関係者ではないのだから、こびへつらう必要もない。

企業なら、潤沢な資金と人足があるため、コメントを参考にアップデートすることでより付加価値を高めることが出来るだろう。

しかし、自分はそうではない。

登録者は0人のままでいいやと思っていたから、YouTubeを収益化するつもりもまったくない。

見たら、それに反応してしまう自分が嫌だからだ。


YouTubeを始めた理由


YouTubeに投稿し始めた理由は、自分が倒れて救急車で3回も運ばれ、死にそうになって、その後に、何かやってみようと思ったから。

色々な形で表現すること自体に興味があるのかもしれない。

ブログやったり、Kindle出版してみたり、配信してみたり…」

書くことも割と嫌いではない。

読書感想文でも賞を取ったこともある。

小学校の時のいじめも”書く”ことで自分で解決した。
これ以上にない〝平和的〟解決だ。
我ながら本当に素晴らしいと思う。

YouTubeも表現手段の一環にすぎない。
趣味の延長でやっているもの。

コミュニケーションを取るなら、リアルの世界の方がいい。
人間、リアルでの付き合いは幸福度を高めるらしい。

SNS

SNSなどもコメントを見ることもない。

SNSは無料でやっている分、〝匿名性〟が非常に高い。
特に日本人は匿名性が高いという。

そんなアカウントを使ったコメントに何の意味があるのか謎だ。

そんな人のコメントなど見る価値などあろうか。

何のリスクも取らないで、安全地帯から人を揶揄することに快感を感じるような輩だ。

顔も名前もどこの誰かも分からない。
見るだけ時間の無駄。

双方向性の情報


インターネットの普及によって、かつてマスメディアが独占していた、情報発信が個人でもできる時代になった。

双方向性、インタラクティブな情報発信は、個人の台頭を生んだ。

ネット関連企業の時価総額が一時期、既存のメディアを追い越すなどマスメディアも戦々恐々としているだろう。

せっかく個人が台頭できる時代になったのだから、その恩恵をいい方向に使っていきたい。

それが、私がコメントを見ない理由だ。

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