見出し画像

四月は君の嘘、死生観

タイトルはあまり関係ない。
そういう漫画がある。少し古めのタイトル。

もし自身が余命幾ばくもない状態ならどう生きるか、後悔のないように精一杯生きることを選択できるのか。もしくは絶望に打ちひしがれて廃人同然に生きるのか。
漫画が伝えたかった真意は分からないし、考察班のようにそれっぽい事も言えない。個人的解釈とそれまで持ち合わせていた死生観を混ぜると、何とも言えない気持ちになることは間違いない。

人生における時間は有限である。だが殆どの人間は無限だと思い込んでいる節がある。親はいつまでも元気でいる訳では無いし、友達といつまでも変わりなく交流が出来るわけでもない。三次元の世界では時間は進むだけで戻ることは決してない。
惰眠を貪ってないか?ダラダラと生きて適当に仕事して適当にSNSに浸って無味に近い日々の繰り返しが永遠だと思ってないか?そう思えるのは、そう生きられるのは時間の有限さに気付いていないか目を背けているからだ。

筆者である自分は正直若くない。
一般的には大人の部類で、自立しているのがまぁ普通だと思う。しかし、実際はどうか。誇れる部分など一つもない努力を怠った末路みたいなクズでしかない。生きる努力を怠った。快楽や娯楽に逃げて、徹底して辛酸を舐めなかった。
それがこれ。何もできない量産型が出来上がった。マジで親に申し訳無い。

タイトルと冒頭にある四月は君の嘘の話。
有限の中で生きる意味を教えてくれる、心臓が握り潰されるような作品だった。今の自分にはきつすぎる内容。命は燃やしてこそ美しい。只の資源を貪り食う餓鬼みたいなのとはわけが違う。あー自虐が止まらん。自分が嫌いすぎてどうしたら良いかもわからん。
新生のクズは自殺はしない。死ぬ度胸すらないから。かと言って長生きしたい訳でもない。振り幅の少ない躁鬱を繰り返している。
命を燃やす。しかし何に対して?昔みたいに音楽をやるか?確かにあの頃はまだ希望があった気がする。今はそんなものどこにもない。コンビニにすら売ってない。

今年も何やかんや3分の1が過ぎた。残り8ヶ月。
何を残せる。どう生きる。残り時間は少ない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?