ネームバリュー

悲しいけれど、現代はネームバリューが重視されてしまう世の中です。
〇〇大学卒、株式会社〇〇勤務、年収〇〇万円、〇〇大会第一位、など、この世には様々なネームバリューが存在し、この世に生きる人間たちはそれらのネームバリューに支配され、踊らされています。
実際、ネームバリュー欲しさに何かを頑張る人や、ネームバリューを売りにしている人も少なくないでしょう。
そして何より悲しいのは、ネームバリューで人を判断する文化があることです。
より人目を惹くネームバリューを持っている人が注目され、群がるように人が集まっていく。
そのネームバリューを持つ人と関わりを持ちたいから。あわよくば、自分も同じネームバリューを手に入れたいから。
反対に、ネームバリューを持たない人は敬遠される。
人間って、頭が良すぎる生き物だと思いませんか。

私は某有名音楽大学に通っている大学4年生、卒業後は一般企業に就職します。
そんな私の周りには、大学院への進学を控えた方が多くいます。
4年間にわたる大学生活の中で、自主的に動いていたことも多く、良くも悪くも名が知れてしまっている私は、気づけば同大学の方々の興味の対象物の1人になっていました。
結果、大学院に進学しないことが自然と知れ渡り、そこから今日までの間に段々と周りの方々の私への興味関心が薄れていくのがわかりました。
面白いほどに、私への態度が、私を見る瞳が、変わっていったのです。
私という人間には魅力を感じてもらえていなかったのだと、一人悲しくなりました。
結局周りの方が見ていたのは、“私“という人間そのものではなく、“少し変わったことをしていて目立つ、よく名前が挙がる人“というレッテルを貼られた人間Aだったのだと、気づかされたのです。
それから少しずつ、SNSの大学関係者のフォロワーが減っていっていることが、何よりの証拠です。

興味の対象物として見られていたのが嫌で仕方がなかったのに、今度はいきなり捨てられたことに傷ついているなんて、本当に面倒臭いです。
傷ついているけれど、良く捉えれば、周りからの目が減ることで少し楽になった気がします。
気にしない、気にしない。

とはいえ、あれだけ興味の対象物になっていたのに、私にそれ以上の価値を感じなくなって捨てられたなんて悔しくて仕方がないので、絶対に見返してやります。
私には、大きな夢という名の野望があります。
絶対に、実現してみせます。
このお話はまた後ほど…

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