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ある女性と無職 ♯18日目


 仕事をしていたとき、毎朝、駅までの道すがら、同じ女性を見かけていた。

 40〜50代くらいの、白髪混じりの女性り足が少し悪い様子で、一歩一歩ゆっくり駅まで向かう。

 駅までの道のどこかで、いつも彼女を追い抜くのだが、私の自宅を出る時間が早かったか、遅かったかによって、追い抜く場所が変わる。つまり、彼女は毎日決まった時間に家を出て駅に向かっているのである。

 どうでもいい話だが、この記事を書いていて、あの有名な哲学者であるイマニュエル・カントは、時間に几帳面すぎて、彼の行動を見て、町の人々が、自分の時計の針を調整していたというエピソードを思い出した。

 仕事を辞めてからは、朝の時間に駅に向かう必要も当然ないわけで、彼女を見かけることもなくなった。ふと、今日も彼女は同じ時間に、駅に向かって歩いているのだろうかと気になり、朝、駅に向かってみた。


 彼女は今日もいた。ゆっくり、ゆっくり、駅に向かって歩いていた。僕が仕事を辞める前と同じスピードで。同じ歩幅で。ただ前だけを見て。

 自分は変わってしまった。職を失った。彼女は変わらず、毎朝駅に向かう。彼女には、向かうべき場所がある。その行き先が職場なのかはわからない。足が悪くても、時間がかかっても、カントもきっと驚くような正確さで毎朝を過ごしている。


 変わらない彼女を見つけて安心したと同時に、自分だけが変わってしまったという残酷な事実を突きつけられる。

 自分はこれまで変わらない毎日を過ごすことに比較的価値を見出してきた。高校まで地元で暮らしていたのも、地元を飛び出して環境を変えたくなかったからだ。

 自分が積極的に掴みに行ったことではないかもしれないが、変わり無精(こんな言葉あるのか知らないけど)の自分が、変化を受け入れなければならない局面にいることは分かっている。

 変わらないものにも、変わるものにも価値がある。続けていた仕事を犠牲にしなくても気づいていたであろう、人生の教訓めいたことを新しく学んだような気になりながら、今日は駅を通り越して、少し寄り道をして家に帰った。

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