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展覧会の絵と無職 ♯23日目

 大学受験の勉強のお供は、クラシック音楽であった。昔、地元の本屋のレジの近くに、一枚100円のクラシックのCDが売られていて、圧倒的なお得感とクラシック音楽という高尚な響きに引かれ、有名な作曲家のCDをせっせと購入しては、よく聴いていた。


 仕事をしていた頃は、毎朝せわしい朝を迎えていたが、今は、コーヒーを飲みながら、クラシックやジャズを聴くという、優雅な朝の時間を過ごしている。世間から隔離した生活を少しでも味わって、厳しい現実から目を背けておきたいという甘えからか、心身が、クラシックを求めている。今は、せっせと、CDを買い込む必要もなく、Apple Music Classicalで、簡単にジャンルや年代別で音楽を探して聞ける時代になったのだから、甚だ感謝である。


 最近のお気に入りは、ムソルグスキーの『展覧会の絵』。組曲形式で、いろんな音楽が一つに詰まっている(そこにも魅力を感じているところに、クラシックの高貴さとは対照的なお得さをついつい求めてしまう自分の庶民性が潜んでいる気がしてならない)。


 曲自体はどれもそんなお得感とは対極にあり、最初の「プロムナード」で提示された主題が、随所にちりばめられ、もの悲しさ、明るさ、荘厳さを備えている(個人的にはピアノ演奏より、ぜひオーケストラで聞いてほしい)。


 様々な「プロムナード」に、「小人」「古城」といった絵画の名前が付けられた曲が合わさって、組曲が構成されているのだが、それぞれの曲が、曲名の絵画がどのようなものなのか、聴き手の想像力を掻き立ててくれる点もよい。例えば、「小人」を聞けば、そこに出てくる小人が、ディズニーの白雪姫に出てくるような愛らしい小人ではなく、意地悪な小人であるような印象を受ける、といった具合に。


 自分のお気に入りは、最後の「キエフの大門」。まさにこの組曲の殿を務めるに相応しい曲。プロムナードのテーマがこれまでとは異なった形で現れ、それはもはや単なる散歩道(プロムナードは仏語で「散歩道」を指すらしい)ではない、壮大さを感じさせるものになっている。


 遠い昔、楽譜を手に入れられるのは貴族や裕福なものだけであり、音楽が大衆に普及するには時間がかかったと、何かの本で読んだ気がするが、現代において、音楽は、貴賤を問わず、万人に開かれている。むしろ、職を失ってから始めて、ゆっくりと音楽を味わえるようになっている。



 ムソルグスキーと一緒に、今日も毎日の散歩に出かける。「展覧会の絵」の効果で、いつもの散歩道が「プロムナード」に変わる。足取りも意識的に優雅にしてみようかと思うが、「優雅さ」の正解が分からず、ものの1秒で断念した。





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