日記と夢日記7

昼過ぎに起きてUber Eatsでフレッシュネスバーガーを頼む。なぜならアボカドの入ったハンバーガーが食べたくなったから。フレッシュネスのコーヒーは美味しかったような印象があるので併せて注文。結構な額になってしまった。Uber Eatsで出前を取るのは身の丈に合わない贅沢をしているようで、その後ろめたさが良いスパイスになっているような気がする。休日は用がなければなるべく外出したくないのだが、Uber Eatsという便利なものの味を知ってしまったから輪をかけて家にこもりがちになった。ところで、何度やっても地図上のピンがずれてしまうのが気がかりだ。毎回、配達員の方にピンずれの旨と、近くの目立つ建物の特徴を送りつけている。どうしたものか。

その後、高田馬場でバンドの練習。ついつい熱が入ってしまうから、それとも体力の衰えなのか、昔よりも疲れるようになった。3時間練習すると体育の後のような虚脱感を覚える。しかし、普段の姿勢の悪さから来る体の凝りがほぐれるから楽器を演奏するのは心地よくもある。このところのコロナウイルスの騒ぎで外出する気が起きず、家で暇を持て余している人は楽器を手にとって演奏したら良い気晴らしになると思う。楽器がないという人は音楽に合わせて太ももをパタパタ手で叩くだけでも効果は十分だろう。音楽を聴きながら体を動かすことは、美味しいものを食べるのに匹敵するであろう幸福を我々にもたらすというのが個人的な見解だ。

帰宅後、CoDモバイルで敵が不快に思うような戦法を駆使して勝利を重ね、ストレスを発散。FPSゲームにはいかに自分がやられて嫌なことを相手にするかという側面がある。戦法がハマって圧勝したときなど、相手の心中を察してこちらまで嫌な気分になることは少なくない。いわゆる試合に勝って勝負に負けると言われる状態だ。だから一概にストレスが発散できるわけでもなく、勝てば勝ったでそれがストレスにもなり得る。あひゃひゃひゃひゃという乾いた笑いが部屋に響いてやがて訪れる静けさに虚しさは積もるばかり。

昨日から散歩を再開した。なぜなら不快な体の凝りをちょっとした運動で解消しようと思ったから。アルバム一枚分徘徊して帰って来るというルール。昨日はBADBADNOTGOODのメンバー、Matthew TavaresとLeland Whittyのアルバム『Visions』を聴きながら歩いた。

近所の川沿いをひたすら歩くというのが定番の散歩コースだ。『Visions』は暖色系の街灯に照らされる仄暗い道を歩くのにうってつけの音楽で、疲労と相まりやや現実離れした幻想的な気持ちになる。途中、道の傍らに折りたたみの椅子とテーブルを設置して瓶のハイネケンか何かを飲んで和んでいるカップルがおり、おい、ずるいぞと思った。いつか真似したい。たしかそうした行為には名前がついていたはずだ。シッティング?ベンチング?チェアリング?チェアリングか。

「今日はツイートしたの?」と聞かれ、「してないよ」と答えると「いいじゃん」と返ってくる。川沿いの道でチェアリングをしながらそんな会話を交わしたい。

お気づきの方もいるかもしれないから正直に申すと、ベンチングと書く前の段階でもうチェアリングという言葉は思い出していた。粋がって余計なことを言ってしまってどうもすみません。

本日も夢を見ていたが起きた瞬間に記憶のゴミ箱行きで、なにも思い出せない。


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