日記と夢日記10

髪を切る。長い髪が似合っていないと自分でも思うものの、似合っていないことをしてみたくなるというのが人情というもの。白髪が増えてきたこともあり、藤原ヒロシの現在の髪型を見ると非常に勇気付けられる。しかし、さすがに邪魔くさくなってきたので短くすることにした。

よく考えたら同じお店に10年以上通っていることになる。これってどうなんだろう。お店に対して不満に思うところは一切ない。というか毎回満足してお店を出ている。一度、不本意ながらQ-Tipのような髪型になってしまったこともあったが、たまにはそういう経験も悪くはないだろう。美容師の方々も落ち着いており、たぶんこちらがお喋りなタイプではないと察知してほとんど話しかけてもこない。

けれども、もっとチャレンジしたほうが良いのかなとも思う。『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』というとても好きな映画がある。主人公のハロルドは屋敷に住む高校生ぐらいの青年で、母の愛を感じることができず、また生きている実感も薄く、霊柩車を愛車にしたり、他人の葬式に出席したり、自殺ごっこをするなどして、死に接近することでなんとか己の生を実感している。ある日、ハロルドがいつものように知らない人の葬式に参列した際に、ホロコーストを生き抜き、生を謳歌して奔放に暮らすとてもチャーミングなおばあちゃんのモードと出会う。彼女と過ごすうちに主人公が生の喜びに目覚めていくというのがストーリーの主軸となる。あるとき、彼女は主人公にこんなことを言う。「毎日何か新しいことをしなきゃ」と。

上京してからずっと同じアパートに住み続けている。一度引っ越しを決意し、部屋を決めて契約する寸前まで行ったのだが、こちらの段取りが悪くご破産となり、結局今の部屋を更新することになった。このときの、引っ越しに関するあれこれが本当に面倒で気が滅入ってしまった。別にそんな風に考える人は少数なのだろうが、引っ越しというものをこの社会をサバイブするうえでの通過儀礼だと思っている節があり、それに失敗した自分は近いうちに社会から脱落するのではないかという不安を常に感じている。

新しいことをするのはそれ相応の気合が必要になる。例えば新しい美容院を使ってみる際には、微妙な髪型になってしまったらどうしよう、「バチェラー見てます?」と話しかけられたらどうしよう、BGMの趣味が好みでなかったらどうしようといった不安がつきものだ。失敗したときのことを考えるとすべてに及び腰になってしまう。けれども、不安を遠ざけて安全な場所に閉じこもっていると空気が淀んでくる。それで気分が悪くなっているのに、換気のために窓を開けるのすら面倒に感じてしまう。生きているというより、ただ起きているだけといった状態。自分こそがディストピアもので戯画的に描かれる堕落しきった未来人なのではという疑念が浮かび、危機感を覚えたりもする。ここで、俺だってモードと出会っていたら本当はもっと…と考えてしまうのがヘタレの一人っ子がヘタレたる所以だろう。だ、誰か助けて。

本日は夢はCoDモバイルの世界に入って戦闘しているものだったが、やはりぼんやりとしておりそれ以上の記述は不可。

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