日記と夢日記1

土曜深夜から翌朝までスタジオでバンドの集い。完全に夜型の人間だが、家で一人のんびり過ごすわけでないから体に堪える。そして、人と一緒に長時間過ごすことはやはりそれだけで疲れる。それが家族だろうが恋人だろうがメンターだろうが愛弟子だろうが疲れるものは疲れる。一方で自分もまた人を疲れさせる。そうした前提のもとお互いに摩擦係数を低くしようと努めたら少しはましな結果になりそうなものだが、世の中には「私は人といるのが好きだが?疲れるだなんてリスペクト・ロスト、失敬じゃないか」という人もおり、その認識の相違も我々を疲れさせる要因のひとつとなっている。

過日、友だちに誘われて飲み。東中野にある鰻の串焼き屋へ。閉店とともに年に2、3回行くバーへ移動する。ビートルズの『Help』が流れており、金髪の40がらみの男性が「結局はシェケナベイベーなんだよなあ」などと盛り上がっている。話の流れでウィルコ・ジョンソンが好きだと伝えると、おまえこっち来いと言うので、男性の横に座って話すことになったのだが、最終的に「あなたは自分に自信がないよね。みんなが酔っ払ってアッパラパーになってるときに一歩引いてるのは俺はイヤかなあ」と言われてしまう。初対面の酔っぱらいが放った何気ない一言というより、この世の社交性を司る神が男性の口を借りて寄越したご宣託なのではという気がしてしまう。かつて受けた社交性へのダメ出しに関する様々な記憶が去来した。

ただちに魂を救済せねばと平田オリザの『わかりあえないことから コミュニケーション能力とは何か』を読んでみる。世間で求められるコミュニケーション能力とは慣れで対処できるものに過ぎず、人格云々の話ではないというようなことが書いてあった。20代前半は人見知り、口下手が極まってもう生きていけない、このまま死ぬかもしれないと思っていたところがあったから、その頃に読んでいたら深刻さが緩和されていたかもしれない。当時は藁にもすがる思いで岸田秀の著作を熱心に読んでおり、駄目な文系特有の生きるうえでのセンスのなさを発揮していた。問題をあえて深刻に捉え、本来なら解決できるであろう一口サイズの問題から目を逸らしがちであった。なぜなら問題に立ち向かうのが億劫だったからだ。

『わかりあえないことから』は安堵をもたらすが、その一方で「三十過ぎたら慣れも実力のうち」とも書かれており、現状における実力のなさを意識せざるを得なかった。

バーの男性の一言によって自分はおどおどしていて魅力の欠片もない凡人以下の退屈な存在だと痛感させられたのだが、人と一緒にいると疲れるなどと考えている凡人以下の存在に声をかけてくれる人がいるということはなんて有り難いのだろうという結論に至り、すこし泣いてしまいそうになった。

日曜の朝7時頃に帰宅。なかなか寝付けず、前から観ようと思っていたドラマ『チェルノブイリ』を観るためにamazonのスターチャンネルに登録。第一話は恐怖が張り詰めていて胃がキリキリした。HBO制作だからなのか人物造形が『ゲーム・オブ・スローンズ』めいており、台詞も気が利いている。共産圏の建築物、美術などビジュアルも良いし、どうやって撮影しているの?という映像も質が高い。夕方に起きて2話以降を一気に観た。男2女1のチームで互いに補い合ってタフどころではない状況に立ち向かうという『マインドハンター』な要素もある。地名や施設のテロップがどかんと映し出されるのを観る限り影響を受けていると思われる。

その後、自宅作業。洗濯物を乾かしにコインランドリーに行かねばと思ったものの怠いので放置。軽く飲酒してドラマ版『ウォッチメン』の第一話を観ながら就寝。

美容院。店長と1対1の空間。受付で話しているとちゃんとお金を持ったか心配した祖母が様子を見に来たので追い返す。財布には1万円あるから大丈夫だろう。何かを察した様子の店長は「うちは料金高いですけどやめときます?後から払えないと言われても困るのでキャンセルするなら今のうちに」的なことをオブラートに包んで言ってくる。カウンターを見やるとカード決済のためのカードリーダー(?)があったので、カードが使えるか念のため確認する。

シャンプー台に案内される。店内はみすぼらしく、年季の入った民家を無理やり美容院として使っているだけといった有様。シャンプー台と言ってもただのキッチンシンクだ。遠慮しないで好きな席を選んでくださいと言われる。そんなことを言われてもただ丸椅子が用意されているだけなのだが。

気づくと店長と私は黒のボクサーパンツを履いただけの姿になっていた。肌と肌が触れるほど距離が近く、気まずい。

カットは終わったようだった。店内に貼られたポスターが視界に入る。店長はミュージシャンとしても活動しているようで、ツアーか音源の販促ポスターと見える。橋本環奈など複数の芸能人からインスピレーションを受けて曲を書き、それを本人に送りつけたことをあたかも実績のように書いていて「しょうもねぇなこいつ」と思う。

手ぐしで切ってもらった髪の感触を確かめる自分の姿を三人称で眺めていたら目が覚める。

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