日記と夢日記19

昨日の日記に夢のことを書くのを忘れてしまった。と言っても特に見てはいないのだけれど。

今日は夢を見た。夢から覚めた瞬間に内容を忘れないよう(「内容を忘れないよう」…)、スマホにメモしておいた。メモを見返すと以下のように書かれている。

高速
運転
知人のバンド、かぞくっれ
くりまかりなおす
大和田智之

眠たくて仕方がなかったことが伺える。「かぞくっれ」とは「家族連れ」のことだろう。「くりまかりなおす」は「車借り直す」。大和田智之は大和田俊之の間違いだ。夢の中で高速道路にいたことだけは覚えている。オレンジ色がかった景色だった。夕暮れ時だったのか。山が黄金色に染まる秋だったのか。夢をメモするときにキーワードだけ記しても何もわからない。大和田俊之が出てきて何をしたというのか。次回からは述語も記していこう。

虫歯のために前歯が欠けた件だが、予約していた歯医者はキャンセルし、人にオススメしてもらった歯医者に電話を入れて新たに予約し直した。来週の火曜に行くことになった。

毎日日記を書いてネットに公開していたら、だんだんと憑き物のようなもの取れて来たように感じる。思春期以来、他人からどのように思われているのか物凄く気にしてしまう性格だったのだが、身内に「うわぁ、鳥居きちぃな…」と思われても別にいいやという気になってきた。よく知らない人にがっかりされても構いやしない。以前であれば、誰かに見放されたときにおそらく「俺の何がいけなかったというの!」と狼狽えていただろう。

これには、コロナ禍を受けて徐々に死というものがリアリティを帯びてきたことが影響していると考えられる。半ば自暴自棄になっているのかもしれない。どうせ死ぬときは一人なんだし、プロップスを得ようが失おうがどうでも良し。

とは言ってみたものの、誰かに面と向かって「あなたの日記、軽く読んだよ。まじきついね」と言われたらたぶん立ち直れない。でも、まだ言われていないので先走って悲しくなる必要もなかろう。実際に言われたときに初めてへこめば良し。それに、こちらには「はあ?きっしょ!」という魔法の返しがある。なんとも心強いではないか。

横尾忠則が本日こんなことをtwitterで呟いていた。「嫌われるようなことをしなければ、好かれない。今の作家はその反対の生き方を求めている。また読者も好かれるような作品を好く。いつの間にか読者もアホになっている。」

それな、と思う。「あなたが私から好かれる努力を怠ったせいで、私はあなたのことが嫌いになってしまいました。非常に残念です」みたいな嫌われ方をすることってないですか。あるような気がするんだけど。ないかな?

なんにせよ、人のことが嫌いになる理由としては許せないものがある。癪に触る。なに当然のようにイニシアチブ握っちゃってんの?と思う。一体何様だというのか。

コンビニの店員の愛想が悪かったり、やる気がなかったり、声が小さかったりすると、「よっしゃ!俺たちで世の中変えていこうぜ!」という気持ちを込めた無言のエールを送ってしまう。こんなことを言うと、「鳥居の野郎ときら、愛想の悪い奴らの味方だとは。またへそ曲がりなことを!」と思う人がいるかもしれない。誤解を解くためにはっきりさせておきたいのだが、もちろん感じの良い人も好きだ。みんなのことが大好きなんだあ。

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