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32、35日目 - 懐かしげ

(前回の記事)​

32日目

 朝の運動を待っていると、早々と風呂に入るよう言われる。とうとう僕も、一番風呂に入れるほどに古株となってしまったのである。看守に、「あんたも、すっかり古株だねえ」と、からかわれる。いささか忸怩たるものはあるが、まだきれいな湯で、気持ちがよい。さらに、風呂上がりに運動場に出てタバコが吸えるのもありがたい。

 万田氏、連日のように親の面会がある。房に残った加藤氏、「あんなに親が甘やかしているようじゃ、再犯で戻ってくるのもすぐだね」と、毒づく。何となく、同感である。

 トビ氏、何やら気がかりな事でもあるのか、終日ブツブツと独り言を言いながら、房内を熊のように行ったり来たりする。非常に目障りでカンに障るが、ここで噛み付いては、以降の生活がしづらくなるのでぐっとこらえる。

 加藤氏、その後取り調べ。戻って来ても、何やら憮然としている。はっきりとは言わぬが、どうやら余罪が発覚し、再逮捕されるかも知れないとの事。

 夕方、激しい雨の降る音がする。看守によると、大型の台風が近づいているらしい。もっとも、分厚い壁の中にいる僕たちは、安全である。

 と、いつもと変わらぬ、今日一日なのであった。

35日目

 ここのところ、睡眠薬のおかげで、比較的よく寝られる。ただ、時々イビキをかくらしい。寝言同様、かなりの大音声である由。しかしこればかりは、自分ではいかんともしがたい。幸いな事に、毎夜、イビキをかく訳ではないらしい。

 トビ氏、相変わらず看守嫌がらせの本交換が頻繁である。以前も書いたが、本を交換したいときには、大きな声で看守を呼ぶ。自分の房の番号を怒鳴る訳だが、トビ氏、いささか独特な節回しで「イチぶぉう~」と、呼ばわる。最近は、この節回しが多房のからかいの対象となっており、マネをする者が多い。トビ氏、これにはかなり憤慨し、時おり「マネするな!」と、怒鳴るのだが、まるで蛙の面に水、いっこうに収まる気配がない。おかげで、トビ氏の機嫌が非常に悪く、いい迷惑である。

 そのトビ氏の、唯一の憩いの時がおやつの時間である。最近は、加藤氏との間で、拘置所や刑務所の思い出話に花が咲いている。「あれはああだった」「これはこうだった」と、とても楽しげ、懐かしげである。横で聞いていると、まるで刑務所がとても良いところのように聞こえてくるので、なんだか妙である。

 もっともこれは、彼らに限った事ではない。運動時等に、他房の連中が以前いた刑務所の事を話す時は、なぜか一様に懐かしげな表情となっているのである。

 ……この事件から数年が経過している現在、僕がこの時の事を話す時も、「懐かしげ」なのかもしれない。

※この手記は2003年に執筆されました。文中の名前はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。