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36、38日目 - ついに小衝突

(前回の記事)

36日目

 ここでは、寝る前にメガネを預ける。これも、レンズを割っての自殺防止のためである。眠れない夜は、トイレの中で電球を頼りに本を読む。僕は強度の近眼なので、舐めるように本を近づけて読まねばならない。
 朝になるとメガネが届けられるのだが、この朝は誰の物とも知れないメガネが届けられた。
 もっとも、すぐに正しく戻って来たので、ただそれだけの事ではある。

 朝の運動時、看守に、未だ検事取り調べのないマジックマッシュルームの追起訴について聞いてみる。やはり盆休みのため、この時期の取り調べは非常に遅れる事が多い由。また、本罪で起訴してしまうと、その裁判期間中は追起訴が可能なので、ギリギリまで取り調べをしない事も多いのだそうな。これ、わかりやすく言うと、夏休みの最終日まで宿題をしない小学生と同じなのである。

 なんだか、少し諦めがつく。……

 久々に「面倒見」。またしても、追起訴について尋ねてみる。なんだか今日は、朝から追起訴の事ばかり聞いているが、いま一番の関心事なので致し方ない。しかし、確たる意見は聞かれずに終わる。
「ちょっと、長引くかもな……」

 またか。

38日目

 前夜の就寝前、ついに同房のトビ氏と小衝突を起こしてしまう。なんだか些細な事で、トビ氏が絡んで来たのである。

 このところのトビ氏の行動はいささか目に余るものがあった。頻繁すぎる本交換、むやみと大声で看守に悪態をつく、狭い房内をドスドス歩き回る、と、いささかならずイライラさせられていた事もあり、つい、こちらも声を荒げてしまう。

 看守が飛んで来たのですぐに騒ぎは収まったが、ここまでたいていの事にはヘラヘラとしていた僕が怒りを見せたので、看守も少し驚いたようであった。一方的に悪者にされたトビ氏はすっかりヘソを曲げてしまい、隅でふくれていた。

 朝の運動時、まだヘソを曲げていたトビ氏は運動に出てこなかった。そこで、昨夜の喧嘩が話題となる。
「いや、昨日はよく手を出さずに我慢してくれたねぇ」と、看守。無論、当方は牢屋の中で荒くれ男相手に立ち回りをする勇気など持ち合わせていないのだが、口に出しては「まあ、ここで喧嘩しても始まりませんから」と、優等生。

「それにしても、あなたは見れば見るほど、普通の人だよねぇ。こうして話していると、なんでこんなに普通の人が、こんなところに入っているのかねぇ、と思うよ」と、看守。
「いやぁ、そりゃ、フツーの人ですから」と、僕。無論、あんまりフツーではないので入っているのは自明である。

 それでも昨夜の出来事には同情してくれ、「あんまりにも目に余るようなら、考えるから」と言ってくれる。
 しかし続いて「たださぁ、あの人と一緒で面倒を起こさなそうなのは、あなたくらいなんだよねぇ」とも言われる。
 ううーむ。優等生は廃業した方がよいのかも……。

 先日来てくれた弁護士からのハガキが来る。依頼していた知人への連絡先がようやくわかる。荒木刑事に頼んで一ヶ月、何ら成果を見せなかった知人の連絡先が、弁護士に頼むとほんの数日。当然、荒木刑事は口先だけで、実際には動いてくれていないのである。刑事なんて、そんなもんである。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。