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52-54日 - 久しぶりに3人部屋

(前回の記事)

52日目

 初公判まで2週間を切る。ついつい、日記ノートの1ページ目に作ったカレンダーを見て、日に幾度となくため息をついてしまう。結果はわかっているようなものなので、なお、それまでの時間が長く感じられる。

 まだ8月だというのに、連日天気も悪く、肌寒い。そのせいか、留置場内に風邪が蔓延している。かつての同房者、偉丈夫の刺青氏も風邪にやられて、昨日は38度の熱が出た由。今日の運動時も元気がなく、顔色が悪かった。

 加藤氏は昨日、覚醒剤で再逮捕となった。入ってきた時も覚醒剤かと思っていたら、最初は窃盗であった由。今日は朝から、地検の方へ再勾留審査で出てしまう。午後からは鮫島氏も検事調べで出て行く。房には、僕とトビ氏だけとなるが、鮫島氏が来て以来、すっかり大人しくなったトビ氏は、隅で静かにしている。
 僕も久しぶりに広々とした房内で、ゆっくりと寝転んで本などを読んで過ごす。ここのところのイライラが、多少収まったような気がする。やはり、人口過密が精神安定上、よくなかったようである。

 昼過ぎに帰ってきた加藤氏、「午後からは刑事調べだ」と、浮き浮きしている。気持ちはわかる。こんな部屋に閉じ込められているよりは、飲み物もタバコも自由な取り調べの方が、よほど気が晴れるというものである。

53日目

 刺青氏の判決公判。朝の運動時、早くも、執行猶予がついて釈放の一報が入る。
 他にも2名、移監となり、3房が2人部屋となる。そこで、鮫島氏が3房へと移房になった。1房は、久しぶりに3人部屋となる。やはり、1人1畳のスペースがあると、ずいぶんとゆとりを感じる。就寝時も、やっと縁を折り曲げて重ねずとも、布団が敷ける。
 せめて1週間でよいから、この状態が続いてほしいものである。

54日目

 と、思う間もなく、新人さんが入ってくる。看守もすまなそうに、「3人部屋は長続きしなかったねぇ」と言ってくれる。
 今度入ってきたのは、タイ人の青年であった。飲食店にでも勤務していたのであろうか、ぱりっと折り目のついたズボンに、飾りのついたシルクシャツと、妙にこぎれい。ルックスも、ホスト風の美青年である。交通事故を起こし、オーバーステイが発覚した由。
 日本語はまだ片言で、しばらく雑談するも、我が英語力のなさを痛感する。しきりと「彼女に電話をしたい」というのだが、「それはできない」と説明するだけに四苦八苦する。しまいに面倒になり、看守を呼んで説明してもらう。もっとも、僕が彼にそれを説明する必要はない訳で、最初からそうすればよかっただけの話ではある。
 しかし、格好の暇つぶしにはなった。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。