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47日目 - 復活の喜び

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 世間では盆休み明けであろうか。ここでは盆休みに突入以降、あらゆる動きがパッタリと止まる。刑事調べや以前も書いた「面倒見」はあるのだが、検事以上の動きがないので、留置場の中も、入ってくるばかりで出て行く人がいない。取り調べもまばらなので、確実に場内が「モンモン」としている。早い話が「溜まって」いるのである。

 おっさんに囲まれてはいるものの、男子たるもの、物理的に溜まるものはいかんともしがたい。吐き出す意外はない。唯一のチャンスは、同房者がみんな取り調べで出払った時である。

 明るい房だと、「よおっし! 抜いてくるぜ!」と元気にトイレに向かう声が響いてきて、周囲の房から「頑張れよ!」の声援が飛ぶ事もあるのだが、ここ一房は平均年齢が高いせいもあり、そういった明るいムードはない。

 まだ若い盛りの万田氏がここにいた頃は、毎日のたうち回っていた。「抜いてくりゃいいじゃん」と言うのだが、さすがに僕たちオヤジがゴロゴロしているすぐ横ではその気になれないらしく、出るまでずっと我慢していた。今や彼も、誰はばかる事なく抜けるようになったはずなので、欣快至極である。

 かくいう僕はと言うと、入って半月ほどは、やはり多少の影響はあったのだろう、全くそういった欲望が起きなかった。それでも「そんなはずはない!」と同房者の留守中、何度かトライはしたのだが、全く持ってダメであった。もともと激しく欲望が起きている訳でもないので、さして気にはしていなかった。「まあ、特殊な環境に来ているんだし、そんなもんだろう」くらいの感覚であった。

 実際その通り、やはり心因性のEDだったのだろう。盆を迎える頃になり、ここでの生活にも慣れてくると、ちゃあんと復活したのである。やはり同房者の出払ったある日、突如として鬱勃たるパトスに駆り立てられ、トイレに駆け込んだのであった。

 しかし事後の感想はと言うと、復活の喜びはさしてなく、元気だった時と同様、終わったあとは索漠としたものでった。

 男なんて、そんなもんである。


 鮫島氏と言う天敵のできたせいであろう。このところ、トビ氏が僕に対して友好的である。この日の運動時も、自分はタバコを1本喫っただけで、残りの1本をくれたりした。ただ、ここまでの彼の態度を考えると、この行為も素直には受け入れがたく、せっかくタバコをくれたのにいささか冷たい態度で受け取ってしまう。あとで少々、大人げなかったかと反省した。

 「超」武闘派の鮫島氏、逮捕時に骨折した指の添え木を「邪魔だぁっ!」と、外してしまう。まだ、紫色で痛々しいが、せっかく固めてある包帯を歯で食いちぎってしまう。食いちぎっておいて、「痛い……」と、唸っている。なんだか訳が分からないが、なにしろ武闘派なのでしようがない。

 結局、その後看守に諭されて、再度添え木を当てていた。ちなみにこの朝、彼は喧嘩の夢でもみていたのだろう、寝言で「やんのかこらぁ!」と怒鳴っていた。

 明後日、「本部長」が視察に来るとかで、朝からあちこち大掃除をしている。ずっと掃除機の音が響いている。もっともこれは留置場内ではなく、外の刑事部屋を掃除しているようである。確かに刑事が、日頃から机周りをキレイにしているとは思えない。

 夜、女子房で、時ならぬ騒ぎが起こる。看守の「着替えなさい!」と言う怒声と、少したどたどしい日本語で、「そんなのやだ!」と叫ぶ声が響いてくる。
 翌日聞くと、タイ人の女の子が禁制の服を着ていて、お仕着せに「着替えろ」「そんなダサイのやだ」と押し問答をしていた由。


※この手記は2003年に執筆されました。文中の人物名はすべて仮名です。

この記事は故人の遺志により、妹が公開したものです。故人ですのでサポートは不要です。ただ、記事からお察しのとおりろくでもないことばかりやらかして借金を遺して逝ってしまったため、もしも万が一、サポートいただけましたら、借金を肩代わりした妹がきっと喜びます。故人もたぶん喜びます。