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少女たちの楽園創生~エデン条約編ストーリーテーマについての考察と感想~

※この記事は2021年12月15日時点の情報に基づいて記述されています。その性質上、ブルーアーカイブのメインストーリーvol.3「エデン条約編」第3章9話までのネタバレを含みます。未読の方、未プレイの方の閲覧は極めて非推奨です。
また、本記事の内容は全て個人の見解です。

(2021年12月21日13時29分。誤字・脱字・衍字・第一の楽園の文言を一部修正)

はじめに



メインストーリーがネームドキャラ退場まで予想されてどこにも救いを見つけられないアークナイツ一歩手前の結末になるんじゃないか?と心配されるくらい重い展開になってきたのに、アンソロジーの表紙でデカパイバニーをさらけ出し温度差でプレイヤーをフリーズドライにして保存食品~オタクの悲鳴~を販売しようとしているともっぱらの噂なRPG、ブルーアーカイブ!


この記事を読んでいる皆さん、はじめまして。私、ムシモチと申します。サービス開始から今日までひっそりと遊び続けているしがない先生です。プラチナトロフィーをたくさん取ったり、見通しの甘い総力戦コイン交換で後悔したりしています。名前だけでも覚えて帰ってくださいね。


さて、今回はタイトルの通りエデン条約編のテーマを考察しつつ、感想をつらつらと書いていきます。
もし、ここに「まだエデン条約編3章を読んでないよ」「ブルアカを遊んだことがないよ」という方がおられるのなら、悪いことは言いません。今すぐこのブラウザを閉じてエデン条約編3章を読むか、ブルーアーカイブをインストールしてめちゃめちゃ頑張って任務11-3まで進めてエデン条約編を読んでください。
その上で新鮮な感想。または興奮。または悲鳴。または長文感情をお聞かせいただけると私が喜びます。

この物語を読んで自分の中に生まれた思考の数々をどうにかして文字にしておきたいと、居ても立ってもいられず筆を執ったオタクの感想文。どうか最後までお付き合いしていただければ幸いです。


エデン条約編の主題


はじめに、エデン条約編を通して表現したいテーマは何なのか?に対する私の意見を明確にします。
エデン条約編は全編を通して「信頼関係の回復」「解釈と選択」をメインテーマにしていると考えています。

エデン条約編1章1話にて、セイアの口から語られた内容を一部抜粋します。

「互いが互いを信じられないがゆえに、久遠に集積していくしかなかった憎悪を解消するため、それに代わって新たに信頼を築き始めようとするプロセス」
「存在しない者の真実を証明することはできるのか?」
「しかしここで同時に、思うことがある。証明できない真実は無価値だろうか?この冷笑にも近い文章を通じて、何か真に問いたいことがあるのではないだろうか?」
「夢想家たちが描く、甘い甘い虚像」

「vol.3 エデン条約編」1章1話より。

ジェリコの古則、その五つ目に絡めてエデン条約に対する皮肉めいた見解が述べられます。
この時点では非常に難解で、要領を得ない言葉の羅列です。
しかし、1章16話においてハナコがプール掃除の時に着ていた水着の話題の中で真実をテーマにした論を展開します。

「実はあれが下着だったとして……その『真実』かもしれない何かは、どうすれば証明できるのでしょう?」
「証明できない真実ほど無力なものは無い……そう思いませんか?」

vol.3「エデン条約編」1章16話より。

アズサの反応からもわかる通りこれはプロローグでセイアが語った「ジェリコの古則」に基づく理論ですね。

当初、ハナコは今着ているのは水着と言って掃除に参加し、当事者である他メンバーもそれを信じていました。
この時間にハナコが着ていたものが果たして水着なのか、それ以外なのかを証明する情報は、プール掃除が終わって一日も経ってしまえばハナコ自身の言葉しかありません。
しかし、ハナコの言葉は証明力に欠けます。後からいくらでも「水着を着ていました」「本当は違いました」と都合の良い発言ができるからです。
この時点で「当時者間での証明」は極めて難しくなります。タイムマシンでもあれば話は変わってきますけどね。

ハナコの言葉が意味するものは「信じる/信じない選択」だと考えています。

真実を証明するには情報が必要です。私たちは日頃から多くの情報に依存して生きています。
地球は丸い。海は塩水。空気はチッ素と酸素その他を含む。太陽も月も天体。宇宙は空にある。
小学生でも知っている常識すら、これらを支えるための多くの情報によって成り立っています。百年、二百年、それ以上昔から沢山の人々が研究を重ねて、ああでもないこうでもないと試行錯誤を積み上げていった先にあるのが現在、私たちが信じている真実です。

では、これらの真実は永遠に絶対なのでしょうか? それもまた違います。

例えば、歴史の教科書はちょくちょく改訂されることがあります。わかりやすいものだと鎌倉幕府の成立が1192年だったのが最近は1185年になっていますね。
改訂されたからと言って「今まで嘘をついていました」なんて話ではありません。
その分野を研究する人たちが多くの史料を照らし合わせ、批判し、現在はこう記述するのが妥当であると選択したために変わったのです。

地球は丸いと言う一般常識ですら、今から500年ちょっと昔は全く異なる意見が信じられていました。では、地球は平面であるとか、太陽も月も地球を中心に回っているとか信じていた人々は間違っていたのでしょうか?
現代の人から見れば間違っていますが、当時の人々にとっては最新の情報や学問から信じることを選んでいます。それは紛れもなく、ある時点での真実だったと言えるでしょう。

「事実と言うものは存在しない。存在するのは解釈のみである」と言う言葉があります。
歴史上の出来事として教科書に載っている内容も、科学的に証明されている論理も、絶対不変の真実ではなく、途方もないくらい多くの情報を解釈していくことで、現在において選ばれているものです。

「人を信じる」ことも同じではないでしょうか。
他人の言葉や行動。それらの頻度や理由、周囲の状況と言った幾つもの情報を批判し、解釈することによって「この人/情報を信じるのは妥当である」と選択を行います。
こう考えると、信頼と言う行為そのものが選択と同義とも言えるのではないでしょうか。そして、選択の根底にあるのは情報とその解釈です。

それでは、本編中で補習授業部やティーパーティーの面々が混沌とした情報をどのように解釈し、如何なる選択を見出したのか。今回は補習授業部とティーパーティーの各キャラクターにフォーカスしながら考察していきたいと思います。


補習授業部の見出した楽園


補習授業部。彼女たちの旅路の始まりは決して順風満帆とは言い難いものでした。
疑われた者同士でごみ箱と称される部活動に放り込まれ、出会う前から全員が不明瞭な言動を繰り出します。

vol.3「エデン条約編」1章5話より。

何故か水着のハナコ、激戦を繰り広げた上にガスマスクをつけたアズサ、普通に泣くコハル。はっきり言って、何一つ歯車が噛み合っていません。
そんな彼女たちを繋ぎ止める唯一の縁は試験だけです。
そして、惨憺たる結果に終わった試験から、合宿と言う彼女たちだけの時間が始まることによって、孤独だったアズサ、コハル、ハナコに多大な心境の変化を及ぼしていきます。

合宿の終わりも近づいてきた第三次特別学力試験前夜。アズサに致命的な指令が告げられます。それはナギサ襲撃作戦を翌朝に変更するものでした。
震える肩を抑えながらついにアズサは決心し、補習授業部の皆に自身がアリウスの出身であることを告げます。
今まで築き上げた信頼を裏切る行為に他なりません。どれほど言い訳をしても、合宿の間ずっと皆を騙し続けてきた事実は消えないからです。
しかし、アズサを待っていたのは補習授業部三人からの「信じる」選択でした。これは「一度裏切られた者が再び相手を信じる選択を取る」という物語を通して極めて重要な要素になると考えています。

それでは、彼女たちが信頼を再証明するに至った過程を考察してみましょう。


白洲アズサについて


始まりはいつも突然。一介の兵士として百合園セイアを襲撃し、そのヘイローを破壊するところが物語上の白洲アズサのスタートラインです。
そこでアズサは問われます。「君はそれで良いのか?」と。それも、セイアの予知夢によって見抜かれた自身の内に秘める信念と共に。
アズサにとっては人生初と言って良いほどの衝撃だったでしょう。何せ、己が抱え続けてきたアリウスでは受け入れられない思想を、事もあろうに目前まで迫った襲撃ターゲットに見透かされていたのですから。
そこで、アズサが自らの本心と向き合う瞬間が訪れたのだと思います。結果として、彼女はアリウスの憎悪と、破壊と、虚無の思想に抗う選択をしました。

「全ては無意味かもしれない。だが、今日の最善を尽くさない理由にはならない」
これはアズサなりの「vanitas vanitatum,et omnia vanitas」の解釈だと受け取りました。

まず、vanitasとは旧約聖書の文献の一つ「コヘレトの言葉」に由来する概念です。空しさ、無意味さを語っています。
果物はいずれ腐ること。
花が必ず朽ちること。
時は止め処なく流れること。
人はいずれ死んでいくこと。
これらを教訓的に伝えるものです。近接する概念にcarpe diemやmemento moriがあります。メメント・モリはよく知っているオタクの方は多いのではないでしょうか。
これらを知って「全て無意味だから何をする必要も無い。全てどうでもいい」と解釈する人も「いずれ無意味になるとわかっていても、意味を見つけようとするべきだ」と解釈する人もいると思いますが、アズサは後者の立場を取っています。
これは強さのニヒリズム、積極的ニヒリズムと呼ばれる考え方に近いものです。
全ては無価値であることを是としながらも、そこから前向きな捉え方を生み出してゆく信念を確固たるものとしたアズサは、同時にもう一つの選択を示します。
たった一人でもアリウスの魔の手と戦い続けてみせる、と。
そうしてセイアともども彼女の本心の証拠を吹き飛ばした爆弾は、女の子の門出を祝うには武骨すぎる花火でした。

補習授業部が発足し、試験の概要を説明されている時のアズサのセリフはどこか焦り気味にも感じられ、三人との交流に興味の無い旨も口にします。
この時点でアズサはトリニティとアリウスの裏切り者として孤独な戦いを始めています。そこで補習授業部に強制的に放り込まれたアズサの選択は如何なるものだったのでしょうか。
初めは「無関係な人を巻き込むわけにはいかない」と、自らの勝手な選択に関係の無い補習授業部を巻き込むのは横暴だと考えていたでしょう。勇敢さのようであり、青臭さにも感じられます。

*コラム「アズサのサボタージュ」

「この集まりはつまり、各自のリタイアを防ぐための措置……私としては特に、サボタージュする気も理由も無い」vol.3「エデン条約編」1章6話より。

こちら、アズサの発言です。
一見すると前向きに学習に取り組むと言っているに過ぎないセリフですが「サボタージュ」の原義は破壊工作です。ヒッチコックではありません。
敵対側の内部に入り込み拠点や工場、インフラ、時には組織体制にダメージを与える作戦です。
お気づきの方もいると思いますがこれはアズサがサオリから命じられた任務の内容です。
しかし、補習授業部編終盤でアズサにトリニティを転覆する意思は無く、むしろナギサやエデン条約を守るために活動していたことが明かされます。
1章6話で既に「アズサはトリニティの敵対者ではない」ことがアズサ自身の口から明かされているのです。読み返している時にビックリしすぎてひっくり返りました。

しかし、最後に彼女は補習授業部に自らの正体を明かすことを選びました。
その理由は、多くを知ってしまったからだと考えます。

合宿初日、ハナコとアズサが交わした短い会話があります。

vol.3「エデン条約編」1章10話より。
vol.3「エデン条約編」1章10話より。
vol.3「エデン条約編」1章10話より。

このシーンです。私はここがエデン条約編でも指折りのお気に入りシーンです。
セリフだけで見れば、ハナコがただこれから過ごす合宿の普遍的な形を語り、アズサが同意するシーンでしかありません。
ですが、アズサのバックボーンを踏まえてもう一度読むと平々凡々とした閑談が、彼女たちが未来に抱く一抹の希望、弱々しくもまだ残っている光へ向かって手を伸ばす欲求の発露にも見えてきます。これはハナコに対しても適用されます。

全てを虚しいものと切り捨てる苦しみと痛みに満ちた世界で、ただ一人あらゆる勢力の裏切り者になってでも戦い続けようとするアズサが、これから始まる短い学園生活の予兆を感じ取った瞬間、どれほど胸が高鳴り心を躍らせたでしょう。

嘘と、策謀と、冷笑に満ちた上層部の世界に、望まずとも適合できるだけの能力を持ったハナコが、数人の学友とただ勉強をするために生活を送ることを許された瞬間、どれほどの衝撃となって彼女の胸中に叩き込まれたでしょう。

読み飛ばしても良いほど短い会話です。しかし、私はこの僅かな掛け合いの中に補習授業部編を通して変化してゆくアズサの、そしてハナコの始まりが秘められているのだと確信しています。

合宿を通じて知ったこと。これは改めて文字にする必要もないでしょう。

「うん。何かを学ぶということも、みんなでご飯を食べることも、洗濯も掃除も、その一つ一つが楽しい」

vol.3「エデン条約編」2章4話より。

本来であれば当然のように入学し、時間をかけて経験を積み上げていく現代の日常生活というものを彼女が知ったのは、16の初夏でした。
「エデン条約を守る」ことには直接的に関係の無い経験です。ナギサを守るために必要な要素はアリウス分校を退けることであり、そのためのブービートラップや即席起爆装置は十分に用意されていたのですから。
それでも、彼女は合宿生活を疎むことはありませんでした。知らないものを知る。新たな情報を得る行為に楽しいという根源的な感情を抱き、価値を見出していたのです。
それゆえに、彼女の心には迷いが生じます。
「自ら選択した戦いに、補習授業部の三人を巻き込んでいるのではないか?」という自己批判と「望外の日常を手放したくない」というエゴです。
水着パーティー終盤で正面からの信頼を向けられたアズサの口から零れる言葉がその証左。

「私のせいで、先生とみんなが被害を受けるのは望むところじゃないから」
「私はいつか裏切ってしまうかもしれない……みんなのことを、その信頼を、その心を」

vol.3「エデン条約編」2章4話より。

彼女はここで補習授業部や先生に「信じない選択」を取ってもらいたいと、微かに期待していたのではないでしょうか。
友人、勉強、他愛ない交流や共同生活、短い期間にあまりにも多くの新鮮な情報を得たアズサは選択を前にして思いあぐねるようになります。
そこで、補習授業部から「お前を信じない」と突き放してもらえれば、彼女はもう一度独りで戦いに赴くことができるでしょう。
子供じみたズルにも聞こえます。ですが、アズサは間違いなく子供です。重すぎる責任と、大きすぎる決断を背負わざるを得なかった、何の変哲もない一人の生徒です。私ならそれくらいのズルをしても良いと言います。

順当に物事が運べば次の試験で合格できる。そう確信した矢先、築き上げてきた結果と信頼関係を、半ば暴力によって強制的に破壊する出来事が起こります。ナギサによる温泉開発部を利用した試験の破壊によって、アズサの胸中には並々ならぬ焦燥感が生まれたことでしょう。
それでも、今なお自らを信じてくれている補習授業部の三人に応えるために勉強の手を緩めることはありません。
順調に得点を伸ばしていたアズサは第二次特別学力試験の後、話数で言えば2章13話から急速に上がり始めます。第四次模試では80点台に到達しヒフミよりも高得点に、続く五次模試では90点台に乗ります。
これはアズサが元々アリウス分校で多くの戦術を叩き込まれていたことにより技術を習得する技術を磨いていたことも関わっているでしょうが、一番の理由は何としてでも補習授業部の皆の役に立ってみせると言う決意だったのだと解釈しています。
彼女のvanitasは未来へと向けられています。三人が自分を信じる選択をしているのなら、その選択に応えなければならないと一心不乱だったのでしょう。
その決意すら踏み躙られます。

震える肩を抑えながら補習授業部の皆に自身が裏切り者であることを明かした時、彼女はようやく一つの選択に踏み出しました。
「補習授業部の皆に委ねる」という選択です。裏切り者である事実、アリウス分校の出身、そしてナギサを守りたい意思。その全てを伝えた上で、自身を信じるか、信じないかを選んでほしいと考えたのではないでしょうか。
この三人は全てを知った上で、自分の中にある基準に照らし合わせて判断することができる人物だと、アズサは解釈したのです。
受け入れてもらえるなどと甘い夢は抱いていません。突き放してもらえるなどと都合の良い幻想も抱いていません。ただ「三人の選んだことなら、私は受け入れられる」という信任です。
それを戦闘に熟練したアズサが口にするなら「背中は任せた」になるのでしょう。

*コラム「謝る選択」

第二次模試の直後、ヒフミがアズサに声をかけ、謝る場を作るシーンが入りますが、このワンシーンも物語のテーマと関連して考えると大きな価値を持つと解釈できます。
敵の排除を目的として設置したトラップに巻き込まれてしまったマリー。アズサの目的はアリウスとの戦闘を想定していたものだと後々、理解できますがそれでもアズサに落ち度があることは否めません。
そこできちんと謝ることができる。自身の非を認めることができるのは他者との円滑なコミュニケーションの第一歩です。謝ることで状況を悪化させることもありますが、全く謝らないことは対話の姿勢とは言えません。どこまで自分に非があるか。頭を下げるべきか下げないべきか。線引きを持つための第一歩を、アズサは踏み出せたと考えられるのではないでしょうか。


浦和ハナコについて


アズサと並んで合宿を通じて多くを解釈し、大きな選択をした人物が浦和ハナコです。エデン条約編2章まではこの二人に聖園ミカを加えた三人が物語の中心と言っても過言ではないと思っています。
補習授業部が発足した時、彼女はスク水でした。

vol.3「エデン条約編」1章4話より。

……?

彼女の奇行とも捉えられかねない行動はほぼ全編を通して繰り出されます。
エデン条約編の序盤では、一見すると変態行為に及ぶピンク色の人にしか思えません。ハナコを所持していない、または所持していても絆レベルを上げていないなどの理由で絆ストーリーを最後まで読んでいない人はなおさらこう思うでしょう。
しかし、ハナコがブルーアーカイブ全体を見渡しても類稀な、聡明な頭脳と洞察力、親しい人に向ける深い慈しみを持つ人物であることは明白です。同時に彼女の根底にある学友らとは異なる性への関心。身体と共に大きく成長した精神性もまた、彼女の正体に相違ありません。
そして、ハナコは欲求と知性に押し潰されるようになりました。

ハナコの持つ力は他人を引き寄せます。それはハナコと言う人物の魅力には関係無く、ただひたすら個人や組織に情報という莫大な利益をもたらすからです。
参謀として、相談役として、時には神輿として「浦和ハナコ」の名を求められる日常がハナコの心に暗い影を落としていったのは想像に難くありません。
しかし、彼女は周囲に反発するでもなく、かと言って無作為に混乱を巻き起こすでもなく、理解されないとわかっている自分の内面をさらけ出す方向に舵を切りました。
そこには彼女なりの配慮とvanitasがあったのでしょう。

ハナコが他人へ攻撃的になれなかった理由。言い換えれば「怒り」を表現する手段を持てなかった理由はそのままハナコの洞察力の高さと言えます。
僅かな情報で退学の意図がエデン条約を妨害する裏切り者を探すところにあること、指示したのがナギサであること、アズサが二重スパイであることを推理したのはご存知の通り。これも無理矢理な描写ではなく
・補習授業部のメンバー(出自不明のアズサ、正義実現委員会にいたコハル、トリニティの深部に触れている自分)
・シャーレの超法規的権限を利用した退学手続き
・隔離された合宿所
・エデン条約調印式が目前に迫る時期

与えられている情報に周囲の環境を加味すれば点と点は繋がり、一本の線となります。彼女の本領は多くの情報を並列的に解釈し、関連性の強いものをピックアップ。いくつかの集合にまとめた情報を更に解釈し……という計算式の組み立ての速さです。
限りなく本質に近いところまで迫る、漸近線的な解釈を導き出す能力があまりにも高いのです。これは学校の試験で高得点を取るための能力とも言えます。
それゆえに、他人の心に対する解釈も自ずと増えていきます。「誰もそこまで考えはしない」と言われそうな、繊細で核心に近いところまで解釈してしまう。そのため他人に手を差し伸べたり、逆に拒絶されたりした経験もあったのでしょう。

身に余るほどの洞察力で一を知り、十を解釈してしまう。その十の中に他人の私欲や目的のみならず、差し迫った理由や譲れない情も含まれているのなら、ハナコはそこを切り捨てられない人物なのではないでしょうか。
ハナコは物語上で何度もそれまでの情報をまとめたり、生徒同士の緩衝材となるシーンがあります。話を進めるための役割にも思えますが、私はこれがハナコの精神性に基づく行為だと思っています。他人に助けを求められた時、自分の知識で円滑に収められる時に手を貸さずにはいられない本性。夜回りするアズサに向ける視線もそうです。この部分はヒフミに似た一面でもありますね。

知識と、それを扱う技量の高さゆえに瞬間的な「怒り」を選択する前に「相手がそんな選択に至った理由はどこにあるのか」「本当はどう考えているのか」と思考を巡らせ、その負担を自分が引き受けてしまうがために、ハナコは他人に寄りかかる選択を失いがちなのでしょう。
そんなハナコをたった一度でも救ったのが、彼女に比肩するかともすればそれ以上の知識を持つセイアだったのは、きっと必然です。

vol.3「エデン条約編」2章14話より。

セイアを失い、寄る辺を無くした先でハナコが選んだ手段こそ穏やかな自滅でした。
試験の点数をあえて落とし、白昼堂々と水着で出歩くことで「浦和ハナコは墜ちた」と周囲に見放されていけば、自分が信用を失うだけで誰も傷つけることなく自主的に退学することができると。
他の補習授業部メンバーには全ての試験で満点を取れるだけの知識で勉強面のサポートを行えば、少なくともその後の試験で成績を落とすことはなくなると考えたのでしょう。
一度はセイアの言葉で救われ、そのセイアの手すら掴み損ねたハナコの底に残ったのは、トリニティで自分が誰かの力となり続ける意味は終ぞどこにも無く、それならばささやかな欲求を開放しながら墜ちた天才として静かに消え去っていくというvanitasでした。
それはアズサの無意味だとしても足掻く意思とは対照的な、無意味と受け入れて何もしない弱さのニヒリズム、消極的ニヒリズムと呼べるものです。
私は1章から2章中盤のハナコとアズサは共通性を持たせながら対になる存在として描かれていると考えています。
二人のvanitasに影響をもたらしたのが奇しくも同じ百合園セイアであることも、彼女たちの関連性に拍車をかけますね。

退学の事実を知った時からハナコは合格ラインの点数を取るようになります。自分の行いで補習授業部三人に迷惑をかけていたことに対する謝罪は欠かせませんが、ここはあくまで「三人が退学しないように」と最低限のラインを維持する目的であって、三人を信じる選択に直結してはいないと考えています。
ハナコのターニングポイントはアズサと同じく2章終盤の告白です。
三人と先生に突き放されることも覚悟して出自とこれまでの行いを明かしたアズサの姿、ハナコには輝いて見えたでしょう。親しい人たちに受け入れられない恐怖を押し退けてでも自らの正体を明かす選択は、今までハナコ自身が選びたいと願ってきたものですから。
自らもまた正体を明かす選択を取ったハナコは新しい居場所を見つけて虚無感から解放されます。そして、友人らに向けられた暴力やままならない現実に抗うことを決めました。弱さから、強さのニヒリズムへと転換したのです。
ナギサに向けた怒りは、初めてと言って良いほどの明確な他者への抵抗だったのだと解釈しています。勿論、その後にナギサと対話することもセットです。エデン条約編3章以降の話は正しく、暴力に対する抵抗と対話の物語になるのですから。

*コラム「怒りを歌え、神性よ」

補習序盤でアズサがハナコに尋ねた古代の文書。この一節は古代ギリシアの叙事詩「イーリアス」の冒頭をモチーフにしたものです。
彼の有名なトロイア戦争、その一部であり恐らくもっとも盛り上がるであろうアキレウスとヘクトールの一騎打ちまでを描いた長編です。
怒りを題材にした叙事詩をハナコが口にすることは私のハナコ解釈に少なからず影響を与えています。
また、人と神々が入り乱れるギリシア神話最大級の戦い、トロイア戦争がエデン条約編に登場することは先々の展開に不穏な影を落とします。
どこまで要素を拾っているか推察するのは今、公開されているテキストだけでは難しいですが、意外なところにヒントが隠されているのかもしれませんね。


下江コハルについて


下江コハル。彼女を一言で言い表すならプライドです。
プライド(pride)には複数の意味があります。経験や実績、確固たる信念に裏打ちされた誇りもあれば、己を大きく見せ他人より優位に立つことを目的とした驕りもあります。
彼女はストーリー中でその両方を体現し、なおかつネガティブからポジティブへと転換していった人物です。

補習授業部が立ち上げられた時、コハルは「自分は上級生用の試験を受けたから落第点を取った」「正義実現委員会のエリートだ」と捲したてるように弁明します。そして決め台詞。

vol.3「エデン条約編」1章6話より。

物語開始時点のコハルのアイデンティティはわかりやすく「正義実現委員会のエリートであること」に帰属しています。
裏を返せば正義実現委員会のエリートに相応しくない行動を認められない。今も、そしてこれからもエリートでいなければならないと言う思想に縛られている状態です。
それゆえに嘘をつきます。「力を隠していただけ」という外的な嘘。「自分はバカなんかじゃない」という内的な嘘です。

コハルは2年生用のテストを受けたと語っていますが、これは咄嗟に考えた嘘だと解釈しています。ヒフミの口から小テストと言われる第一次特別学力試験で、11点というきちんと授業を聞いていれば取ることはまずあり得ない点数を取った彼女が2年生用のテストを受ければ、赤点どころでは済まないのは明白です。
コハルは試験の点数が悪い現実を受け入れられません。他の三人とは違い、彼女は内心でスタートラインに立つこともままならずに補習を始めているのです。

そんなコハルの心持ちが決定的に変わる瞬間があります。ナギサの計略によって第二次特別学力試験が爆散した後、トリニティの裏切り者探しが行われている事実を知った彼女は涙ながらにこう呟きます。

「頑張ったもん……でもこれ以上は、私にはもう無理……私、バカなのに……無理だって……うぅっ……」

vol.3「エデン条約編」2章12話より。

己の口から「私、バカなのに」と認めること。それはコハルにとって上が見えないほど高い壁を乗り越えるに等しい行いだったでしょう。
どうしても捨てきれなかった「エリートである」というプライドを捨て去るために必要だったもの。それは、コハルを受け入れてくれる「正義実現委員会以外の」居場所でした。

補習授業部で不服ながらも勉強を続けるうちに、コハルは他の三人との交流にも参加するようになっていきました。
その中でも特に重要なのは好奇心の開示と同年代の友人です。
コハルの好奇心。鞄の中にしまっていたいかがわしい本の存在を知ってもなお、補習授業部の三人は彼女を疎外することなく、これまで通りに接しています。
コハルにとってこの本は「エリートに相応しくないもの」でしょう。同時に、恋愛に対する好奇心は紛れもなくコハル本人の意思を代表するものです。理想とする自分と嘘偽りのない嗜好の間で板挟みになっています。
見られてしまえば、知られてしまえばきっと受け入れてもらえなくなる。そんな不安はきっと正義実現委員会の頃から影のようにつき纏っていたことでしょう。
にも関わらず、コハルに向かって真正面から「エリートだ」と言えるアズサや、コハルに臆することなく積極的に悪戯を仕掛けるハナコや、モモフレンズを推しつつもしっかりと補習授業部の一員として扱ってくれるヒフミに後押しされ、彼女の成績は着実に上がっていきました。

成績が上がったことによって得られた結果。それは何よりも尊敬するハスミからの信任です。「私はこんなやつらとは違う」と拒絶していた補習授業部の三人に出会ったことで、喉から手が出るほど求めていたハスミ先輩と肩を並べる瞬間に到達することが出来た事実は、コハルに一つの選択を取らせるまでに至ったのでしょう。「今はエリートではない」と、スタートラインに立つ選択を。
コハルはただ自分を大きく見せるためだけのプライドから、補習授業部と共に過ごした時間やそれによって掴み取った憧れに証明されたプライドへと変遷を遂げたのです。


阿慈谷ヒフミについて


ヒフミは補習授業部の中でも一人だけ特殊な立ち位置にいます。それは初めから選択が決まっていることです。
補習授業部をまとめ、勉強をする中でヒフミはナギサの思惑やハナコの得点操作を知っていくことになります。しかし、補習授業部そのものを投げだすことはなく、最後まで試験に合格することを目指して全員の面倒を見ていました。
初登場したアビドス対策委員会編で覆面水着団ファウストとなった時も、補習授業部に送り込まれた時も、ゲヘナ学園自治区を爆走した時も、裏切り者が告白した時も、戦いが終わってナギサと話した時も、ヒフミは一度たりとも足を止めることはありません。
その根底にあるのは進んで自分を「平凡」だと肯定し、だからこそ他人を思いやり、力になろうとする特大級の「非凡」です。

やや例外的になりますがヒフミの絆ストーリーから彼女の人間性を垣間見る発言を取り上げます。

「モモフレンズのキャラクターたちはみんなどこかひねくれていたり、変わったキャラクターしかいないって……」
「でも私は、そこが魅力だと思うんです。普通ではない、他のキャラクターたちが持たない個性を持っているということは、とても素敵なことだと思います」

阿慈谷ヒフミ絆ストーリー1話「新作グッズ!」より。

「私は平凡な人間ですから、友達の役に立つためには、普段から普通以上に努力しなきゃいけないと思ってるんです」

阿慈谷ヒフミ絆ストーリー2話「バックの秘密」より。

ヒフミは自分が平凡であると認識し、平凡を原動力として不測の事態に備えた準備や他人に協力する行動を取ります。
本気で自分を平凡だと確信するのは集団生活を送る人間にとって困難極まることです。人間は基本的に「他人と違うこと」にアイデンティティを見出し、自己を確立していきます。自尊心と言い換えても良いでしょう。自分が人と違っている何かを確認し、肯定的に捉えることで、自分と異なる他人と付き合っていく方法を見つけるのが人間の精神的な成長と言えます。
「私はたった一人で戦うべきだから」「私の欲求は誰にも理解されないから」「私はあんなおバカたちより優れているんだから」どれも自分に特別性を見出している思考です。それらがポジティブに作用することもあれば、ネガティブに作用することもあります。
しかし、ヒフミは自ら進んで平凡であることを肯定し、色相環のように多様な人々の個性を尊ぶ生き方を選んでいます。それは真似しようにも真似しがたい非凡、異常と言っても良い生き方です。

「私は平凡だから、特別な人たちを支えよう」という思考。そして、目を塞ぎたくなるほどの苦難や、認めがたい真実を前にした時も他人が前を向いて歩んでいける選択を見つけようとする姿勢は、我々の世界において「高潔」と呼ばれるものです。
ヒフミは普通の女の子などでは全くありません。平凡を肯定し、他人に憎しみを向けず、そのために言葉を交わすことを厭わない。特別な役職や由緒ある血統などではありませんが間違いなく、大きな運命を変える力を秘めた無名の英雄と呼べる人物でしょう。
まずはじめに信頼ありき。信じて、慈しみ、互いの見てきたものと言葉を交わす選択を、とっくの昔にヒフミは決めています。それは意識にせよ無意識にせよ「覚悟」と言えます。

他の作品や登場人物に当てはめてしまうと一気に陳腐になってしまうんじゃないかと怖いのですが、私は阿慈谷ヒフミという少女はTYPE-MOON作品のような、奈須きのこ先生の描く主人公的なパワーを持っていると感じています。それ…っぽい……それっぽくない?

「私はそういうのはちょっと辛くって……やっぱりみんなで幸せになれるハッピーエンドが好きです」

vol.3「エデン条約編」3章5話より。

ヒフミはエデン条約調印式の直前、他愛ない雑談の中でこう語りました。
甘い夢と一蹴されてもおかしくないです。しかし、ヒフミには嘘偽りの無い行動が伴っています。
悪徳銀行に乗り込み、アビドスのために支援砲撃を指揮し、落第寸前の生徒たちをまとめ、ハナコに再考させるきっかけにもなり、爆撃されるハイウェイをスクーターで疾走し、アリウス分校の大隊とも渡り合ったヒフミが口にするからこそ、この言葉は生きた価値を持ちます。
アリウスによる未曽有の攻撃。混乱を余儀なくされたキヴォトスと、白洲アズサや先生の戦いの行く末を左右するものとして、阿慈谷ヒフミの人徳は欠かせないと確信しています。

唯一、ヒフミのわかりやすく特徴的な部分を挙げるならモモフレンズですね。モモフレンズと並行でデザインされたとインタビューで語られるくらいには彼女とペロロ様の親和性は凄まじいものです。

第一の楽園


一度は木端微塵に爆裂せしめられた試験へ向けた努力ですが、合宿の中で組み上げた信頼を支える情報の全てが消え失せるわけではありません。

アズサは補習授業部だからこそ得ることができた新たな知識と情緒を。

ハナコは自らの本性を受け止めてくれた居場所と、再び抗う意思を。

コハルは虚勢という防御を必要とせず、理想への道を示してくれた学友を。

ヒフミはその高潔な精神性と、とっくの昔に決まっていた覚悟を。


それぞれのよすがとして、再び相手を信じると選択しました。
では、彼女たちは果たして楽園に辿り着いたのでしょうか?

それもまた肯定しがたいものです。何故ならば、彼女たちは決して互いの本心を完全に理解しきってはいません。
特別学力試験を乗り越えた後でもハナコはコハルにどやされていますし、アズサはヒフミを苦笑いさせていますし、コハルは空回っていますし、ヒフミはモモフレンズを布教しようとしています。
「今はこう考えているだろうな」などと思考を共有することはありません。相手の行動がわからない時もあれば、話している内容に反発する時もあります。相手の人格をトレースすることは不可能なのです。

補習授業部が持つエデン条約編上の役割は「理解できないものでも同じ場所にいられること」の証明だと解釈しました。
彼女たちがどれだけ自らの内に秘める情報を明かしたとしても、相手がどんな行動をするか手に取るようにわかるなんて以心伝心は不可能です。
補習授業部の四人はやっぱり、ヒフミは困惑しつつ苦笑いしていますし、コハルは目を猫のようにして、ハナコは三人を見守りつつ揶揄って、アズサは出自ゆえの天然さでより空気を乱します。ですが、四人とも同じカフェの席に座ってティーパーティーを楽しんでいます。
それは各々が「この子はこんな言動をしているけれど、隣にいることはできるから」と選択したからです。
ゲヘナとトリニティ。決して相容れない二つの巨大校が結ぶ平和条約を成立させるための核はここにあります。
相手を完全に理解することはできない。集団の中には対立する者も友好的な者もいる。だからこそ、同じキヴォトスで生活することができる線引きを見つけていくことが重要になると示すために、補習授業部の物語にみっちりと尺を取ったのでしょう。
そして、彼女たちの旅路はまだ終わりではありません。
アリウス分校との戦い。最早回復など不可能にすら思える積年の憎悪。無意味だとしても抗ってみせる。しかしてvanitasの先にあるものを掴み取ることが、この物語の終着点なのだと信じています。


幼馴染が見出す楽園


ここからは桐藤ナギサと聖園ミカ。二人の選択と信じたものについて考察していきます。
あらかじめ言っておきますと、私は二人のようなキャラクターと関係性が大好きです。肯定できない部分、罪深い部分を全て許すわけではありませんが、だからと言って嫌いにはなりません。二人とも根底ではとても人間臭いところですね。
だからとは言いませんが3章3話で私の脳は破壊され、無為転変をくらった順平みたいになりました。


桐藤ナギサについて


まずはナギサからです。
彼女は終始憎まれ役に徹していました。それは最後まで「エデン条約を必ず成功させ、ミカを守ってみせる」と言う使命感からくるものであり、その為にどんな痛みを抱いてでもティーパーティーの席を離れる選択はしませんでした。
私はナギサの姿勢は非常に高く評価しています。「自らの意思で、これからのトリニティの生徒たちに多大な影響を与える選択をしたのだから、一人で勝手に降りることは許さない」と、自身に戒めてすらいるのだと解釈していますし、これは間違いなく気品に溢れた人格と言えるでしょう。
では、彼女はどこで、何を間違えてしまったのでしょうか。彼女が信じたものは一体どこにあるのでしょうか。

それは「自分」です。

もっと細かく言えば「自分の抱く疑い」に拠り所を求め、信じてしまったのです。

2章前半で再びナギサに出会った時、彼女はこう言いました。

vol.3「エデン条約編」2章9話より。

そして、心の中身など証明できるものかと続けます。それは正しく、証明できない真実と言うエデン条約編のメインテーマです。
ですが、絶対的な真実など存在しません。記録や証拠、解釈があるのみです。ナギサもどこかで、自分なりの解釈によって選択を行う時が来ます。

何故、彼女は自分の疑いだけを選択したのでしょう。そこを紐解くためにはエデン条約編公開以前のナギサの描写から見ていく必要があります。

正義実現委員会のサブストーリーにてナギサは唐突にビデオメッセージをハスミに送りつけます。
その内容は正義実現委員会の破壊的な作戦が常態化(ほぼツルギです)していることに対して、交流が必要だと判断。明日は休みにして、他部活やサークルに参加するようにと言うものでした。
そこで彼女は

「あっ、ちなみにこれは強制力のある決定事項ですので。例外もありません」

サブストーリー「正義実現委員会はお休みです」1話より。

と発言します。これに対するハスミの反応は慣れたものであり、このような少々的を外した命令は日常的なものなのでしょう。

次いでアビドス対策委員会編です。ヒフミもここで登場していますね。ヒフミのちょっとしたやんちゃでアビドスと関わりを持ち、そこでカイザーPMCが暗躍している情報を掴んだことでトリニティも“偶然”決戦の場に居合わせます。
そこでナギサは

「愛は巡り巡るもの……ヒフミさんがいつか私に愛をお返ししてくれる時を、楽しみにしていますね。ふふっ」

vol.1「アビドス対策委員会編」2章17話より。

と、ナギサ流の貸しを作ります。
この貸しはそのままトリニティの裏切り者を探す役目として巡ってきます。

「他に選択肢は無いのです。それにやむを得なかったとはいえ、失敗してしまった場合はヒフミさんも同じことになってしまうのですよ……?」

vol.3「エデン条約編」1章12話より。

強制の形でヒフミを補習授業部内のスパイとして送り込みました。それも、状況によってはトカゲの尻尾切りができるように準備した上で、です。

推測するに、ナギサは上に立つ者として命令を下す以外の他人との関わり方にひどく乏しい人物ではないでしょうか?
トリニティ総合学園はお嬢様学校として位置づけられており、チンピラからの扱いも上等です。そんな学校の、最上位に位置するティーパーティーの席に座っているのですから、彼女の出生が上流階級であることはほぼ確実と言って良いでしょう。
特殊な環境下、多くの束縛も存在すると推測される世界で、彼女は他人の都合を慮るコミュニケーションの経験に欠けたまま3年生まで登ってきてしまったのではないかと、こう考えました。

更に、自ら補習授業部というごみ箱の蓋にしたにも関わらず、ナギサはヒフミへの特別な思いを吐露します。それがヒフミに伝わっている保証はどこにも無いと言うのに、彼女との関係に未練を残しているような素振りすら見せています。
ナギサはヒフミに対して「なりたい自分」を幻視しているのではないでしょうか。優しい心、礼儀正しい姿、人を慈しむ姿勢、その全てがナギサにとっての憧れならば、ヒフミに執着を抱くのも無理はありません。
命を狙われ、エデン条約を締結するために心血を注ぐ生活の中でヒフミに心の安寧を求めてしまったのです。
勝手に想っているだけの想いなど、ヒフミに伝わるわけがないだろう。と言われても仕方がないと、私はそう思っています。
ヒフミの(言っていない)セリフが話題になりましたが、実際にはむしろナギサがヒフミ相手に「お友達ごっこ」をしていると見てもおかしくはありません。
ナギサのコミュニケーションは一方通行の割合がとても高いのです。

対話や、妥協によるコミュニケーションの乏しさが垣間見えれば、ナギサが自分の疑いを信じるようになった理由もわかりやすいでしょう。
彼女は他人の行動や言葉に「信じるのが妥当である」と、どこかで線引きして選択することが怖いのだと思います。彼女は常に、信頼の有無に関わらず命令して行動させる側にいるのですから。
自分の中で他人を信じる際のラインが見つからない。上手く引けていないためにどこまでも、どこまでも「まだ情報が必要だ」と枠線を狭めていってしまう。
そして、最後に線の内側に残るのは「自分」のみとなる。
これが桐藤ナギサの陥りやすい思考なのだと、私は解釈しました。

私の推測したナギサの思考は何よりも和平条約と相性が悪いです。
互いに互いを信頼しよう。どこかで折り合いをつけようと言う目的の条約だのに、彼女はその折り合いのつけ方に問題を抱えています。調印式までは上手くいったとしても、その後彼女がETOの枠組みの中で上手く立ち回れるとは限りません。
そのために、彼女の自分のみを信じる思考はどこかで打ち砕かれる必要がありました。その役目を担ったのが、他ならぬハナコのあの一言です。
先生の手で引き上げる方法があったかもしれません。もっと長い時間をかけて学んでいくこともできたかもしれません。
しかし、時間がそれを許さない。残された選択肢は強引な破壊、荒治療ですがこれは生徒同士でしかできないことだと感じます。生徒を叱るのは先生ですが、喧嘩をするのは学友です。
幸い、と言って良いのかは怪しいところですがハナコはとても聡い人物です。ナギサの「お友達ごっこ」思考に一石を投じると共に、後々に修復可能なヒフミを首謀者として立てたのは適当だったと言えましょう。ヒフミは本当に何もしていませんからね。


ここで、ナギサの思考の中に例外的な領域が存在することも話さなければなりません。
それは聖園ミカです。物語上でナギサが彼女を疑うことは終ぞありませんでした。
「私がいなくなってしまう前にミカを守れるようにしなければ」と考えて立ち回っていた時点で、ナギサの動機には多分にミカが含まれています。本来なら最優先で疑うべき、政治上の敵とも言える相手なのに。

理由はただ一つ。ずっと一緒にいたからです。

補習授業部がそうしたように、ナギサとミカも互いに多くの情報を交換する日々を過ごしてきました。
数週間やそこらではなく十年かそれ以上もの時間を、です。二人が17歳なら7歳かそれ以前。小学校どころか幼稚園からの付き合いな可能性すらあります。
積み上げた時間が信頼を築くのなら、人格形成に重要な児童期から隣で過ごし続けていた相手は最早「自分」と言っても過言ではありません。
そんな相手だからこそ、ナギサはロールケーキをぶち込むという瀟洒とはかけ離れた言動さえさらけ出すことが出来たのでしょう。
ナギサはミカを疑わなかったのではなく、疑えなかったのです。ミカに疑惑の目を向けるなら、それは自分を疑うことになるのですから。

理想の自分を映す鏡。憧れにも似たヒフミが裏切り者だというただの嘘はナギサの心にトラウマを残しますが、自分の一部になっていたミカの裏切りという真実にはしっかりと向き合い、直接ミカに会いに行くこともできています。
本当に必要な他人というものは、案外近くにいるものです。


聖園ミカについて


エデン条約編前半の最重要人物。黒幕として登場した聖園ミカの出番がやってきました。
皆さんはミカのことをどのような人物だと感じましたか?
補習授業部やナギサの幻想を打ち砕くために現実から訪れた戦士でしょうか。
覚悟を持って理想のトリニティを実現するために突き進む革命の乙女でしょうか。
利己的な欲求のままにトリニティを、キヴォトスを掻き乱そうとした傾校の悪女でしょうか。

私には、膝を抱えて泣いている小さな子供のように見えました。


まずは聖園ミカがアリウス分校にとって如何なる存在だったのか?と言う面から見ていきましょう。まず、アリウス指揮官と名のつくモブ生徒の発言から。

「『スクワッド』が来るまでも無いさ。それにどうやら、他にやることがあるみたいでね」

vol.3「エデン条約編」2章16話より。

このセリフ、大きな違和感がありませんか?
皆さんご存知の通り、スクワッドはアリウス分校の主力部隊です。アズサに指令を下していた実質的なトップ・サオリに加えアツコ、ミサキ、ヒヨリの4名で構成されます。
首魁であるミカが前線に出るのに、主力部隊が一人もミカの傍に控えていないなどありえるのでしょうか?
トリニティを転覆する作戦を実行に移し、あまつさえ自治区内への侵入まで成功させているアリウスが、そんな迂闊なことを?

また、ミカの意思がアリウスに汲み取られている様子もありません。
セイアの襲撃作戦について、ミカは戦闘後に「命を奪うつもりはなかった」と弁明します。結果的にヘイローを壊してしまうことになった、と。
ミカはセイア襲撃作戦を指示したと証言していますが、彼女が襲撃作戦を知らなかった可能性も少なからずあり、私はむしろこちらが有力とさえ考えています。
アリウス分校と手を組み、ゲヘナとの約束を撤回するだの、そのために説得の場を設けるだのと吹き込んでアリウス生徒をトリニティ内部に送り込んだ上で秘密裏に作戦を実行する。
その結果、セイアの部屋が爆破されたことを後々になってミカが知ったとしてもなんらおかしくはありません。
ブルーアーカイブの物語では選択が重要な要素として機能しています。初めに、ミカがトリニティへダメージを与える選択を取れるように鍛えてしまうのは、アリウスにとって不都合ではありませんか?
ミカ自身に作戦を実行する意思決定を委ね、ある種の覚悟を決めさせるよりも、彼女がアリウスと話し合いできると思っている時点で迅速に作戦を終了させ、その後に「私がアリウスを引き入れたからこんなことになってしまった」と自罰感情を植え込んでアリウス陣営で囲い込む方が十分に効果的と言えるのではないでしょうか。

ナギサを求めて合宿所まで攻め入ってきた際にも「痛いことはしないよ」と最悪の事態には至らない旨を口にします。
ですが、実際はどうでしょう?セイアのヘイローは破壊(未遂)され、ナギサ襲撃作戦を実行に移そうとするサオリはアズサに向けてこう告げます。

「トリニティのティーパーティーのホスト、桐藤ナギサのヘイローを破壊する……そのためにお前はここにいるんだ」
「お前の実力は信頼している。上手くやれ、百合園セイアの時のように」

vol.3「エデン条約編」2章13話より。

明確にティーパーティー破壊の意思がありますね。
こうなるとミカがティーパーティーのホストになり、アリウスはトリニティの公的な武力組織になると言う道筋にも疑問符が浮かびます。アリウス分校は完全に、トリニティ総合学園の行政制度そのものを瓦解させるつもりなのですから、作戦が終わった後には座るべきティーパーティーの席も治めるべき学校も灰の山、塩の柱です。
セイア襲撃から本編までのアリウス分校の作戦。その起案や主導の大部分、あるいは全部を行っていたのはミカではなく、サオリであると考えるのが妥当です。

ナギサ襲撃作戦のためにアリウスの部隊をトリニティ自治区内へ引き入れる。その時点で聖園ミカの役目は完了し、いてもいなくてもどちらでも良い存在になっていたのだと考えています。
アリウス分校にとって、聖園ミカとはトリニティ転覆後に仕える主でも、追放された者たちを導く勇士でもなく、堅く閉ざされた門を開くまでの使い捨ての大槌でしかなかったのです。


それでは、担がれるに至るまでのミカ自身の意思はどうだったのでしょう。

彼女が自らを黒幕とし、補習授業部およびシスターフッドと交戦を開始した時、どこか物悲しげな言葉を呟きます。

「……もう私は、行くところまで行くしかないの」

vol.3「エデン条約編」2章17話より。

このセリフはとても確固たる意思のある人間の言葉とは思えません。「行くところまで行くの」であればそこには自身の、悔いなき選択が存在していると解釈できますが「もう」ともはや、すでにと近い副詞を置いて「行くしかないの」と限定する言い方をしているならば、それは「自分の力ではどうにもならない」ことを意味します。

ミカの発言には他にもどこか不満げな、後悔が垣間見えるものが幾つもあります。
セイアのヘイローを壊すつもりではなかったと弁明し、そうなったのは自分のせいではないと襲撃事件に関与するアズサを問い詰めながら語るのも。
シャーレの先生を呼びつけたことが致命的な間違いだったと確認するのも。
最後にセイアの生存を知った時、安堵の声を零すのも。
全て、彼女の心にうず高く積み上げられてきた後悔の証明です。

ミカの後悔が始まった日。それは、セイアのヘイローが破壊されたことを知らされた日です。
彼女の始まりは、以下のセリフに集約されているのでしょう。

vol.3「エデン条約編」2章1話より。
vol.3「エデン条約編」2章1話より。

ハナコの推測ではアリウスに誑かされ、ミカは自らでアリウスを支援していたと語ります。
どちらが出発点であったとしても、そこに話し合いたいという単純明快な感情が存在していたことは事実だと解釈しています。


その希望を握りつぶしたのが、他ならぬミカの最初の選択でした。


誘導されていたと言い訳することは出来ます。アリウスが悪いと誰かに縋りつくことも出来ます。
ですが、それはミカが望んだ「和解」から最も遠い行いです。彼女に落ち度が無かったとしても、一人だけ逃げるなど許せないと自分自身に締めつけられていきます。
その時、彼女は囚われたのです。自責と言う名の重い、重い枷に。
セイアのヘイローを壊した自分が、今更許される筈がない。自らの選択が招いた最悪の事態を知れば、ナギサはどう思うだろうか。
選択を躊躇い続けた先で彼女は蹲り、どこへも進めなくなったのでしょう。待っていたのは、アリウス分校に操られる道です。
そうしてゲヘナが嫌いだから、などとわかりやすい理由を作り、エデン条約を破壊しようとした大罪人・聖園ミカという簡単な悪役を仕立て上げたのではないでしょうか。

そんなミカが先生を呼びよせるのは必然です。彼女はどこかで、自分の手を引いてくれる存在を期待していたのではないでしょうか。
合宿中に彼女が先生へ接触してきた時、先生がトリニティの裏切り者探しを私の役目とは違うと言ったことに彼女は少々の間を置きながら反応します。
そして、先生が「私は生徒たちの味方だよ」と伝えたことで、彼女の表情と口調が微かに変化していき、あるポイントでピークに達します。
誰もが覚えている、とても短い言葉です。

彼女はすごいことを言ってのけるねと返しますが、これはただ先生が大きな責任を伴う発言をすることだけに向けられたものではないでしょう。

「こんな私の味方になってくれるんだ」と言う、小さなよすがです。

このシーンで何度も挟まる「……」の間が、彼女が自分を一人の生徒として導いてもらえるかどうか逡巡しているように見えて仕方ありません。あと少し、あと一歩でも踏み出して手を伸ばせば、掴んでもらえるかもしれないと心のどこかで信じる選択を取ろうとしたのではないでしょうか。
彼女は信じることを選択できませんでした。自らの選択によって取り返しのつかない絶望を招いた彼女は、既に信じることを恐れています。
堰を切ったように流れ出る情報は、ともすればミカに疑惑の目を向ける結果を招きかねません。
それでも先生にアリウスやアズサについて伝え続けたのは、彼女の最初で最後のSOSだったのでしょう。


巨大すぎる悪意に飲み込まれたとは言え、ミカの行動を不問にするのは誠実とは言い難いです。それはむしろ、彼女の心をより長く、強固に痛めつけることでしょう。
ミカはそんな甘い話なんて無いとエデン条約を一蹴し、お花畑とまで吐き捨てます。
しかし、エデン条約は今まで不明瞭で、場当たり的な対応しか成されてこなかったゲヘナ・トリニティ二校間の諍いに一定のルールを設け、煩雑な取り決めを省略しながら対応していく極めて現実的な条約です。あらゆる諍いを今すぐ無くしましょう、と言う話ではありません。
ゲヘナ学園の、特に万魔殿のトップにそんな概念が理解できるのかと問われれば首を傾げてしまうのも事実ですが、夢物語と評するほどではないと理解しています。

むしろ、ミカの私たちはドロドロした世界の住人なんだからと悲観的に捉え、アリウスと共にゲヘナを一掃する発言の方がとても地に足が着いているとは思えず、稚拙な展望と言えます。
ゲヘナ学園とトリニティ総合学園はどちらもキヴォトス最高峰の勢力です。ここに新興のミレニアムサイエンススクールを加えることで、現在のキヴォトス三本柱とされていることが示されています。
アビドス対策委員会編で描写された戦力は、ゲヘナ・トリニティ両校の、それも一部戦力でカイザーPMCの部隊を抑え込めるほどに強大なものでした。腐っても鯛。カイザーでも大企業。対デカグラマトン大隊なるものを準備するなど、戦力に乏しい存在とは言えません。

この2校が、正面切ってぶつかり合えばどうなるでしょうか?

まず間違いなく、2校間だけの問題では収まりません。それぞれとの交流や支援を受ける学校。2校の自治区に隣接、または挟まれる形となる中小の学校は確実に戦いに巻き込まれます。
そうなれば憎しみはトリニティとゲヘナの占有物ではなくなります。巻き込まれた中小校はトリニティとゲヘナ双方を憎み、ゲヘナの部隊に、トリニティの部隊に、あるいはゲヘナ・トリニティではないどこかしらの学校同士で憎み合っていくでしょう。
個人単位、部活単位、学校単位。ありとあらゆる憎しみの矢印が所狭しと飛び交う状況が生まれるのは想像に難くありません。
私たちの世界では、この行いに「戦争」と名をつけて語り継いでいます。その悲惨さと共に。
「行くところまで行くしかない」と言う無責任な理由で、致命的な過ちを犯そうとした事実は決して消えないのです。


聖園ミカは一度は信じる選択を取りました。そして、信じたものに食い潰されていきました。
ミカがアリウスと手を組んだ時の内心は他の誰にもわかりません。ですが、決してネガティブな理由ではないでしょう。
最後の戦いで必要も無いのに前線に出てきたのは、ハナコが言うように「私が出ていけばナギサのヘイローが壊されないよう取り計らえる」と画策したから。
セイアに矛先を向けたのは、ハナコがナギサにしたように自分たちの間柄なら後で誤解を解くこともできるからと信じたか、もしくはセイアを襲撃するつもりなど毛頭無かったから。

私は、ミカの始まりには「仲良くお茶会をしたい」という思いがあったのだと解釈しました。それは最早ゲヘナだとか、アリウスだとか、エデン条約だとか、そう言った実状すら度外視しています。

ナギサやセイアがこれ以上内政や策謀で傷つかないように。アリウスの憎悪が牙を剥かないように。

セイアが生きていることを知って安堵の声を漏らしたこと。古聖堂が爆撃された時、真っ先にナギサの名を呼んだこと。これらが私の解釈の根源です。


第二の楽園

ナギサはミカを守ろうとし、ミカはナギサを守ろうとしました。その結果が相手の望まないものになるなど知らず、信じるべきだった者を見失ったまま別々の道を全力疾走。二人とも、とても頑固で身勝手で直情的です。
だからこそ、幼馴染になったと言えます。

どこかで真実を口にしていればここまで大きな問題にはならずに済んだとは思いません。アリウス分校という巨大な怪物がキヴォトスのどこかに巣食っている事実は変わらず、サオリたちスクワッドも幾つもの代替プランを用意しているでしょう。

ナギサとミカ。二人の幼馴染は「かつて信頼していた者同士」であり、「袂を分かった者同士」であり、「それでも相手を思い続けている者同士」です。
トリニティの中、小さな世界に二人だけの幼馴染が見出す楽園が、やがてはエデン条約編や遥か先のキヴォトスにまで影響を与えていく。
そんなお話になるのも、ロマンチックで良いんじゃないかなと思います。


まとめ


ブルーアーカイブのストーリーで「選択」が一際、強調される場面があります。全てのプレイヤーが必ず目にする場面、オープニングです。

プロローグ1-1より。


アロナと同じ声の人物から念押しされる選択と言う言葉。あなたにしかできないと言われますし、実際に先生にしかできない選択で物語が進行する場面もありますが、選択を行うのは決して先生だけではありません。

補習授業部も、ティーパーティーも、トリニティも、ゲヘナも、アリウスも誰もが皆、意思を持って生きている生徒です。
生徒たちの数だけ選択があり、それは空に輝く星々と照応します。

一夏の始まりに信頼を刻みつけた者たち、途方もなくすれ違った二人。
他人を信じるための線引きとその選択。寄り添おうとし、突き放そうとする二人の行く末。
アリウス分校による未曽有の攻撃によって混乱するキヴォトスの中で、少女たちが選び、修復してゆく関係性がエデン条約編の骨子となることは想像に難くありません。

彼女たちが行動で示し、そしてこれから先の物語で形にするものはつまり、新しい形の楽園解釈であると私は考えています。

楽園(本心)には辿り着いていない。どうしても埋められない違いが、確執がある。

それでも少女たちは相手を知り、解釈し、自らの心のままに選択を行っていきます。

悪者をやっつけて終わりじゃない。何もかも無くなって終わりじゃない。

例え永遠に辿り着けないとしても、歩みを止めることはないと。

「私たちは楽園を目指す」と、高らかに世界へ向けて宣言することこそが、少女たちの楽園創生となるでしょう。


おわりに


これを読んでいるということは、私のパッションを受け取ってくれたということですね。
「実はここまで一気にスクロールしたんだよね」なんて人はいないと思います。いるなら今すぐ最初から読んでください。私の術式、枕元に無数の等身大ペロロが出る呪いが発動してしまいます。
それはさておき、作品の面白さを界隈外の人に伝える最も効果的な手段はなんだと思いますか?

恐ろしく上手いファンアートでしょうか。

情緒揺さぶる二次創作SSでしょうか。

それともマンガ? 音楽アレンジ? 動画なんて手もありますね。

どれも間違っていないと思います。
ですがこれらとはまた異なる、全ての根底にあって、なおかつ共通の要素があります。
それは“熱”です

「熱に浮かされる」という言葉があります。単純に高熱を出しているとは別に、前後を気にせず一つのことに熱中する意味があります。
熱があるから人は何かを好きになります。熱に突き動かされて、人は感情を言葉にしたり、文字にしたり、絵にしたり、形にしたり、熱を外界へと放出していくだと思っています。
放出された熱は時として、信仰や、親愛や、狂気や、様々な名前で呼ばれるようになります。

そして、熱は伝播していくものです。

あなたの持つ熱が他人を熱し、新たな熱を生み出していくのでしょう。
もし今、あなたが「私がブルアカの絵を描いても…」「文章を書いても…」「他に上手い人がいるし…」と考えているのなら、気にせず放熱してしまうのも良いんじゃないでしょうか。
あなたの熱がいつかどこかで、小さな灯りとなって誰かを熱するかもしれません。


何故ならこのゲームは、日常の中で小さな奇跡を見つけるRPG、ブルーアーカイブなのですから。


わかりにくい!長い!と思った方もそれは違うよ!と思った方もおられるでしょう。
エデン条約編は無駄な文字など一つも無いと言えるほどに濃密な物語です。一のセリフに十の意味が込められているとすら感じられます。
それゆえに、多くの解釈が生まれ、プレイヤー同士の議論や考察も捗っていくのでしょう。
そのため、例えわかりにくいと言われても今の私にできるポストモーテムはこれだ!と言います。皆さんの意見や、これからの物語で変わっていく可能性は十分にありますけどね。

後日、アリウス分校やセイア、先生を中心にした第3章以降の予想と考察記事も投稿する予定です。そちらも読んでいただけたら嬉しいです。
ここまでお付き合いしていただいた先生方、本当にありがとうございました。またね。