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EP17 無駄な愛

EP17 無駄な愛
気がつくと俺は、駅のホームのベンチで長々と横たわり、一晩寝明かしてしまったらしい。
脳内麻薬強制分泌の重低音テクノの絨毯爆撃で踊り続け、今も消化しきれていない酒とコデインの影響が残る目にせわしなく乗り降りする通勤通学客たちの、足元が映り、それが何の変哲もない朝の日常という俺とはまったく無縁の恐ろしい現実の塊となって襲いかかってきて、思わず飛び起きた。
何百と交錯する靴音に混じって、列車の発着音と構内アナウンスがやかましく繰り返されている。
毎日決まって行く場所がある奴らの大きな圧力に逆らうようにして、俺は駅の階段を降り、改札口をすり抜け駅前にあるまだシャッターの降りている酒屋の自動販売機で安物のカップ酒を買うと、その場で一気に煽る。
三つ編みの女子中学生が歯列矯正している歯を見せ負け犬を見る目で笑いを噛み殺す。
俺には何処にも行く場所がない。
あるにはあるが、酒屋と薬局と煙草屋だけだ。
呼吸が浅く、深く息を吸い込むことが難しい。
5分とかからない家まで歩くだけでも激しく消耗してしまう。
朝の陽の光を浴びながら、俺には闇しか見えない。

気がつくと駅は、いつも夜明けから夜更けまで休まず発し続けているすべての喧騒音がぴたりとやんで、静まり返っている。
駅は人ひとり通れる余裕もないほど僅かな隙間だけを残し、俺の住む部屋とは文字通り壁一枚隔てたところに建っている。
その数秒前、まるで高圧電流が餌で人間を喰っては吐き出す獰猛な巨大生物の咆哮のような、特急列車の警告音が、かなり遠くの距離から鳴り続けていたのがいつものようには通過せず、急停止した。
一体何事が起きたのかと蒸し暑い部屋でTシャツ一枚しか身につけていない女がつと立ち上がり、曇りガラスの小窓を斜め上に押し上げその隙間から、爪先立ちになると蛍光灯の下で産毛が白く浮き立つ丸く上向きの尻を剥き出しにしながら外の様子をしばらく伺って。
「人身事故だって。気持ち悪」
肩をすくめた女を俺は押しのけ外を覗き込み。
見るとヘルメットに安全靴の作業員たちが、砂利を踏み締めブリキのバケツを片手に懐中電灯で薄暗い線路の周囲を照らして千切れ飛んだ人体の一部や肉の断片を拾い集めようと、右へ左へと行き交っている。
誰かが「あったぞ」と叫び、全員が一斉に駆け寄っていく。
夜気には熱い油まみれの土埃の匂いしかなく、むしろ女の割れ目を強く吸った時の方が、血と肉の匂いと味がする。

気がつくと死は、いつか訪れる遠い存在としてではなく、もう既に俺の両足首をしっかりと掴んで離そうとせず、闇も光もなく万物の消滅した絶対的な無の世界へと引き摺り込もうとしていた。
それはむしろ、気が狂った方が楽なくらいの恐怖としてあった。
遂に逃げ場を失った俺は、煙草の焦げ跡が点々と残る吸い殻だらけの洗面台に両手を突いてなんとか平静を保とうとしたが、今度ばかりはできそうになかった。
夜の仕事に出ている女の流した体液で湿った空虚なベッドに倒れ込みながら、それが俺に残された唯一の命綱ででもあるかのように、ガラス繊維の接着剤でビーズを隙間なく貼り付けサイケデリックにしてあり重い受話器を引っ掴むと、すぐにダイヤルを3回だけ回した。
やがて高い建物に区切られた空の遠くでサイレンが鳴り始め、その音が確実に自分の方へと近づいてくるのが分かると、俺はそれまでの錯乱状態が嘘だったかのように冷静さを取り戻し、掃除もゴミ捨ても一度もしたことがない部屋の中から何かの役に立つかと咳止め薬の錠剤の空き瓶をやっと見つけだし、身支度を整え待機した。
10分と経たずに担架を用意して駆けつけた救急隊員たちに、自分の足で歩けるからと強がりを言い、彼らに遅れないようにマンションの外階段を降りた。
人の目が気になった。
買い物籠をぶら下げた主婦たちで賑わう八百屋の先に停められた救急車両の回転灯が、煮込み料理や魚を焼く美味しそうな匂いが漂う夕暮れ時の商店街に、血の色をした光を撒き散らしていた。

気がつくと俺は、駅前にある超音速逆回転寿司屋でエレクトロのイージス艦巻きなど頬張って、快気祝いと洒落込んでいる。
小便と消毒薬と後はもう死ぬのを待つだけの奴らが発する匂いが微かに漂うしけた地域密着型総合病院の、入院病棟など3日もいれば充分で、医者の承諾も医療費の支払いもすっ飛ばし、とっとと抜け出してきた。
食い逃げと同じで、罪の意志は薄い。
女がレジで会計を済ませながら、いくら内視鏡検査の結果が異常なしだったからって、もうクスリはやめなよ、死ぬよ、と言う。
俺は半ば本気で確かに今回は懲りた、やめるよ、と言いつつ内心では逆に、医学的にも自分の内臓の頑丈さを立証されたことで自信を深め、何かの免許を得たような気になっている。
普段から鍵をかけていない玄関の扉を開ける手間で、突然胃が暴れだす。
ユニットバスのトイレに駆け込むのが早いか否か、まるで腹の中で数百発のロケット花火が爆発したみたいに、派手に嘔吐する。
ぐちゃ混ぜ色の未消化物が飛び散って、海鮮ゲロの女体盛り、みたいな匂いがあたり一面立ち込める。
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