令和6年司法試験 憲法 再現答案

令和6年司法試験 公法系第1問(憲法) 再現答案
作成日:2024年7月17日
構成30分 作成90分
分量 7.3枚
※見やすさのため第1と第2の間を空けていますが、実際の答案は空けていません

第1 規制①について
規制①は、職業選択の自由(憲法22条1項)を侵害し、同項に反しないか。
1 規制①により、免許なく自由に犬猫を販売する自由が制約されている。当該自由は、犬猫という一定の種類の動物の販売を規制するだけであって、営業の自由として保護されるに過ぎないとの見解もありえる。しかし、ペットが多様化している中でも犬猫の飼養頭数割合は相対的に高いままであり、依然犬猫の重要性は高い。そして免許制という、それを得なければ事業活動できない方式で規制しているのだから、職業の方法・態様の制約ではなく、職業の開始を制約である。ゆえに、当該自由は職業選択の自由として保護される。
2(1)では、いかなる基準で合憲性を審査すべきか。
(2)この点、問題となっている法案(本件法案)の第2をみるに、一定の場合には「与えないことができる」としている。これは、原則として免許を与える趣旨であり、与えないのは各号に該当する例外的な場合にすぎず、実質的には届出制である(東京都公安条例事件参照)。ゆえに、制約の程度は大きくない。また、本件法案の目的は、「人と動物の共生する社会の実現」という社会的な積極目的規制であり、積極目的規制の場合は立法府の裁量を尊重すべきである(小売市場事件参照)。さらに、免許制という方式を取っていること、「人と動物の共生する社会の実現」という公益的な目的であり、行政の専門技術的な裁量の幅が大きいことから、酒類免許販売事件の射程を及ぼすべきであり、広範な裁量を認めるべきであって、社会通念上明らかに妥当性を欠くといえない限り合憲とすべきである。このように、緩やかな基準で審査すべきとの見解も考えられる。
 しかし、本件法案第2の各号は、施設要件、需給均衡要件、収納能力要件と単なる形式的な要件ではなく、実質的に審査することが予定されており、必ず免許がもらえることが期待できない。届出制ではなく、許可制の実質を持つといえる。反論の言う目的については、小売市場事件のように犬猫販売業者の経営を保護するといった純経済政策的な目的ではない。人と動物の共生という社会的な目的が直ちに積極目的であるとはいえないし、また租税の徴収確保という財政目的のように、必ずしも行政の専門技術的な裁量が必要な領域でもない。小売市場と酒類免許の両判例の趣旨は本件に及ばないというべきである。一方で、本件法案は犬猫由来の感染症等による健康被害の防止でもないので、目的によって直ちに立法裁量の広狭や審査基準を決定することはできない(公衆浴場事件参照)。
 ここで、職業は、単なる生計の維持のみならず、社会の維持発展に寄与する社会的機能分担の場として、各人がその個性を発揮し、人格を発展させていくものであり、重要な権利である。本件法案第2の2では、需給均衡規制が敷かれているが、これは一定地域内の犬猫販売業者の数を制限するものであり、既に業者数が多い地域では開業が困難となる。明文ではそうなっていないが、実質的には距離制限規制として機能する。事業者としてはその経営戦略や、自宅との距離等から特定の地域で開業することを希望するはずであり、その特定の地域で開業できないことは、開業自体を断念させることになりかねない。また第2の3は、当該地域内の犬猫シェルターの収容能力に関する要件であって、犬猫販売業者自体の要件ではない。つまり、需給均衡要件同様、犬猫販売業者には関与できない客観要件といえる。このような客観要件は、施設要件のような主観的要件と違い本人の努力ではどうしようもできない種類のものである。いじょうから、規制の態様は強いといえる。一方、その社会的相互関連性から、公権力による規制の必要性は高い(以上、薬事法違憲判決参照)。
 これらのことからすれば、緩やかな基準で審査すべきではなく、中間的な基準を用いるべきである。
(3)よって、①法案の目的が重要であり、②当該目的達成と手段との間に実質的関連性がある場合には、合憲であると解する。
3(1)前述の通り、本件法案の目的は「人と動物の共生する社会の実現」である。このような立法目的は、曖昧漠然としており重要性は有さないとも思える。しかし、販売業者が、売れ残った犬猫を遺棄したり、安易に買取業者に引き渡し、結果として、犬猫が殺され山野に大量廃棄されたりしたことが大きな社会問題となっている。また、飼い主が、十分な準備と覚悟のないまま犬猫を安易に購入した後、想定以上の手間、引っ越し、犬猫への興味の喪失等を理由に犬猫を遺棄することも大きな社会問題となっている。さらに、各地方公共団体は、飼い主不明や飼養不可能になった犬猫を引き取り、一定期間経過後に殺処分としているが、それについても命を軽視しているとの批判が大きくなった。このように、犬猫と人との共生にかかわる問題が立法事実として存在している以上、上記目的は重要であるといえる。
(2)次に手段について。施設要件については既に動物愛護管理法で施設に関する要件は規定されており、更に現行より厳しい基準を設けるのは過度な規制なのではないかとの見解も考えらえる。しかし、現行法では不十分だからこそ、上記のような社会問題が発生しているのである。さらに、本件の施設要件は諸外国の制度や専門家の意見を踏まえて作られており、合理性があるし、また国際的に認められている基準の範囲内なので、あまりに過酷なものとまでは言えない。そして、各犬猫飼養施設につき、犬猫の体長・体高に合わせたケージや運動スペース、照明・温度設定などの犬猫の適切な養育のための要件が定められることされ、これが守られれば犬猫の適切な飼育管理が期待できる。そうであれば、上記問題に対応するために効果的であり、かつ相当な手段であるといえる。
 需給均衡要件に対しては、規制すべきは売れ残ること自体ではなく、売れ残った犬猫を適切に扱わないことであって、手段と目的との間に関連性はない、との見解も考えられる。しかし、日本では生後2,3か月の子猫・子犬の人気が高く、6か月を過ぎると値引きしても売れなくなってしまう。犬や猫の寿命は凡そ10年程度であるが、事業者は6か月以降の約10年間その犬猫の飼育管理を強いられるのであり、これは事業者にとって大きな負担となる。その結果、管理費用がかさみ、犬猫を察処分したり、遺棄したりといったことが起きてしまう。そしてそれは、犬猫を大量に販売することで、必然的により多く売れ残った犬猫が発生してしまう関係にあるので、売れ残りが発生すること自体を抑制するのが合理的である。よって、需給均衡要件と目的達成の間に実質的関連性はあるというべきである。
 収容能力要件については、犬猫シェルターは販売業者からの引取りを拒否できるので、販売業者は売れ残った犬猫を終生飼養するか、代わりに飼う者を責任をもって探すことになる。そうであれば、もしシェルターの収容能力を越える犬猫が持ち込まれるのであれば、それは飼い主による持ち込みによってという事になる。飼い主による持ち込みは飼い主自身の責任であって、直接的には販売業者の責任ではない。飼い主による責任を販売業者に転嫁させている点で不合理で関連性なのではないか、との見解もあり得る。しかし、売れ残りを減らそうと販売業者が無理に飼い主に販売することが、飼い主によるシェルター持込み増加の原因となっているのであり、責任の一端は販売業者にあるといえる。無理な販売を辞めさせ、適切な供給量に制限することこそが飼い主による持ち込みを減少させることになるのである。また、地方公共団体や民間団体で現在引き取っている頭数を超えないようにするための方策を検討してほしいとの要望が多くの都道府県から現に寄せられている。シェルターがかかる機能を代替していくところ、犬猫の適正な管理のため、かかる要望に応えるのは重要である。このような点からすれば、収容能力要件と目的の間に実質的関連性が認められる。
最後に、免許の発行数を制限すると、新規参入のみならず既に犬猫を販売するペットショップにも影響が出ることになる。ペット飼育者のうち犬を飼っているのは31%、猫は29%と、いずれも中核的な位置を占めるので、これは犬猫をすでに販売している事業者の既得権を脅かす過度な制約なのではないか、との見解が考えられる。しかし、犬猫以外の動物を販売して営業を続けることは可能である。上記の通り犬猫が未だ中心だとしても、それ以外の多様なパットを飼う人も増加傾向にあり、その割合は50%近くある。拡大傾向にあるペット販売市場の中で、非犬猫販売も大きな位置を占めていると言え、非犬猫の枠内で十分に競争していくことは可能であり、規制①がなされたことにより直ちにペットショップとして営業ができなくなる、というものではない。ゆえに、規制①は相当程度の制約であるといえる。
 以上より、規制①と目的との間に実質的関連性を肯定することができる。
4 よって、規制①は22条1項に違反せず、合憲である。

第2 規制②について
規制②は、表現の自由(21条1項)を侵害し、同項に反しないか。
1 規制②により、犬猫のイラスト、写真及び動画を広告で用いる自由(本件自由とする)が制約されている。本件自由は、表現としては無価値であり表現の自由として保護されるべきはないとし、営業広告の一環だから営業の自由(22条1項)として保護されるに過ぎない、結果として合憲性は緩やかに判断すべきだと、という見解が考えられる。しかし、無価値表現だからといって表現の自由の範囲外とする実質的な根拠は乏しいし、また表現の萎縮的効果や思想の自由市場をゆがめる恐れもある。そもそも本件のような営利言論は、前述の通り職業が個性を発揮し人格を発展させていくものである以上、自己実現の価値を有するのであり、無価値とも言えない。よって、表現の自由の問題として検討すべきである。
2(1)では、いかなる基準で憲法適合性を審査すべきか。
(2)犬猫のイラスト、写真、動画をインターネット広告でSNS等で発信することで、多くの者に宣伝をすることができる。特にSNSは若者を中心に多くの者が利用しているところ、事業者はその経済的規模に関わらず活用しながら安価に多くの者に自らが販売する犬猫を宣伝することができる点で、ビラ配りと近い性質がある(ビラ配り事件参照)。SNSで多くの者に訴求するには、文字ではなくイラスト、写真動画等の視覚的情報が極めて有効である。このような広告としての重要な手段を封じることとなってしまう。これらことからすると、写真、イラスト、動画の抗告利用禁止については慎重に考えるべきであって、審査基準は厳格に考えるべき、との見解が考えられる。
 しかし、本件のような営利言論は、前述の通り自己実現の価値を有する者の、政治的意見を市民間で作り上げる自己統治の価値を有さず、例えば政治的な言論と比較すると権利としての重要性は一段劣る。犬猫のイラスト、写真、動画は視覚に訴える情報であり、購買意欲を著しく刺激し、十分な準備と覚悟がないままの購入につながるものであり、犬猫と被との共生という公共的見地から一定の制約を受けるのもやむを得ず、政治的言論の自由のような厳格な審査基準が妥当する場面ではない(岐阜県青少年保護育成条例事件参照)。また、イラスト、写真、動画という表現の「方法」を規制するものであって、内容それ自体を規制するものではない(広告物条例事件参照)。さらに、上記の通り軽率な犬猫の購入ひいては前述の社会問題の発生という弊害を除去するための規制であって、間接的・付随的な制約にとどまるともいえる。
 以上のような見地から、合憲性は緩やかに審査すべきである。
(3)よって、①目的が正当であり、②手段と目的との間に合理的関連性があれば、合憲であるといえる。
3(1)目的は「「人と動物の共生する社会の実現」」であり、前述の通り正当であるといえる。
(2)では、目的と手段との合理的関連性は認められるか。この点、イラスト、写真、動画はそれ自体に問題はなく、購入する側の準備不足が原因なのであって、関連性がないとの見解が考えられる。しかし、このような視覚に訴える情報は、購入意欲を刺激するものであって、十分な準備と覚悟がないまま、衝動的に犬猫を購入することにつながる。そして、SNS広告が多くの人に見られることを考えると、一たび愛らしい犬猫の動画等が「バズる」ことになれば、それだけ多くの者の購買意欲をそそることとなり、したがってより多くの者が軽率にペットショップへ訪れることになってしまう。そうであれば、動画等の情報の発信を制約するのも必要やむを得ない。また、広告に際して品種、月齢、性別、毛色、出生地等の犬猫の重要な情報を提供することは可能であり、それだけでも広告として十分な成果を期待できる。
 また、犬猫販売業者は、実際に販売する段階では、購入希望者に対面で適正な飼養に関する情報提供を行い、かつ現物を確認させることが、動物愛護管理法と同様に、義務付けられているところ、軽率な購入の抑制という点ではこれだけで十分であり、動画等の広告制限は過度ではないかとの見解もあり得る。しかし、対面情報提供がどれだけ効果的なのかは明らかでなく、むしろ既存のこういった取り組みで対応できていないからこそ、前述のような社会問題が発生しているのである。また、購入時に必要な情報を提供しても、寿命10年の犬猫を飼う中でその記憶も薄れ、結局適切な飼育ができなくなる、という事態も考えられる。対面情報提供だけでは限界があるのである。よって、規制②が過度な制約だとも言えない。
 以上からすれば、目的と規制②の間に合理的関連性は認められる。
4 規制②は21条1項に反せず、合憲である。

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