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等身大のわたしでいいや

なんだか急に吹っ切れて、等身大でいい!そう思える今日のわたし。

ちょっとかっこつけてみたって、たかがしれている。情けなくって、格好悪いわたし。怒られたらすぐに凹んで、褒められたら嬉しくなって、単純なわたし。それでいいいって、なんだか今日はとてもそう思う。

一方で、描いているときは、とても神聖な感覚になることもある。どこかの大聖堂に迷い込んだり、乱世を生き抜いた何かになってみたり。けれど、立派ななにかが描いている訳でもなく、ただ、ちっぽけでちょっといけてないわたしが持つ道具、刃先、もしくはペン先が、丁寧に紙に触れている、というだけのこと。何かができる気になっていたけど、やっぱりちっぽけな自分に、ずっとずっと至らなさを感じてきたけれど、もともとちっぽけなんだから、等身大のわたしでいいじゃん!と、なんだよおいおい、今日はほんとに、ずいぶんと開き直っている(笑)

いつもはスマホでブログを更新しているのだけれど、今日は初めてパソコンから更新している。熟考して文字化していないので、スピード感があって、より、話しているときに近いのかもしれない。音声を貼り付けることができるのが魅力で始めたnoteだったけれど、そのサービスが使えるのはPCからの更新のみということで、登録はしてはみたものの、記事を更新したのは数回だけだった。もともととってもおしゃべりなので、こういう発信のしかたも、これからはありなのかもしれないな。

いいたいことも書きたいことも伝えたいことも山ほどある。けれども人にはそれぞれの事情というものがあって、全部をさらけ出すことなんてなかなかできるもんじゃない。だから、正直なのがよくて、そうでないのが悪いとも思わない。それぞれの人の思いは、それぞれにしかわからず、どんなに近しい関係性であっても、正確にわかるものではない。他者との関係性を取り繕う暇があったら、理不尽さに胸を痛める自分を自分で優しく見つめてあげるしかない。

そんなことをずーっと思いながら、コツコツと描いてきているのが薔薇曼荼羅だ。人間でいる限り、三毒は尽きることがない。それをなんとか終わらせようとする方向が、二極、その中心点から垂直へと向かう意識に他ならない。二極の世界はもうこりごり。だから、いつも、あぁ水平の二極をうろうろしているな、と思ったら、中心へと向かうように務める。最近は、とにかく、中心以外は暴風域。生きた心地がしない(生きてるけど)。

それはさておき、今日はとても嬉しいことがあった。創造のアイデアがやってきた。しかも、それを誰かが運んできてくれる、ということが、共同創造をしているように思えてとても嬉しい。

長くなったので、続きはきっと、また今度。パソコンからだから、きっとサクサク書けると思う。たとえ、3日坊主でもいいの。

等身大のわたしが、とっても気に入っているから!

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