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物理学徒から見た「心理学のすゝめ」

初めに断っておくが、私は物理学が専門であり、心理学はせいぜい大学教養課程や独学でしか学んでいないため、専門家からすれば解釈が間違っている部分も多々あると思うので、そこはご容赦いただきたい。
ただ自分自身、心理学にはこれまで幾度となく救われてきた。実を言うと私の本棚は物理学の本と同じくらい心理学の本が並んでいる。
そんな私から見た、「心理学のすゝめ」を今回はお伝えしたい。


「ビッグ・ピクチャーで捉える」

物事を俯瞰して考えるとき、このような表現をすることはよくあるだろう。これはもちろん物理学においても必要なスキルだ。特に私は宇宙という果てしないものを相手にしていたので、時々自分が一体何をやっているのかわからなくなってしまうことが多々あった。そんな時、一度全体像は何かを立ち返って考えることは非常に大事である。

これが心理学とどう関係しているのか?と疑問に思われた方もいるかもしれない。そこでちょっと例を挙げることにする。
友人から相談を受ける、ということはよくあるだろう。そのとき相手が求めているのが「共感」であるか「アドバイス」であるか見極めることを困難に感じた経験は、誰にでもあるのではないだろうか。せっかくアドバイスをしたのに、「私はそんな正論求めていない!」なんて気分を害してしまったり、相槌を打っていたら「さっきから私の話聞いてないでしょ!」なんて場合もある。
この時に助けとなるのが心理学におけるビッグ・ピクチャー。
相手の話を二人称目線ではなく、あえて遠くから見てみる。ただし友人の前から二人称の自分を消してしまうと、相手は「さっきから上の空で私のことなんてどうでもいいのね!」なんて怒られてしまうので、そこは注意。
二人称として話を聞く自分と、俯瞰して話を整理する「会話の中を漂う自分」をその辺に飛ばしておく。
そうすれば大体の場合、相手にとっても自分にとっても有益な会話に決着する場合が多い。
(もしかしたらこれは多くの人が言われずとも実践していることなのかもしれないが、私はプロフィールの通り人の心を読むのが苦手な特性があるため、こうやって人付き合いをしてきた)

普段からその辺に「俯瞰する自分」を飛ばす練習をしておけば、なにも相談された場合だけでなく、自分自身が悩んだ際にも問題解決の手助けをしてくれることが多い。
ちょっとおかしな話かもしれないが、その辺を飛んでいる「俯瞰する自分」は、自分自身の意志と関係なく勝手に成長していく傾向がある。
本当は自分が成長しているだけなんだろうけれど、人間とは他者から同意されると安心を感じる生き物である。その他者がたとえ自分の生み出した「俯瞰する自分」であったとしても、同意してもらえれば動きやすくなる。そして面白いことに、「俯瞰する自分」は反対意見もくれる。もちろんこれも自分自身の中にあった不安や懸念点が具現化されただけなので結局1人で解決しているわけなのだが、人は没頭すると自分を肯定/否定する根拠ばかり集め始めてしまう。そんな時に「俯瞰する自分」に問いかけてみる。こいつは結構優秀なので、大体まともに意見してくれる。


「逃げ場」と「答え」

私の過去の記事をご覧になった方もいるかもしれないが、私は一度人生の底を見た、と思っている。
当時大学生だったので、現実逃避に物理学を使うことは多々あった。ひたすら高次元方程式を微分するだけで、心が安らぐことがあった。特に実験なんかしている時間は嫌なことを全部忘れられる気がした。
でもそれは結局「気がしている」だけであって、根本的解決には何にもつながっていない。つまり私は物理学を「逃げ場」として使っていたに過ぎなかったのだ。

しかし私は若かったので、過去の問題が見かけ上解決された後も、「あのとき物理学があってよかった」なんて思っていた。見かけだけでなく、自分の心の問題も解決されていると誤認していたのである。


そんなとき、アドラー心理学に出会った。名著「嫌われる勇気」などもこれに分類されるため、名前を知っている読者も多いだろう。これは一般的に知られているフロイトの心理学とは真逆の発想なので、説明が拙くなるかもしれないが、簡単に言うと物事を「目的論」で考えるというものである。
先に挙げた私の例でいくと、「問題が解決したと思いたい」という目的達成のために、自分の行動を変えてしまうということである。本当はまだ心に深い傷を残しているのに、目的達成のためになんでもない素振りを見せる。当然ながらそんなことをしていては、頭・心・身体が一貫性のない挙動をするため他人から見ると奇妙でちぐはぐ。「トラウマなんてないよ」と言いながら、声は震え、大声を出されると過呼吸になる。そんな感じ。

そこからどうやってありのままの自分を受け入れ、心理学の視点を手に入れたかは長くなるので割愛するが、興味のある方は過去記事を参照してほしい。
心理学は見事「答え」を与えてくれた。


物理学と心理学

最後に本題。なぜ今回物理学と心理学という対極にあるような学問を比較してみたか。それはどちらも「理」を解明する学問だからである。
一見なんの関連性もなさそうであるし、本当にないのかもしれないが、私は深い結びつきを見出している。
モノというのは結局ヒトが考え出したものであるし、反対にココロというのはモノの一種である。

だから私は思い悩んだ時、どちらが足りていないのかを考える。宇宙の綺麗な映像を見れば元気になるときもあるし、自分の心と向き合ったほうが元気になることもある。体感としては後者のほうが多い気がする。


今回宇宙飛行士選抜試験を受けられる方には、なんとなく理系出身の方のほうが多く感じる。だからこそ、息抜きに心理学に触れてみてほしいと思う。今まで自分になかった視点や、それこそ「俯瞰する自分」の存在に助けられる場面は多いのではないだろうか。
選抜試験は長期戦だ。だからこそガチガチの理系脳(そんなものがあるのかわからないが)ではなく、心理学という視点も武器にしてみてほしい。
きっと宇宙飛行士になった後も、こういう目線は大事なのだろうと深く感じることが多々ある。


なお、今回は主にアドラー心理学について書いたが、私は大学の教養としてフロイト心理学、独学としてマズロー心理学も学んだ。こちらも面白いので興味があれば触れてみてほしい。
個人的にはフロイト心理学だけ毛色が違うように感じる(なにしろアドラー心理学とは対岸にある考え方だと思っているので)。
マズロー心理学は、自分が何をしたいのかよくわからなくなった時に触れてみるといいかもしれない。比較的とっつきやすく、自分の心が今どれくらい満たされているかを知ることができる。
余談だが、「ウォーキング・デッド」シリーズを見るとマズロー心理学が一発で理解できると思っているので、そちらも興味があれば見てみてほしい。宇宙飛行士に必要なリーダーシップや協調性を学ぶにはいい題材だと個人的には思う。


現代人は常に時間に追われ、自分の心を疎かにする傾向がある。
しかし、自分の心さえ満たせない人間が、宇宙空間でチームメイトの心を満たせるとはあまり思えない。
たまには自分の心の機嫌をとってあげてほしい。

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