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何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。

今回の記事で書きたいのは2つ
・「選抜試験」というものについて
・家族のサポートについて

どちらも大切なのは「覚悟」。


「選抜試験」というものについて

文字通り、選び抜かれる試験だった。

選ばれる者がいるということは、選ばれない者もいるということ。
それについて、これまで考えが浅かったこと書類選抜結果の発表後に痛感した。

正直人生で1番の思い出ができた。青春だった。
でもこれは遊びではなく正真正銘の「試験」なのだと現実を突きつけられた。

なんと言えばいいのか未だにわからないけど、なにかを言う必要もないのではないかというのが最近の結論。
言葉がなくても通じ合える同志と出会えたからこそ、いろんな意味で大丈夫だと思っている。
だから私はただ前を向いてやるべきことをやるのみ。
決して忘れないけど、振り返らない。

ずっと思い出話をすることも、傷をなめ合うようなことも、だれも望んでいないはず。
一生同志ではあるけれど、それぞれの道がまた始まる。


私は1年後に胸を張って、JAXAの記者会見に臨めるよう努力し続ける。

5年後再挑戦する同志に負けないように、先を走っておかなければならない。



家族のサポートについて

選抜試験へ向けて勉強を始めたのは2021年冬ごろ。
私が勉強を始めてから、明らかに家事の負担が夫にかかっていた。というよりもはや夫に全てやってもらっていた。


夫も私の特性を知っているため通過するとは思っていなかった様子で、最初に受験を決めた時には「まあやるだけやってみれば」と言われた。
応援も否定もしていないと思っていた。

しかし書類選抜結果を話し5/8に英語試験があることを伝えたところ、「5/6〜8で旅行してくるよ」と言われた。
私が勉強に全振りできるよう、家を空けてくれることになった。

5/11は夫の誕生日。
5/12から私は仙台で単身赴任が始まる。
夫は仕事がとても忙しいのに、私が「単身赴任する前に2人で温泉でも行ってゆっくりしたい」とお願いしたことを覚えてくれていたようで、実はなんとかやりくりして連休をとってくれていたことが判明した。
感謝と寂しさで泣いてしまった。

「自分で選んだんでしょ、変な人だね」と言われた。
夫は今まで関心がなかったわけではなくて、むしろ私より強い覚悟をしてくれていたんだと実感した。
感謝してもしきれない。そしてそこに気づくこともなくのうのうとやりたい放題過ごしていた自分の未熟さを猛省した。
家族のサポートがあってこそ、自分のやりたいことができている環境に、この上ない幸せを日々噛みしめている。
(これは選抜試験に限らず、単身赴任を決めた点に関しても共通している)


今後選抜試験が進むにつれて、こういった想いを何度もするのだと思う。
正直想像以上につらい。けれどそれは私が言える立場ではない。

「覚悟」、そしてそれに伴う「感謝」。
これを忘れずに突き進む。



余談だが、以前私の友人が夫に「こんなに破天荒な人と結婚できるなんて、器が大きいですね」と話していたことがある。
そのとき夫は「もともとブレーキとバックハンドルが付いてないと知って買った車なので、全て想定内です」と答えていた。
ただただすごいなこの人の包容力は、と尊敬した。 

でもブレーキとバックハンドルはつけようと思う。。

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