寺中構想と公民館―生島美和「「地域社会教育施設論」構想への試論―寺中構想と地域博物館論の検討を通じて―」

「社会教育」って、忘れられたころにひょっこり出てくることばだよなぁと思う。

で、「社会教育」ってなんだろ?ってのを考えているのだけれど、その時代の教育観や学習観が投影されているようなきがする。

例えば、戦後間もない「公民館の建設」『社会教育法解説・公民館の建設』に書かれた寺中構想。

「民主主義の基盤に、平和国家、文化国家として立つ」ためには、身近な生活の立て直しが必要だと。

まあ、確かに住環境も食料事情もよろしくない。

だから、「自己と社会との関係についての正しい自覚をもち、自己の人間としての価値を重んずると共に、一身の利害を超越して、相互の助け合いによって公共社会のために尽くすような人格をもった人又はそのような人格足らんことを求めて努める人」を公民。そういう人を育てるのが「公民館」と。

戦前の思想善導よりはいいかもしれないけど、「官がオシエ・ソダテル」のか?という反発はわからないではないなぁ。

でも、社会全体が貧しくなると社会教育が果たす役割というのも問われるようになるのかもね。

※生島美和「「地域社会教育施設論」構想への試論―寺中構想と地域博物館論の検討を通じて―」『日本公民館学会年報』第3号

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