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カリグラフィー・アートと私

今日は私が伝えているカリグラフィー・アートについて、ここに書きたいと思う。

私がカリグラフィーに出会ったのは18歳の時。
大学に進学した年だ。
押し花のお教室をしていた母の生徒さんが習っていて、母がカリグラフィーの存在を知り、
「あなた、絶対好きだからやってみたら?」と
桜木町のNHK文化センターで行われていた小田原真喜子先生のクラスの情報をセットですすめてくれた。

字を美しく書くことに固執する子どもだった私。
その記憶が母にあったのだと思う。
また、西洋の児童文学の本によくある、章のはじまりの文字を装飾する装丁が大好きでよく眺めていたことも。

母のよみどおり、私はカリグラフィーの教室に通い始めた。大学生だったので、他にも誘惑は多く、毎週まじめに通ったわけではないけれど、なぜか続いた。
先生のように美しく字を書けたらいいな、と幼いころと同じような固執があったのかもしれない。

卒業して仕事をはじめると、NHK文化センターのクラスは開始時間が早すぎて通えなくなり、小田原先生のお弟子さんで「書」と組み合わせたカリグラフィーをしている馬越越子先生の土曜日のお教室に通うようになった。
それと同時に、インストラクターになるコースをすすめられ、小田原先生が指導するインストラクターコースに通いはじめた。

このころになると、書く時間がふえ、文字を少しは思うように書けるようになってきた。
インストラクターコースが終わると、自分がインストラクターを養成できるプロフェッショナルコースに通うようになった。
小田原先生の美しいカリグラフィーによく触れるようになり、さまざまな表現方法を学んだ。

このころくらいからだったと思う。
カリグラフィーは昔の美しい写本を真似するだけではなく、自分でこの「文字を美しく書く手法」を使って自分のこころのなかにあるものを紙面に表現できるのでは、という光をみはじめた。

同時に、馬越越子先生のジャパニーズ・カリグラフィーを学んでいたことも、大きく影響していたと思う。
ジャパニーズ・カリグラフィーは日本の「書」を背景にして、その上に英語をカリグラフィーでのせていくもの。
馬越先生はお手本をくださるものの、私に自由に描くことを生徒たちに推奨されていた。

カリグラフィーで自己表現ができる。
言葉とアートを組み合わせて、絵のように表現できる。
その発想は私にとって、カリグラフィーを深める大きなモチベーションになった。

幼いころから、自分の心を自由に普段からまわりの人に伝えることを選んでこなかった私。
自分の話をするよりはまわりの話を聴くことが多かった。
でも、手紙は好きだった。手紙には自分の想いを綴って大切な人に出していた。
そして、空想の世界を絵に描いたりすることも好きだった。

そんな私にとって、カリグラフィーとアートの組み合わせは、自分の想いを紙面に自由に表現することのできる可能性の光になり、それは現実となり、私にとっての唯一無二の相棒になった。

だから、私は
カリグラファーとは一度も名乗ったことがない。

文字を書く人だけれど、それだけではないから。
字を絵のように、そこに想いをのせてひとつの作品にする。
カリグラフィー・アーティストと名乗るのはそれ故。

唯一のオートクチュールをつくりあげる。
そして、そのアートで世界に愛と優しさ、癒しを届ける。
美しさを差し出し、お相手の心の美しさを引き出す。
それが、私のカリグラフィー・アート。

ちょっと長くなりましたが、私の自己紹介としてのストーリー。
読んでくださってありがとうございます✨

これからもカリグラフィー・アートの魅力をお伝えしていきますね。

Miho with love

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