みゅぜぶらん八女の蔵書④

蔵書No.31
(著者)南光進一郎
(書名)超男性XYYの話・・・行動遺伝学研究のモデル
(総ページ数)84頁
(書籍の大きさ)18.8cm(縦)×12.8cm(横)
(発行所)海鳴社
(発行年)1985年

(解説)
『この本』は、約35年前に出版された小さな本である。その1985年には「男女雇用機会均等法」が制定された。「男」・「女」という「ことば」を使っての「均等(≑平等)」促進であった。とはいっても、既にあるモノとしての「男」・「女」(というモノ 自体)を、さらには、確定したコトとしての「男」・「女」(というモノ自体)を問う議論は、全くといってよいほど、なかった。そんな時代に『この本』は出版された。2021年の社会にいる私が、「だから『この本』は・・・なのだ」というようなコトを言うつもりは全くない。気にかけるべきコトは、あの頃(約35年前)の社会にいた読者(私も含めて)は、「染色体・科学」をどのようなモノとして読んだのだろうか?というコトについてである。

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蔵書No.32
(著者)虎井まさ衛
(書名)女から男になったワタシ
(総ページ数)219頁
(書籍の大きさ)18.8cm(縦)×12.8cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)1996年

(解説)
『この本』が出版されたのは、蔵書No.31が出版された10年後のことである。初めて、『この本』を手にとって読んだ時の「引き込まれ感」は、今でも、よく覚えている。蔵書の紹介ということで、「ワタシが男になった理由」(第1章)を、あらためてパラパラとめくりつつ読んでみた。初めて読んだ時の感覚とは別に、「丁寧な本だなぁ」という気持ちがわいてきた。著者と編集者とのやり取りも大変だったのではないだろうか(・・・勝手な想像を許して下さい)。

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蔵書No.33
(著者)橋本秀雄
(書名)男でも女でもない性・・・インターセックス(半陰陽)を生きる・・・
(総ページ数)190頁
(書籍の大きさ)18.8cm(縦)×12.8cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)1998年

(解説)
蔵書No.32を読んだ時と、『この本』を読んだ時とで、異なる感覚に陥るのは「私」だけであろうか。蔵書No.32の著者は、背景をなしている(であろう)「岩盤」を、「丁寧さ」で加味して、前面に押し出すことを意識している(ように思えた)。ソレに対して、『この本』(蔵書No.33)は、「タイトル」の投げかける直球的イメージとは異なり、日常を「淡々と流れるように・・・」というスタイルに仕上がっている(ように感じた)。巻末にある数名の方の「主張」(167頁以下)によって、「淡々と流れるように・・・」ではない著者が現れてくる。だからなのか、読めば読むほど「コノ次はどうなるのだろう」という気持ちがわいてくる。昨晩(2021年6月11日)読んだのだが、いまの「私」(73歳)でも、のめり込んで、1時間余りで読めてしまった。蔵書No.32と同じく青弓社の出版である。

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蔵書No.34
(著者)宮崎留美子
(書名)私はトランスジェンダー
(総ページ数)221頁
(書籍の大きさ)19.5cm(縦)×13.8cm(横)
(発行所)ねおらいふ
(発行年)2000年

(解説)
『この本』にも、「ボクがワタシになるまで」(第二章)、「男女の枠を超えた人たち」(第三章)という部分があり、構成は、蔵書No.32、蔵書No.33と類似している。「初めて手に取った方」が、第一章の「宮崎留美子が生まれるとき」の部分をどのように読むかが気に係る。アリエスの「子供の誕生」と似ていて、システムとしての「宮崎留美子」が生まれる、ということを上手く表現している。「男性高校教師」も「宮崎留美子」も「その方」にとっては、ソノママ、日常なのである。とはいっても、「その方」が生きているのは、様式化されていることを期待する「現実の社会」である。そして、「その方」も「現実の社会」の一員なのである。複雑な全体構造になっている「そのようなコト」を、少しでも理解させてくれるのが、補章の「重要語講座」の部分である。

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蔵書No.35
(編著者)セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク編著
(書名)セクシュアルマイノリティ
(総ページ数)224頁
(書籍の大きさ)21cm(縦)×15.2cm(横)
(発行所)明石書店
(発行年)2003年

(解説)
人間の多様な「性」について、当事者が語っているのが『この本』である。蔵書No.34の著者「宮崎留美子」氏も執筆している。「当事者が語っている」といっても、自分の経験を語るというモノではなく、「性」について、根本的なところから、「当事者」が語っているのである。巻末には、「用語集」、「関連する書籍と概要」、「関係する団体のリスト」が付されている。

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蔵書No.36
(編著者)米沢泉美 編著
(書名)トランスジェンダリズム宣言
(総ページ数)271頁
(書籍の大きさ)21cm(縦)×15.2cm(横)
(発行所)社会批評社
(発行年)2003年

(解説)
『この本』は、「トランスジェンダー」とは、そもそも「何」なのかという地点から出発して、「多様な性の肯定」に迫るモノである。「多様であるコト」や「複雑化しているコト」を、誤解せずに「正しく」理解するコトは重要であるが、ソノコトについて、頑張れば頑張るほど、どうしても、[「言語化」した(強固な)「概念」]が表層化してしまう。そうすると、待ち受けているのは、[「自己」・「当事者」]から乖離したパターナリズムである。そのような悩みを和らげてくれるのが、『この本』の巻末の「トークバトル・トランスジェンダリズム宣言」である。ソコを読むと、『この本』の狙いが、一層鮮明になる。

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蔵書No.37
(編著者)橋本秀雄・立花都世司・島津威雄 編著
(書名)性を再考する-—性の多様性概論--
(総ページ数)300頁
(書籍の大きさ)19cm(縦)×13cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2003年

(解説)
サブタイトルに「概論」という言葉が付せられた『この本』ではあるものの、編著者の一人である橋本氏の『男でも女でもない性・・・インターセックス(半陰陽)を生きる・・・』(蔵書No.33)よりも、はるかにハードである。「多様性」について、ソレを「(多様性という)一つのコトとして」論じるなら、「多様性」を論じるコトは困難になる。「多様性」を「多様なモノとして」論じると、アナーキーになってしまう。順序からいうなら、まずは、①「表現したいと思っているコト」があって、ソレを、②[「多様性」という「ことば」を使用することによって表現している]のであるから、①の「表現したいと思っているコト」について、[「多様性」という「ことば」を使用せずに、「まさに、ソレ!!だ」という感じで表現することを可能とする方法はないものだろうか。

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蔵書No.38
(著者)橋本秀雄
(書名)男でも女でもない性[完全版]・・・インターセックス(半陰陽)を生きる・・・
(総ページ数)210頁
(書籍の大きさ)18.8cm(縦)×12.8cm(横)
(発行所)青弓社
(発行年)2004年(2刷・2010年)

(解説)
『この本』の著者は、もちろん、蔵書No.33の著者である。その著者によって、蔵書No.33の[完全版]として位置付けされているモノが『この本』である。頁数が少し増えたように感じるが、どこで[完全版]となったのか・・・。私が、このように書いたのは、批判しているからではなくて、『もととなった本』(1998年出版のモノ)が、既に[完全版]なのだ、と言いたかったからである。

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蔵書No.39
(著者)ロランス・ド・ぺルサン (齊藤笑美子 訳)
(書名)パックス—-新しいパートナーシップの形--
(総ページ数)190頁
(書籍の大きさ)19.5cm(縦)×13.5cm(横)
(発行所)緑風出版
(発行年)2004年

(解説)
邦訳された『この本』の原著は、Laurence de Percin “Le PACS”である。“PACS”とは、Pacte Civil de Solidalité(民事連帯契約)の略称である。本著は、ソノ“PACS”について、いわば、実務的に書かれている。フランスで大きな議論となった民法典の改正(1999年)ではあったが、発火点の一つは、エールフランス内での出来事であった。ソレがどのような出来事であったのか、興味のある方は訳者による解説部分(147頁以下)を読んでいただきたい。“PACS”の不十分性を超えるように、フランスでは、2013年、婚姻を異性間のモノだけに限定しない“Le Mariage pour TOUS”が制度化した。さすがフランス最先端!!といいたいところだが、フランスでのこの制度化は、世界で10番目にも入っていない。では、このようなフランスは、果たして、少子化しているのかといえば、ご存じのように、必ずしもそうではないのである。

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蔵書No.40
(著者)浅野素女
(書名)同性婚、あなたは賛成?反対?
(総ページ数)183頁
(書籍の大きさ)18.8cm(縦)×12.8cm(横)
(発行所)パド・ウィメンズ・オフィス
(発行年)2014年

(解説)
蔵書No.39の(解説)箇所で書いた“Le Mariage pour TOUS”を巡る動きや考え方を、フランスの多様なメディアを上手く活用しながら描いたものが『この本』である。分厚い大著ではないものの、「賛成」と「反対」の両方の考え方が、その背景にあるモノを含めてよくわかる『本』である。

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