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猿之助さんが全力だったこと

6月の歌舞伎が全て無事に千穐楽を迎え、7月の公演の足音が近づいてきました。大阪では恒例の船乗り込みが3年ぶりに行われ盛況でした。

私の今月は猿之助さんの猪八戒に尽きます。以前は東京の歌舞伎は猿之助さんの出演なくても、ほぼ観てきました。でも疫病禍になり歌舞伎座が休演になったことがきっかけで、より猿之助さんをずっと観ていたい気持ちが強まりました。

いつも考えているつもりでしたが「明日の公演は無いかもしれない」ということが日常になったからです。

また、私自身がピンチな時、心を助けてくれたのはいつも猿之助さんの歌舞伎でした。それは初めて観た時も、今も変わらない。辛い時こそ劇場に行っています。


先月、9才の姪が星になりました。6年間、病気と闘った勇敢な姪でした。まだ実感がないけど寂しくて悲しいです。

姪は猿之助さんの襲名年に誕生しました。「亀治郎の会ファイナル」のファイナルの日。公演が終わったら生まれていました。’亀治郎が昇天した日に降臨した子’と勝手に縁を感じていたことは本人にも家族にも内緒です。。。

そして、先月の猿之助さんの公演を観た後、急変で天国に行きました。私を気遣ってくれたのかと思うほどのタイミングで。これでもかと泣きました。

「明日はないかもしれない」そう大人たちに気づかせてくれた勇敢な子でした。大事な使命を持って生まれてきてくれた。これからは心の中で生き続けてくれるから、今までどおり心で話しかけようと思う。

そんな時の六月大歌舞伎の初日でした。こういう時こそ猿之助さんの歌舞伎です。初日の猪八戒を観て、ハードな踊りを必死に一生懸命に踊る猿之助さんに涙しました。勇気をもらった。自身の使命にあらがうことなく、命がけで舞台に立つ姿に感動しました。

その後、観るたびに猪八戒に挑む猿之助さんの全力度が増しているように見えました。踊ることと、生きることが同じに思えてきてまた泣けた。

姪は9年を一生懸命に生きていました。いつも楽しいことを探し、3才上のお姉ちゃんが大好きで。退院した時、車窓から「青い空はいいねぇ」という子でした。感動するほど全力で生きていたと思う。


6月は猿之助さんを観ながら癒されました。私は私の生きる道を行く。止まっても戻ってもゆっくりでもいい。楽しみながら、生きることに全力でありたいと思う。

いろんなことを教えてくれた姪に感謝。
生まれてきてくれて有難う。


aya


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